捏造日記

音楽、勉強・読書記録、日常の感想

日本音楽とはいったい

去年から日本音楽のことを度々調べます。理由は以前ブログに少し書きましたが、“日本の洋楽”*1について思うところがあるからです。しかし、いつまでも感情論を振り回していても仕方がないので、日本における西洋音楽の受け入れられ方を調べ、自分なりに日本音楽とは何かを探ってみました。なるべく根拠を示しつつ書きたいですが、妄想も混ざると思うので用心して読んでください。

 

日本と西洋音楽との関わりは、ザビエルにまで遡ります*2。そして、その後の展開は、ペリー来航などとも関連があるのですが、書き始めるときりがないので、明治以降に焦点を合わせます。

明治時代、本格的に日本音楽の西洋化が始まりました。きっかけは、音楽教育の開始です。そして、そのための教科書作成にあたって中心的な役割を果たしたのが伊沢修二です。彼はアメリカ留学時代の音楽の師メーソンを日本に招聘し、彼と共に日本の音楽教育の基礎を作りました。少しだけ具体的なところに触れておくと、メーソンはバイエルを日本に導入した人物です。他方伊沢は、東京音楽学校(後の東京芸大音楽科)の初代校長に就任しています。 当時の伊沢の方針についてWikiから引用します。

明治のはじめ、日本の音楽教育については、西洋音楽を日本に移植してそれのみを教育する、日本固有の音楽を育成発展させる、西洋音楽と東洋音楽の折衷、の3つの意見があった。伊沢は、折衷案をとり、その実現のための準備事業として、東西の音楽を折衷した新曲の作曲、将来の国楽(国民音楽)を興すべき人物を育成するための教育、諸学校に音楽を実施し、その適否を確かめるための実験の3つを挙げた。そのため、洋楽雅楽俗楽清楽の調査研究を行い、それらをすべて五線譜に採譜すべきものとした。この研究は、日本の音楽が野蛮で劣るものとされた当時において、西洋音楽の直輸入により日本音楽が抹殺されるのを危惧し、特に日本の音楽と西洋の音楽に違いのないことを証明するのが目的であったといわれている 
音楽取調掛 - Wikipedia より引用

(細かいところが気になる人は、「音楽取調二付見込書」と調べてみると良いです。「東西二洋ノ音楽ヲ折衷シテ新曲ヲ作ル事」という方針が掲げられていることを確認できます)
 

この記述を音楽的に解釈すると、伊沢が、日本に西洋音楽を持ち込むのであれば、日本伝統の5音音階と西洋伝統の7音音階の衝突が避けられず、最終的に5音音階が7音音階に取り込まれてしまうことを危惧していたことが読み取れます。さらに、彼が折衷案を支持していことから、芸術的な意味では7音音階は5音音階よりも必ずしも優れたものではないという考えも読み取れます。

 

伊沢が作成に携わった教科書に収録された曲を見ると、日本の5音音階の世界にいかにして7音音階を導入するかに苦心した跡が見えてきます。例えば、日本と同じ5音音階を多用するスコットランド民謡が収録されています。耳馴染みのあるスコットランド民謡「蛍の光」はここから来ていた訳です。「蛍の光」のメロディは5音音階でできています。他にも「庭の千草」というスコットランド民謡も教科書も収録されています。ただし、この曲のメロディは、基本は5音音階+1音(7度の音)で主に構成されていて、僅かに6度♭も登場します。恐らく、より5音音階に近い曲を採用しようとした結果と思われます。

また、アメリカ音楽の父と称されるスティーヴン・フォスターの曲も、日本の音楽教育に一貫して組み込まれてきました*3。彼はスコットランド音楽に大きな影響を受けた音楽家です。日本で愛されている彼の曲「故郷の人々」のAメロは5音音階で構成されています。Bメロは5音音階+4度+7度の音(つまり、普通のドレミファソラシド(メジャースケール))です。ただ、私の印象に残っていたのは不思議と5音音階の使われているAメロ部分でした。一体なぜでしょう。

上で述べた通り、「蛍の光」「故郷の人々(のAメロ)」に共通するのは5音音階で構成されていることです。一方、「庭の千草」はそうではありません。西洋音楽(7音音階)の導入は始まったものの、当時の多くの人々が5音音階に親しみを覚えため、「庭の千草」ではなく「蛍の光」や「故郷の人々」が現代に至るまで脈々と歌い継がれてきたと考えると中々に浪漫があります。試しに「故郷の人々」を聴いてみてください。Aメロの方に“日本らしさ”を感じませんか?。Bメロは賛美歌のように聞こえます。

 5音音階は郷愁を誘う雰囲気を持つがわかってもらえた(?)と思います。一方で、 5音音階から逸脱した要素が日本に導入されつつあることも確認できます。この曲であれば例えば、Bメロの始まり「な〜が♪」の部分が5音音階には含まれない音(M7th)です。

 

さて、がんばって話を進めましょう。

身近な例として岡野貞一の「故郷」を使います。「故郷」は、1914年に小学校6年生用の教科書のために作曲され、今なお多くの日本人に故郷を喚起させる名曲として親しまれています*4。しかしながら、「故郷」のメロディは日本伝統の5音音階の枠を明らかに逸脱しており、7音音階を自由に動き回ります*5。さらに、和声法や対位法の音楽理論上の完成度の高さを指摘する論文もあります*6

したがって、私(我々?)が「故郷」を聴いた際に感じていたノスタルジー(故郷感)は、日本伝統の5音音階に由来するものではありません。語弊を恐れずに言えば、音階的観点から言えば、「故郷」でさえも我々の純粋な故郷ではなかったです。「故郷」は遠い昔の曲に感じますが、その当時でさえ邦楽と邦楽の結びつきは分かち難いものになっていました。

 

では、日本古来の伝統音楽*7を除いた純粋な日本音楽というものは、一体どこにあるのでしょうか。発見するには西洋音楽流入以前の音楽に遡るしかないように思われますが、それ以外の道もあります。「純粋な日本音楽」という固定化した観念を捨て去り、日本生まれの和洋折衷音楽に新たなる日本音楽の純粋性を見出すという道です。例えば、「故郷」は5音音階で作られていないにも関わらず、「蛍の光」に似た日本的郷愁を感じさせます。「故郷」は和と洋のどちらも否定することなく、高い次元でその両方を融合させることに成功しています。

「故郷」を例にしましたが、もう少し一般化させて考えることができる気がします。言うなれば、明治の西洋音楽流入が本格化して以降の日本音楽“固有”の魅力の多くは、和洋折衷に集約されるのではないかと。

 

では、日本音楽の和洋折衷に着目して歴史を少し振り返ってみます。

岡野貞一から20年ほど時代は進みますが、服部良一は群を抜いているように思います。彼は、コテコテの演歌の香りのしない極めて現代的な歌謡曲を書きます。また、後の「イエロー・サブマリン音頭」や「パープルヘイズ音頭」を思わせる「三味線ブギウギ」という明らかに和洋折衷を意識した曲も制作しています。(個人的には、米田正夫も推しておきたいです。)

 

しかし、綺麗なカタチでの和洋折衷ばかりという訳にはいきません。洋楽絶対主義が台頭してきたからです。敗戦後GHQの指導の下に行われた従来の日本的価値観の解体とそれに伴う近代合理主義の台頭、強まるアメリカ文化への憧憬が複雑に絡み合い、理論的に整理されていない非合理的な邦楽は近代化のために捨て去らなければならない遺物であって、体系的に整理された合理的な洋楽を絶対視する価値観が支配的になりつつありました。1948年、その価値観が表面化した事件が起こりました。当時の東京音楽大学校長の小宮豊隆が邦楽科を廃止する提案をしたのです。どこかの馬鹿がアメリカに気触れたのかと思うかもしれませんが、小宮は東京帝国大学在籍中から夏目漱石の弟子で、日本伝統芸能にも心得があったと言われています。詳しくは長くなりすぎるので割愛しますが、このあまりにも馬鹿げた提案は最終的に実現こそしませんでしたが、その主張が危うく通りかけたことは事実です。そして、邦楽を低級なものとする考えを当時の少なからずの洋楽愛好家が共有していたことも恐らく間違いないでしょう。今にも通ずる洋楽絶対主義は、もうこの時にはもはや無視できないほどに拡大していました。その約20年後に起こる日本語ロック論争に通ずるものがあります。さらに言えば、日本語で歌うアーティストよりも英語で歌うアーティストを「本格派」として盛んに持て囃す今にも通ずるものを感じます。

 

20数年ほど時を進めると(飛びすぎで申し訳…)、日本語ロックの象徴、はっぴいえんどが登場します*8。彼らの音楽は、和洋折衷そのものです。自説を支持してくれそうな記事をThe New York Timesから引用します。 シカゴ大学で日本の文学と文化を研究するマイケル教授のはっぴいえんど評です。

“They tried to find a way out of what was really an impossible choice by trying to do a music that was neither Japanese nor American,” Professor Bourdaghs said in an interview. “What they created was sort of an artificial form of Japanese, an artificial form of America.”

The Hidden History of Japan’s Folk-Rock Boom - The New York Times

 

はっぴいえんどは、日本でもないアメリカでもない“人工の何か”を作り出した訳です。岡野貞一、服部良一と同じく、彼らもまた和洋折衷に成功しました。

また、全く異なる文脈ですが、1967年には武満徹が「ノヴェンバー・ステップス」を作曲しています*9。オーケストラに和楽器を導入したこの作品が、バーンスタインをはじめとした多くの音楽家に激賞されたことが、この作品がいかに優れた和洋折衷であったかを物語っています。

 

再び時代は飛びますが、 90年代は、明治以降の和洋折衷の日本音楽の歴史においてとても象徴的な意味をもっている気がします。なぜなら、数多くのジャンルのアーティストが共時的な西洋の動向に素早く反応・消化し、高次元の和洋折衷に成功したからです。勿論、日本人アーティスト全体の話ではないですが、彼らの音楽からは「洋楽の真似しようと思えばできるけど、それではつまらないよね」という声が聞こえてきます。一部の先進的な日本人アーティストは、もはや洋楽としても違和感のない音楽に手が届いていました。しかし、彼らは単純に模倣するのではなく、自らのバックグラウンドとの融合を模索しました。

 

まず先に日本人の洋楽サウンドを少し確認しましょう。

90年代にhideが進めていたZilchというバンドの「Electric Cucumber」を聴いてみましょう。90年代に勢いを増したNine Inch Nailsを筆頭とするインダストリアルロックに影響を受けた曲です。もはや言われなければ日本人とはわからないと思います。

 

かなり方向性は変わりますが、90年代前半にリリースされたSoul Ⅱ Soulの「Keep On Moving」のプログラミングを屋敷豪太という日本人が担当していると誰が気付くことができるでしょう。メンバーでさえ、屋敷豪太の音を初めて耳にした時、黒人の大男をイメージしたそうです。


 リンクは貼りませんが、リリースは89年ですがフリッパーズ・ギターの『three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった』も好例だと思います。

 

日本人の手による洋楽サウンドを確認したところで、90年代の日本で見られた同時多発的な和洋折衷音楽の話を進めましょう。

上に挙げたhideはそのひとりです。彼は、Zilchで培ったインダストリアルロックの要素を日本歌謡曲のフォーマットに落とし込み、98年に代表曲「ピンクスパイダー」を生み出しました。また、フリッパーズ・ギターは、全編英語詞を捨て、全編日本語詞の『CAMERA TALK』を90年にリリースしています。*10

これ以上は、きりがないので名前を挙げるだけに留めますが、90年のフリッパーズギターの『CAMERA TALK』に始まり、93年のフィッシュマンズの『Neo Yankee's Holiday』、98年にゆらゆら帝国の『3×3×3』、99年に2月に椎名林檎の『無罪モラトリアム』のリリースもあります。さらに、日本のヒップホップが大きく花開いたのも90年代です。MICRO PHONE PAGER、キングギドラ、ライムスター、Blue HerbDJ KRUSHスチャダラパー小沢健二の「今夜はブギー・バック」、Lamp Eyeの「証言」など重要なアーティストや作品が密集しています。

 

まだ挙げていない極めて重要な作品があります。宇多田ヒカルの『First Love』です。90年代が終わり、来たる2000年を迎えようとしていた1999年の3月に『First Love』はリリースされました。当時15歳の日系アメリカ人の少女は、和と洋を見事に接続したアルバムを制作し、日本におけるアルバム売上枚数歴代1位の記録を塗り替えました。さらに彼女は、演歌から歌謡曲まで自在に歌いこなす押しも押されもせぬ偉大な歌手、藤圭子の娘でした。本当に出来すぎた話だと思います。これまでの日本音楽界の和洋折衷の歩みに花を添えるかのようです。この記事を熱心に読んでくれた人には、この驚きと感動が伝わったかもしれません。

 

少し本旨から外れますが、どうしても書いておきたいことがあります。平成も終わりに差し掛かる2018年、宇多田ヒカルが『First Love』と対となるかのようなタイトルを付けた『初恋』をリリースしたことについてです。彼女が日本を意識していることは前作『Fantome』からもわかります。「真夏の通り雨」のサビのメロディが日本伝統音階(都節音階)でできていて、そのリズムが「阿波踊り」に近いことが指摘されています*11。ただ、音階の部分を補足しておくと、一時的にフリジアンになっているので厳密な日本音階ではないです。

面白いことに「真夏の通り雨」のサビと「初恋」のサビはよく似ています。是非聴き比べてみてください。本格的な海外進出に乗り出したこともある彼女がなぜ“今更”日本語にこだわったのか。『Fantome』以降、なぜ日本語の曲名が増えたのか。それはこの記事を読んでくれた人には伝わっているはずです。ただ一点、残念だったことはアルバムの曲順です。「First Love」は4曲目で「初恋」は3曲目です。プロデューサーは意地でも曲順を合わせるべきでした。

 

さて、なんとか締めにかかります。

美しいことばかりを書きたい訳ではないです。宇多田ヒカルのコメントを引用します。

「今時の J ポップにあまり無いような、少し古風な日本語の歌を書きたいと思って産まれたのが『真夏の通り雨』です」

https://qetic.jp/music/vmaj-161027/217581/2/

この発言と似たことを私個人も感じています。つまり、“日本らしい”音楽の喪失です。

 

明治以降、日本音楽には西洋の血が流れ、邦楽と洋楽の対立が不可避的に生み出す緊張を保ちながら発展(変化)を続けてきました。勿論、それは常に洋楽が優位な関係性です。そして幸か不幸か、洋楽が占める比重は年を追うごとに増しているように思います。それは日本に限った話ではなく、世界中で同様の現象が観測できます。Youtubeで世界中のヒットチャートを検索してみると、西洋化された均質的な音楽がチャートの上位を占めていることがわかります。肯定的な見方をすれば、「世界がひとつに」とも言えますが、個人的にはそれに強い忌避感を覚えます。そして、どうやらそれは自分だけではないようです。“洋楽”を制作している日本人アーティストの動画のコメント欄を覗くと、「〇〇に似てるって指摘あるけど、ここまで徹底していたらすごい」といったある種開き直った称賛が見られる一方、それとは対照的な「個性が感じられない」という指摘もあり、少なからずの人たちが賛同している様子が見られます。私を含めたそうした違和感を抱いている人たちは、個々の民族が有するアイデンティティが希薄化し、西洋文化に一元化されることへの危機感を抱いているのかもしれません。その構造は、数学者の望月新一先生がブログ*12に書かれている「心壁論」で見事に説明されています。詳細は述べませんが、私と似た人は、「壁への餓え」を感じているのだと思います。

多少洋楽の影響を受けることは大きな問題ではないと思いますが、西洋的物差し(評価基準)が支配的になることには強い抵抗があります。先述の通り、それが行き過ぎると西洋文化が包摂することのできない世界の多様な文化*13が失われてしまうからです。その極北が、自らのアイデンティティ否定し、必死に漂白や黒染めを繰り返して誕生する“〇〇(国の名前)の洋楽”です。そんな音楽を聴く度、ラヴェルガーシュインに言った言葉を思い出します。

"Why should you be a second-rate Ravel when you can be a first-rate Gershwin?"
Misunderstanding Gershwin - The Atlantic

西洋音楽というものは、各々の文化が有する一流の音楽を完全に捨て去ってまでして達すべき桃源郷なのでしょうか。盲目的に西洋の伝統を追いかけることより、本来的には混ざり得ない伝統を混交(あるいは対立)させることに可能性があると思います。それは実は、岡本太郎を終生貫いていたテーマでもあります*14。彼は「人類の進歩と調和」がテーマとして掲げられていた大阪万博において、そのテーマと真っ向から対立する「原始的な」巨大建造物(太陽の塔)を考案しました。彼の考えが正しかったのかどうかは、今尚見た人に強烈な印象を与え続ける太陽の塔の姿を思えば自ずとわかることだと思います。

最後に岡本太郎と同じく、西洋への安易な迎合を認めない態度を示していた武満徹が綴った言葉を引用して終わりにしましょう。

他との様々な触れ合いによって自らの内なるものを純化し、また深めていかなければならない。これは、邦楽器を用いれば即ち日本の音楽が生まれるとするような単質な発想とは凡そ無縁のことです。
『音・ことば・人間』武満徹川田順造 p.200

 

先回の結びに、邦楽器を用いれば即ち日本の音楽が生まれるとするような、此頃の安直な風潮について記したのですが、日本の音を、それが求めもしない西洋の形式に無体にも封じ込めようとするような不自然さを、どうして気付かずに(私たちは)冒してしまうのでしょうか?

『音・ことば・人間』武満徹川田順造 p.242

 

 

以下、デザートです。 

西洋人による(虚構としての)和洋折衷を見てみましょう。ただ、正直あまり日本日本していないので、下で補足します。結構有名ですが、ダフトパンクのメンバーの父です。

 

ほぼ同型のメロディを繰り返すあたりがよく似ています。彼が台湾のブヌン族を知っていたとは思いませんが、ネパールのフォークソングにも同様の形式を観測したので、日本というよりは恐らくアジア全体を参照したと思われます。

 

筆者がまとめた日本音楽のプレイリスト。70年代以前の古く素晴らしい音楽が聴けます 。友達に良い音楽を紹介する時の気持ちで選曲しました。

日本の音楽【A面】

70年代以降をまとめたプレイリストの【B面】は、以下の編集後記のおまけとしてあります。【B面】は、多様化した日本音楽が聴けるような選曲にしました。

 

(追記2019年1月27日22時頃追記)

想像以上に多くの人に読まれていて驚いています。この記事の問題点などを編集後記としてまとめました。70年代以降の音楽が聴ける筆者作成のプレイリストのおまけもあります。


 

参考資料

 

1.「日本人の知らないスティーヴン・フォスター」宮下和子

http://www.caj1971.com/~kyushu/KCS_03_Miyashita.pdf

フォスターの作品が、もはや日本の文化として深く根を下ろしていることがわかります。日本とアメリカ(とスコットランド)を繋ぐ壮大な物語です。あまりの美しさに涙がでそうになるくらい感動しました。

2.「小泉文夫の伝統音楽研究:民族音楽学研究の出発点として」福岡正太

東京芸大の事件に詳しいです。洋楽派が邦楽を軽視していたことがよくわかります。他方、異なる伝統には異なる尺度を用いる重要性を説き、邦楽を擁護した先生方は偉大でした。

3.「心ある壁」を構築し、維持することの重要性望月新一

昨今の国際関係上の問題点を冷静に分析しながらも、そこに込められた熱に圧倒されます。

4.「宇多田ヒカル真夏の通り雨」講義 ―――「ポピュラーカルチャー論」の教材として」https://core.ac.uk/download/pdf/156876581.pdf 石井正人

授業用の資料です。結びに書かれている「ポピュラーカルチャーの賢い消費者、主体的で創造的な愛好家を育てるために、作品評価の科学的方法を伝えることが筆者のこの授業の目的であった」という言葉が自分に刺さります。

4.「岡本太郎の“対極主義”の成立をめぐって 」 大谷省吾

結論部分で触れた、岡本太郎の思想について書かれています。

5. 『音・ことば・人間』武満徹川田順造

言わずと知れた音楽家武満徹文化人類学者の川田順造との往復書簡です。「伝統と日本的なるもの」と「日本の音」の章は日本音楽をいかにして捉えるかの端緒となりました。武満が極めて論理的な人間であることが伝わります。ただ一方で、彼はそれに拘泥することなく、感覚的な(あるいは人間的な)部分も大切にしていたような気がします。川田の文章も武満に勝るとも劣らず素晴らしく、全体を通して美しい筆致です。読めば人間性が回復します。

6.『呼吸する民族音楽小泉文夫

本文では直接触れていませんが、西洋化を考える上で非常に参考になりました。最初の章で、西洋音楽がアラスカ・エスキモーに忍び寄る様子が描かれています。(派遣された?)音楽教師は、夫婦で見事なユニゾンを見せることさえある優れた音楽性を持つアラスカ・エスキモーの「音痴」に手を焼いています。自らの民族性とかけ離れた西洋音楽教育を押し付けられ、固有の音楽(文化)が失われてゆく姿は、果たしてアラスカ・エスキモーだけに見られる光景と言えるのでしょうか。

 

*1:元ネタを知っている人であればそれは明らかなので、元ネタは書きません。あまり音楽に詳しくない同居人でさえ、「なんか似てない?」とよく言います

*2:もう少し細かいことはこの辺を読むとわかりやすいかもしれません。「西洋は長崎から~「洋楽」長崎とキリシタン音楽」

*3:詳しくは参考資料の「日本人の知らないスウィーヴン・フォスター」を読んでください。個人的には涙が出るくらいの感動がありました。

*4:7音音階を使用するこの曲が6年生(最終学年)の曲として収録されていたことには、明らかな教育的意図を感じます。

*5:岡野は14歳の頃に洗礼を受けたクリスチャンであり、宣教師からオルガンの教え受けていたことがそれを可能にしたのだと思います

*6:尋常小学唱歌「故郷」における一考察

http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/27123/1/KKJ0029_023-030.pdf

*7:三味線は沖縄から、さらに言えばペルシャやアラビアから伝来したものですし、雅楽は中国に由来します。身もふたもないことを言えば、純然たる伝統音楽というものは虚妄なのかもしれません。

*8:グループ・サウンズも無視してはいけないところですがまだ勉強中です…

*9:余談ですが、この当時、武満徹はビートルズのサージェントペパーズを熱心に聴いていたそうです

*10:余談ですが、日本語にこだわるその後の小沢健二の活動のことを思うと、ここは大きな転換点だったと思います。また、面白いことに、全編日本語詞にも関わらず、彼はアメリカレコーディングを敢行し、『Eclectic』(折衷的)というアルバムを制作しています。

*11:「宇多田ヒカル「真夏の通り雨」講義 ―――「ポピュラーカルチャー論」の教材として 」https://core.ac.uk/download/pdf/156876581.pdf

*12: 「心ある壁」を構築し、維持することの重要性

*13:わかりやすい例を挙げるとすれば、インドネシアのガムランが挙げられます。ガムランは1オクターブを12等分する所謂12平均律の世界ではありません。彼らは、1オクターブを約5等分するスレンドロ音階と、不均等に7分割するペロッグ音階を“主に”使用します。さらに、別の地域では別の音階が使われることもあるようです。とても有名な話ですが、ドビュッシーはガムランに強い影響を受けたと言われています。また、ジョン・ケージもガムランに影響を受けた曲を書いています(John Cage - Sonata V )。ビョークは10代の頃からガムランを聴いていて、ガムランからインスピレーションを受けた新しい楽器を開発しています(björk: gameleste )。もっと聴きたい人は「Crystalline」をどうぞ。

*14:岡本太郎の“対極主義”の成立をめぐって |

愛×アキバ×桃井はるこ

 

桃井はるこの自伝的作品『アキハバLOVE』を読んだ。最近興味のある電波ソングについての情報目的で購入した本だったが、「まえがき」を読んだ時点で、予想をはるかに超える素晴らしい本だと確信した。この本に初めて触れる人の感動を奪いたくないので詳細は割愛するけれど、優しさに溢れていることだけは伝えておきたい。 

アキハバLOVE

(絶版になっているので入手する人はお早めに)

 

さて、前書きもほどほどに、この“ネ申本”の話を進めたい。

この本には、桃井はるこの目から見た秋葉原という街と、「好き」を理由にそこに集った人々の物語が綴られている。秋葉原という場で、格闘ゲーム美少女ゲーム、コンピューター、アイドル、アニメなど、種々様々なオタが交流し、「アキバ」という一つの物語を紡ぐ。「アキバ」が、歩くだけで、延いてはその場にいるだけでスリルや魅力を感じられる特別な場所であったことが手に取るように伝わってきた。桃井は、その街とそこに集う人々を誰よりも愛していたのだと思う。 この本は、オタ(ここではオタクとは書かない)への深い愛で溢れている。彼女は、世間の目に屈することなく“好き”への欲求に従うはみ出し者たちに肯定の眼差しを注ぐ。それは彼女自身が、小学生の頃のプレゼント交換会で、レア物のミニ四駆を用意し、サンリオ製品を期待していた友達の女の子を引かせた経験のある生粋のオタだからこそ出来ることなのかもしれない。桃井はるこは、どこまでもオタの味方なのだと思った。

ただ、彼女は「アキバ」のインサイダーにも関わらず、「アキバ」で起こる現象を熱っぽくも冷静に観察している。したがって、オタ特有の「キモさ」とは無縁で、私のようなアウトサイダーにも「アキバ」の特異性と魅力が大いに伝わってきた。男性が大多数を占めるオタ文化において、女性だからこそ保てる適度な距離感があるのかもしれない。今でいうところの「オタサーの姫」的な香りも全くしない。むしろ例えば、所謂アイドル的な芸能活動の軌道に乗っていることが本意ではなく、自らの理想とする「オタ的」な音楽活動を求めてアイドル活動を休止する彼女の誠実さに心を打たれた。

 

彼女のオタとしての守備範囲は広く、例えば音楽であれば本職はアイドル歌謡だが、当時からKraftwerkPixiesNirvanaなどを愛好する洋楽オタでもあった。しかし、そうした知識以上に注視すべきは、彼女が自分なりの考えを表明するというオタとして最も基本的かつ重要な態度で一貫していることだと思う。彼女は自分の考えを持っている。例えば、西洋アーティストの来日公演で観客が海外的に振る舞う様子について疑問を投げかけ、それと正反対とも言える純日本産のオタ文化の魅力を説く。彼女はその考えを、内輪ノリの安っぽい「オタ文化擁護」としてではなく、「日本らしい文化」の結論として導く。彼女は「萌え」について、「ドジっ娘」の例を挙げ、過程を愛でることだと考察している。面白いことに、過程への愛着は、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で書いていることでもある。年功序列、甲子園の人気、育てるアイドルグループAKB48など、現代の様々な日本文化も過程への愛着という点で繋がっている。「萌え」は日本で生まれるべくして生まれたのだと思う。

 

上述の萌えの考察からもわかる通り、彼女は慧眼だった。彼女の先見の明には何度も驚かされた。女性の自撮りが主体となるSNSの登場、カジュアルにネットに接続できるゲーム端末の登場、オタク的アイドルの登場、Perfumeの成功など、様々なことを予見していた。

 

私は東京在住ではないけれど、この本に書かれていた桃井お気に入りの喫茶店に行きたいと思った。しかし、残念ながら、店名の「コロナ」をググると、『アキハバLOVE』出版の1年後(約10年前)に閉店していたことがわかった。望むことに限って上手くいかない人生の仕様に嫌気が指した。諸行無常とはいえ、「アキバ」の流転は早すぎる。「一見さんお断り」と暗に書かれていたようなかつての「アキバ」の姿は、もうリアルには存在しない。美少女アニメ、ゲーム、コンピューターなどを好きと言うだけで後ろ指を指される時代は終わった。その潮流を桃井はるこは、「日本がアキバに近付いている」と説明する。当時の「アキバ」は本当に最先端だった。それは時代が証明している。

行ったこともない街の変遷に一抹の寂しさを覚えながら、本でしか読んだことがない街と、その街にあったとされる魅力的な喫茶店の姿を夢想していると、どこか2次元と3次元の隙間に入り込むようなヴァーチャルな感覚がした。

 

 

あとがき

この記事の本文では触れないことにしたが、 『アキハバLOVE』出版の1年後の2008年6月8日、前代未聞の事件が秋葉原を襲った。凶行の理由は、ネット上の居場所を奪われたから。私は当時まだ10代だったけれど、ネット社会の負の面が表面化した事件だったと記憶している。幸か不幸かの判断はしかねるが、『アキハバLOVE』は、この事件を逃れた。結果、夢の街としての「アキバ」の香りで満ちた内容となっている。本に書かれていないことなので直接は触れないことにしたけれども、全く触れないことにも違和感があるので、このような形を取って最後で触れることにした。当時を知らない私の語りより、桃井はるこが事件の2日後に書いた記事があるので、是非そちらを読んでもらいたい。

 

電波への道程

※知り合い以外が見ることを想定していない記事です。 

何やら電波ソングbotによって拡散されてしまったようですが置いておきます。この記事は自分と友人が考えるための共有メモのようなものです。毎日のように加筆・推敲を繰り返しているので、注意してください。頭の中を上手く整理できたら、電波ソング通史を書くかもしれません。お兄様・お姉様、お手柔らかに。

 

現状の課題。

電波ソングの早口の起源の特定。早口以外の表現は1980年の「ジェニーはご機嫌ななめ」が起源と思われる。電波ソングのほとんど完成形とも言える作品は1989年に発表された「きみはホエホエむすめ」で間違いない。しかし、早口や「語り・掛け合い」を含む典型的な電波ソングの登場は特定できていない。ただ、少なくとも2003年の電波ソング全盛期には、「語り・掛け合い」を含むいわゆる電波ソング的な要素の全てが認められる曲が複数あることが確認できるので、1989年〜2003年の間であることは恐らく間違いない。

 

電波ソングの曲中で見られる「語り・掛け合い」の起源。アイドル文化を基本に、美少女ゲームとの関連があると思われる。今特定できている範囲では、1992年の『卒業 ~Graduation~』が最も古い。ただ、まともに調べていないのでより古いルーツがある可能性が極めて高い。

 

・「きみはホエホエむすめ」に至るまでの秋葉原の動向。とりわけ、当時の秋葉原のアイコンの桃井はるこのような活動をしていた人が存在していたかどうか。桃井はるこの自伝があるのでそれを資料として少しまとめる予定。

 

はじめに

 
電波ソングの文化的価値

70年代に誕生したヒップホップの創始者の一人として名高いAfrica Bambaataaは、ヒップホップの4大要素として「DJing(曲)」、「MCing(歌)」、「Breakdancing(踊り)」、「Graffiti(絵)」を提唱しました。この考え方は、電波ソングに容易に当てはめることができます。電波ソング的トラック(曲)、稚拙さを逆手にとる独特の歌い方(歌)、オタ芸(踊り)*1、萌え絵(絵)と完全に当てはめることができます。これは、欧米からの影響を良くも悪くも強く受けてきた日本の文化としては極めて珍しいです*2。60年代以降、上に挙げた4大要素の全てを満たす“純国産”の文化は、電波ソング(萌え文化?)が唯一とさえ言えると思います。「キモい」と忌避されがちですが、“純国産”の文化として極めて重要だと思います。ゲーム音楽テクノポップ、同人文化、技術革新、美少女・アダルトゲーム、クラブミュージックなどが幾重にもなる層を形成し、電波ソング誕生に至るまでの過程はまさに奇跡の連続です。

 

音楽的表現

ウィキによると電波ソングの定義はこのようになっています。

電波ソング(でんぱソング、電波歌、電波曲)は、「過度に誇張された声色」、「意味不明、支離滅裂だが印象的な歌詞」、「一般常識からの乖離」、「奇異ではあるが耳に残る効果音や合いの手、掛け声」、「一度聞いたらなかなか頭から離れない」などを特徴に持つ音楽を指す

 

この定義からわかるのは、電波ソングの「何でも極端にする」という精神性です。ただ、この定義から見ると、足し算的な想像をされるかもしれませんが、引き算も極端にするのが電波ソングだと思います。わかりやすく言うならば、極端な単純化という感じでしょうか。例えば、単純性(幼稚性)を表現するのに有効な「ドンパン」というリズムが挙げられます。電波ソングは、4つ打ちであることが多いがそうでないこともよくあります。しかし、そうでない場合でも1拍と3拍のキックはほぼ外さないです。したがって、1拍目と3拍目のキックが基礎で、そこから発展したものとして4つ打ちがあると考えるのが良いと思います。また、打ち込みのためかスネアとキックの音が重なった時、完全に重なってしまうためほとんど聴き取れないことが多く、身体感覚を表す意味でも「ドンパン」という言葉を選びました。「4つ打ちからの引き算で考えることと何が違うか」と問われると難しいですが、より単純(音数が少ない)方を基礎と考えました。先ほど述べた1拍目と3拍目のキックを基本に、2拍4泊にスネアを置くと完全なる「ドンパン」が完成します。勿論、キックが4つ打ちでも「ドンパン」に含むとします。このリズムは、1989年の電波ソングの始まりからMosasic Wavに至るまで頻繁に登場します。

さらに、この1拍目と3拍目にキックが置かれることは、電波ソングが、ダウンビートにキックを鳴らすことを特徴とするトランスや、1拍目と3拍目のキックを内包する4つ打ちを特徴とするハウスとの相性が極めて良いことを意味しています。1990年代前半に誕生したドラムンベースなどのクラブミュージックが後に電波ソングと結び付くのは必然だったと言えます。例えば、2009年に発表された「【ハンマー状態】ハンマーを電波ソングにしてみた 」は「ドンパン」を基本としつつ、後半部分ではドラムンベースのようなパートを導入しています。また、フランス人のDJ(トラックメイカー?)のディミトリ・フロム・パリが、電波ソングを作成したことにも納得いきます。彼の曲はなかなかにツボを押さえていて、「ドンパン」を基本としながら、上手く彼なりに崩しています。「Neko Mimi Mode 」 

年表

 

電波ソングはまとまった文章が不足している上に、成り立ちが複雑で実態を捉えることがとても難しいです。その上私はオタクカルチャーには明るくないというありさまですが、気合いで年表としてまとました(随時更新)。単なる羅列ではなく、重要なことや気づいたことなども併記します。柱としたのは、美少女ゲームを筆頭とする萌え文化(≒オタクカルチャー)、技術の発展、ゲーム音楽、クラブミュージックなどです。私も暗中模索ですが、眺めているだけでも何かしら見えてくるものがあると思います。日本語と英語のウィキを中心に、個人ブログなど色々なところから集めた情報をベタ張りした箇所が多くあるので、言葉遣いが統一されていないですが許してください。

 

1970年

Kraftwerk 結成(『Autoburn』は1974年)

 

1975年

初期のアーケードゲーム『Gun Fight』誕生。

BGMはないが、勝利時にはファンファーレが聞ける。

 

1978年  

スペースインベーダー』の誕生 (実はスターウォーズの影響)

現代音楽のような不気味なループが、割とインタラクティヴになっている。

ゲームプレイにBGMが付いた。

※生みの親の西角 友宏 曰く、当時はPCも何も普及していなかったため、制作のために必要なものから全て作った。

https://www.youtube.com/watch?v=D1jZaIPeD5w

 

YMOは『スペースインベーダー』からサンプリングをした曲を制作。さらに、YMOは、「サーカス」というブロック崩しタイプのアーケードゲームの音をサンプリングした曲も制作。この2曲が収録されている『イエロー・マジック・オーケストラ』がリリース。ゲームミュージックに大きな影響を受けたYMOは、逆にゲームミュージックに大きな影響を与える存在となる。

 

1979年

YMOライディーン」発表。 

 

80年代の流れ

美少女ゲームとしてはナンパゲームの時代。8ビットパソコンが普及し始めた1980年代の前半には、『野球拳』の様なゲームや、光栄(現コーエー)が発売したストロベリーポルノシリーズの様な、アダルトソフトしか存在しなかった。これには、当時のパソコンの外部記憶メディアの主流がカセットテープであり、画像データの扱いに時間が掛かってしまう事や、フロッピーディスクを搭載した機種がビジネス向けの16ビットパソコンに限られていた事も関係している。8ビットパソコンにもフロッピーディスクが普及し始め、また16ビットパソコンが低価格化して行った1980年代後半に入って、ナンパケームや恋愛アドベンチャーゲームが出る様になり、「擬似恋愛」の過程を楽しむ事へのニーズが掘り起こされて行くことになった。

 

In the history of computer and video games, the third generation (sometimes referred to as the 8-bit era) began on July 15, 1983, with the Japanese release of both the Family Computer (referred to in Japan in the abbreviated form "Famicom", and later known as the Nintendo Entertainment System

 

As advances were made in silicon technology and costs fell, a definitively new generation of arcade machines and home consoles allowed for great changes in accompanying music. In arcades, machines based on the Motorola 68000 CPU and accompanying various Yamaha YM programmable sound generator sound chips allowed for several more tones or "channels" of sound, sometimes eight or more. The earliest known example of this was Sega's 1980 arcade game Carnival, which used an AY-3-8910 chip to create an electronic rendition of the classical 1889 composition "Over The Waves" by Juventino Rosas.[10]

 

 

The mid-to-late 1980s software releases for these platforms had music developed by more people with greater musical experience than before. Quality of composition improved noticeably, and evidence of the popularity of music of this time period remains even today. 

 

※Home console systems also had a comparable upgrade in sound ability beginning with the ColecoVision in 1982 capable of four channels.Approach to game music development in this time period usually involved using simple tone generation and/or frequency modulation synthesis to simulate instruments for melodies, and use of a "noise channel" for simulating percussive noises. Early use of PCM samples in this era was limited to short sound bites (Monopoly), or as an alternate for percussion sounds (Super Mario Bros. 3). The music on home consoles often had to share the available channels with other sound effects. For example, if a laser beam was fired by a spaceship, and the laser used a 1400 Hz square wave, then the square wave channel that was in use by music would stop playing music and start playing the sound effect.

 

In the popular music industry, video game music and sounds have appeared in songs by various popular artists.[52] Arcade game sounds had a particularly strong influence on the hip hop,[53] pop music (particularly synthpop)[54] and electro music[55] genres during the golden age of arcade video games in the early 1980s. Arcade game sounds had an influence on synthpop pioneers Yellow Magic Orchestra,[56] who sampled Space Invaders sounds in their influential 1978 debut album, particularly the hit song "Computer Game".[37] In turn, the band would have a major influence on much of the video game music produced during the 8-bit and 16-bit eras.[36]

 

AKIHABARA 1983 (1983年の秋葉原) - YouTube

昭和61年の秋葉原 Akihabara 1986 - YouTube

昭和末期の秋葉原電気街。まだ家電と電子部品の街で表通りに家電店、裏通りに部品屋とジャンク屋という感じです。現在のダイビルUDXの場所は神田市場で、休日は薄汚い立体駐車場が買い物客に開放されていました。ヨドバシのあたり一帯は貨物ヤードと日通の倉庫で、とにかく秋葉原駅一帯が一種独特な雰囲気でした。

 また、ニコニコ大百科秋葉原の歴史」のコメントによると、80年代後半の秋葉原にはオーディオの時代があったようです。

25 : ななしのよっしん :2017/10/30(月) 18:01:24 ID: aNGX9s70Vg

電とパソコンの間にはCDオーディオの時代(80年代後半)があった。

 

 

 

1980年

6月: ジューシィ・フルーツが「ジェニーはご機嫌ななめ」をリリース。

今のところ、この曲が恐らく電波ソングの元祖と考えています。「ドンパン」、ぴこぴこサウンド、稚拙(良い意味で)なヴォーカル、萌え的なあざとさ、「イチャイチャ」、「ベチャクチャ」、「キュンキュン」などの擬音語・擬態語の多用など、後の電波ソング的な要素が確認できます。面白いことに、電波ソングが全盛を迎える2003年、Perfumeは同曲を中田ヤスタカの編曲でカヴァーしています。

ニコニコ大百科などで元祖とされている「キミはホエホエむすめ」は、いわゆる萌え文化ととテクノ歌謡が結びついた記念碑的作品と考えています。

 

1981年

Konami's 1981 arcade game Frogger introduced a dynamic approach to video game music, using at least eleven different gameplay tracks, in addition to level-starting and game over themes, which change according to the player's actions. 

 

「コンピューターおばあちゃん」が発表。

「ジェニーはご機嫌ななめ」とほぼ同様の理由で掲載。

 

深川通り魔殺人事件が発生。違法薬物を常用していた男が供述中に「電波が命令した」という言葉を発したことが世間の注目を集め、「頭がおかしい」という意味での「電波」の用法が一般化。後の電波ソング命名に繋がる。

 

1983年 

YMO「君に胸キュン」

この曲には随所に「キュン♪キュン♪」という擬音が見られるなど、あざとさ(萌え)の芽生えが見えます。また、ぴこぴこサウンドは勿論、典型的な電波ソングに見られるドンパンのリズムを確認できます。色々な面で誇張を意識されているあたり、電波ソングに繋がる多くの要素を発見できます。

 

任天堂ファミリーコンピューターを販売開始。

 

1984

細野晴臣氏のプロデュースにより、アルファレコードは『ビデオ・ゲーム・ミュージック』のレコードをリリース。これが、ゲームミュージックだけを扱った国内初のサウンドトラックとなる。オリコンチャート20位以内に入るヒットを記録。

「私の記憶によると、当時、スタジオでの音楽録音の際、ミュージシャンに多くの待ち時間があったんですよ。アルファのスタジオに限らずだと思いますけど、たいていのスタジオにはビデオゲームが置いてあるんですよね。ミュージシャンにはみんな空き時間があるので、その時間にビデオゲームをやっているんですよ」

ビデオゲームミュージックの父 小尾一介氏×大野善寛氏ダブルインタビュー 前編 - IGCC

 

1985年

スーパーマリオブラザーズ』(1985年/任天堂)が大ヒット 

 

1986年

渡辺美里My Revolution

 

1987年

TM NETWORKGet Wild

 

1988年

The KLFが、「What Time Is Love? 」リリース。トランスの原点と言われる。

The KLF - What Time Is Love? (1988 Pure Trance Original) - YouTube

 

1989年
10月:日本初の大型情報機器専門店ラオックスが、ザ・コンピュータ館を秋葉原外神田一丁目7-6に仮オープン。1990年にはザ・コンピュータ館が全館開店。秋葉原の新名所となる。
2007年に閉店した後、AKIBAカルチャーゾーンとなる。

 

アイドル八犬伝 「きみはホエホエむすめ」

アイドル八犬伝(FC) ED きみはホエホエむすめ - ニコニコ動画

電波ソング史における極めて重要な曲。ポップなメロディ、ぴこぴこサウンド、ドンパンのリズム(一番上で解説)など、電波ソングとして重要な要素が確認できます。この曲に萌え系の歌詞が混ざると、電波ソングそのものになります。実際、桃井はるこに2007年にヴォーカルを入れたヴァージョンをリリースしていますが、電波ソングそのものです。

 

 

90年代の流れ

ゲームのプラットフォームであるハードウェア記憶媒体進化したことで、BGM音楽的表現の技術的制約が解消され、音楽表現の幅が広がっていった。記憶媒体フロッピーディスクからCD-ROMへ移行すると、記憶容量が数倍にも跳ね上がり、現在CDと同じ音質のBGMや楽曲を収録することが可になった。これを機に題歌が付属する美少女ゲーム流となった

 

コンピュータゲームに特有の事情として、コンピュータの性能は時とともに大きく進歩している。例えば、1987年の『学園物語』と1992年の『同級生』ではデータ量が単純比較で18倍にもなる。また、1990年代中期から普及し始めたCD-ROMの容量は、1992年の『同級生』の60倍近いものである。このことはゲームの中で声優の演技が楽しめるだけではなく、画像の品質も向上させることになる。また、最近では当たり前になったDVD-ROMの容量はCD-ROMの6.8倍にもなる。

また、パソコンの演算能力の飛躍的な向上は、3次元人体コンピュータグラフィックスの導入を容易にした。いわゆる「アニメ調」の画風が主流である恋愛ゲームにおいてリアルな3次元人体コンピュータグラフィックスはほとんど用いられず、痴漢や強姦をテーマにした成人指定のポルノゲームに用いられることが多かった。しかし、2003年に発売された『ゆめりあ』(PlayStation 2用:12歳以上推奨)、2005年に発売された『らぶデス』(Windows用:成人指定)では、3次元人体コンピュータグラフィックスでありながらトゥーンレンダリングなどでアニメ調の人物表現が行われ、あらかじめ用意された肖像ではなく、コンピュータが状況に応じて描き出した画像によってキャラクターが表現される様になったのである。

 

セガサターンプレイステーションの頃から、ディスクメディアが主流になっていった(但し、NINTENDO64はディスクメディアを使用せず、ROMカセットを使用。)。メディアの大容量化、ハードの高性能化により、「限られた音色で多くの曲を鳴らす」という制約が大幅に緩和され、さまざまなジャンル(ロックアンビエントオーケストラ曲ヒップホップテクノイージーリスニングジャズ等さまざま)の音楽が取り入れられるようになった。また、録音済みの音楽をストリーミングで流すという方法もしばしば登場するようになった。その結果ゲームミュージックは鑑賞用に販売されている通常の音楽CDと同等の品質を獲得するに至り、21世紀初頭現在の主なゲーム機の音声処理系はPCM系の録音済み波形を用いる方式が主流になっている。

 

 

小室哲哉が、1994年TMN終了前後から、観月ありさ篠原涼子trfhitomi内田有紀H Jungle with tdosglobe華原朋美安室奈美恵など、1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーヒット曲を打ち立てた。

※彼が影響を受けたアーティストには、ジョルジオ・モロダー(ディスコの父)が含まれる。無論YMOも含む。

 

第3次声優ブームの発生。

用語として一時期頻繁に用いられていたが、明確な定義は存在していない。おおむね1990年代半ばごろに起こったとされる。

  • 声優のマルチ活動化やアイドル化が進む。

  • 声優の音声入りのテレビゲームパソコンゲーム、声優がパーソナリティを務めるラジオ番組、声優が出演するイベントが増える。

  • 声優の歌手活動が増える。

  • 1994年に初の声優専門誌『声優グランプリ』『ボイスアニメージュ』が創刊される。

  • 1995年に初の声優専門のテレビ番組『声・遊倶楽部』が誕生。

  • 声の演技力のほかにも、特にアニメ・ゲームで活躍するには容姿の良さや歌唱力などといったようなことも声優に求められる傾向。

などといったようなことが、このブームの主な特徴として挙げられる。

 

 

90年代前半は、ドラムンベースとトランスが誕生。

 

トランスの特徴は以下。

Classic trance employs a 4/4 time signature,[6] a tempo of 125 to 150 BPM,[6] and 32 beat phrases and is somewhat faster than house music.[21] A kick drum is usually placed on every downbeat and a regular open hi-hat is often placed on the upbeat or every 1/8th division of the bar.

(上にあるように、ダウンビート(1拍目と3拍目)のキックがトランスの特徴として挙げられています。1と3を強調する電波ソングのドンパンと極めて相性が良いことが確認できます)

Rapid arpeggios and minor keys are common features of Trance, the latter being almost universal.

 

 

1990年代末以降インターネットが急激に台頭し、パーソナルコンピュータのウェブ端末としての利用が一般化した

 

「萌え」という言葉が広まったのは1990年前後であると推測されており[1][5]、その起源に関する主要な説も概ね1980年代末〜1990年代初頭頃に集約されている。一方で「萌え」の現代的用法の成立・普及については様々な説や主張があり、その起源や成立の過程は明らかではない

 

1980年に来場者数6000人だったコミケの来場者数が、1990年には、230,000人に増加。同人サークルの数は、380から13,000に増加。その後も急速に来場者数を増やし続けます。※コミケの始まりは、1975年で来場者700人。

その後の推移は、以下のリンクを確認。

Comiket - Wikipedia

 

1990年代の中ごろに差し掛かると、現在オタクコンテンツを総合的に取りそろえる店舗が登場した(とらのあな が筆頭か?)。

 

萌え系電波ソングオタク文化の産物とされるようなった経緯

電波ソング明期に美少女ゲームプレイしていた顧客層はPCに関する知識が豊富な層に限られていた。1989年前後のPC市場は様々な規格が乱立しており、Windows 3.1以降のPCよりもめられる専門知識が多かった。この頃の秋葉原日本一の「電」であり、パソコン関係の製品を取り扱った店舗が数多く存在しており、ハードウェアのみならずゲームを含めたソフトウェアを取り扱う店舗が営業していた。そのため、美少女ゲームプレイしていた層が秋葉原を利用する機会が多かった。

95年に、Windows95が日本で発売されます。 


1991年 

初期トランスと言われる作品の発表。

Another possible antecedent is Yuzo Koshiro and Motohiro Kawashima's electronic soundtracks for the Streets of Rage series of video games from 1991 to 1994.[14][15][16] It was promoted by the well-known UK club-night "Megatripolis" (London, at Heaven on Thursdays) whose scene catapulted it to international fame.

https://www.youtube.com/watch?v=5PqfoOBJBlk

 

1992年

『卒業 ~Graduation~』美少女ゲーム(ゲームに主題歌がつくように)

(主題歌の曲中でキャラの会話や語りが見られる)

[ PCE ] 卒業 - Graduation - - YouTube

 

12月:アダルトゲーム会社のエルフは、16ビットパソコンPC-9801シリーズ等用の成人向け恋愛ゲーム『同級生』を発売する。企画当初は従来のナンパゲームの様に50人の女性をナンパする内容だったが、女性の人数を13人に減らして、一人一人のストーリーを描く、恋愛小説の様な内容に変更された。この試みが大成功し、作品は成人向けゲームのみならず、『ときめきメモリアル』等のその後のゲームに大きな影響を与えた。また、同作品自身も性描写を他の表現に差し替える等して、家庭用ゲーム機用に発売されている。

 

1993年

「PC-FX きゃんきゃんバニーエクストラDX 」

やはり、ドンパンのリズムが基本。

 

1994年

5月:『ときめきメモリアル』販売開始(PCエンジン

 

6月:秋葉原で創業。当初は、秋葉原の路地裏にある雑居ビル(神林ビル)の3階の一室に店を構える同人誌の古書店だった。当時、同人誌を扱っている店はまだ少なく、同じビルの2階に入居していた「湘南通商」とはしごして同人誌やジャンク品を買い漁るマニアの姿が多く見られた。

 

12月:PlayStationの販売開始

 

小室哲哉のブーム到来(1999年まで継続?)

 

 

1995年

1月:エルフは、『同級生』の続編である成人向け恋愛ゲーム『同級生2』を発表する。前作以上に個々のヒロインのストーリーが作り込まれており、プレーヤーにとって選択の幅が狭まり、難易度が高くなった。この為、実質的には攻略本を片手に読み解く楽しみ方になったのである(これが後にビジュアルノベルというゲームジャンルを生み出す事になる)。そしてこの様なスタイルが恋愛ゲームの主流となるのである。後に、性描写を差し替えた家庭用ゲーム機版や、攻略ヒントを兼ねたアニメーションビデオ、そのビデオから性描写を除いたアニメーションのテレビ放映、ラジオ番組、キャラクターフィギュアなどのメディアミックスを行う様になる。元々成人向けゲームであった作品から、広く親しまれるキャラクターを産み出したという点で、『同級生』シリーズは特筆するべき存在となった。

 

10月:『新世紀エヴァンゲリオン』放映開始

※実は、初めからメディアミックス作品で、漫画版が前年12月で始まっている。つまり、アニメより漫画版が先。

 

11月:恋愛ゲーム『同級生』、性的描写を差し替える形で、NECの家庭用ゲーム機PCエンジン用のゲームソフトとして発売される。以後、同級生シリーズは、PC-FX版『同級生2』を除き、性的描写を緩和もしくは削除する形で家庭用ゲーム機に進出していく。

11月23日:Windows95の日本版発売。11月23日勤労感謝の日)の秋葉原などでは、当日になった瞬間に深夜販売を始める店が多く、業界関係者や報道陣を中心に一種のお祭り騒ぎの様相を呈した。

Windows 95発売当時の秋葉原 (sm20912964) - ニコニコ大百科

 
1996年 

東方Project開始

 

桃井はるこが、秋葉原オタク文化が集積しはじめた(本当か?)頃の1996年電波ソング発展に貢献したアイドル活動を開始。

 

夏のC50(50回目のコミケの意)から、同年完成した東京ビッグサイト有明)での開催となる。C50の開催はビッグサイトの会場の一部で行われたが同時開催の他のイベントからの多数の苦情が来たことから、次のC51では早くもビッグサイト全館貸し切りでの開催となった。

 

サウンド環境およびその他処理性能の充実から「音楽自体をゲームにする」という発想も登場した。1996年の『パラッパラッパー』、続く1997年の『beatmania』などが先駆けとなりいずれも大ヒットを記録、音楽ゲームという一つのジャンルを形成するに至った。 

 

1997年

小池雅也の楽曲提供により、桃井はるこが「GURA GURA」をリリースした。小池は「かわいいに汚れた音を乗せると、ギャップで萌えが引き立つはずだ」というコンセプトのもとで楽曲が提供された。桃井はるこは「萌え」をコンセプトに活動し、「ときめきメモリアル」のヒロイン藤崎詩織コスプレパワーグローブという出で立ちで、路上ライヴ

 

夏のC52以降、夏のコミケは3日間開催が定着、参加サークルは3万を超えるまでに至った。

 

8月:『同級生2』、Windows 95に対応する形で、再びパソコン用ソフトウェアとして発売される。家庭用ゲーム機版と同様にCD-ROM版となり、声優によるヒロインの演技を聞く事ができる様になった。

 

「メイドさんロックンロール/南ピル子」

リズムなどは電波ソングではないですが、歌詞に露骨に性的な描写が見られます。

  

1998年

カードキャプターさくら

デ・ジ・キャラット』 緑髪、メイド服、猫耳(1999年アニメ化)

主題歌のサビが、かなり小室サウンドに似ている。

 

モーニング娘。(9年ほど全盛期が継続?)

 

1999年

5月:2ちゃんねる開設

6月:KeyWindows95/98用恋愛ゲーム『Kanon』を発売する。このゲームによって、泣きゲーと呼ばれる、シナリオ志向のゲームの中でも特に感動的なストーリーに重点を置いたジャンルが開拓されることとなる。

NINTENDO64 が販売開始。

 9月:モーニング娘。 『LOVEマシーン』

4つ打ちが基本。ただ、微妙に裏にキックを入れていたりしているので、かなりファンキーに聞こえる。曲としての完成度が高い。

 

月不明:『beatmania IIDX

 

2000年代の流れ

美少女ゲーム世界観を広げることが的の電波ソング盛を極めた。2000年代初頭になるとインターネット爆発的に普及し、PCユーザーコミュニケーションラットフォームである2ちゃんねるが、美少女ゲーム電波ソングの話題を共有する場として機した。

 

90年代の年表から分かるように、コミケの参加者からわかる同人の普及(東方Projectなど)、家庭用ゲーム機の普及、アダルトゲームの家庭用ゲームへの移植、匿名掲示板の誕生、今日的なアイドル(モーニング娘。)、WindowsPCの普及、ドラムンベースとトランスの誕生、萌え文化(デ・ジ・キャラットが象徴的)の一般化など、大きな動きが立て続けに起こります。そして、その流れが一体となり、2000年代前半に電波ソングは黄金期を迎えます。

2005年には、今日的な電波ソングを制作する精鋭集団MONACAが本格始動します。 

 

2000年

3月:PlayStation 2が販売開始

「まじかるぶっくまーく にゅ~」

 

 2001年

桃井はるこが「萌え」を追求したロリ声ソングいちごGO!GO!エロゲ―「いちご打」題歌)※やはりリズムはキックとスネアのドンパンが基本 

 

「恋愛CHU!」がリリース。「ハレ晴レユカイ」的なリズムが聞ける。

 

モーニング娘。のサブプロジェクト的な、三人祭が「 チュッ!夏パ~ティ (Chu! Natsu Party) 」をリリース。典型的な電波ソングとは異なるが、地下アイドル(?)が電波ソングアイドルソングの間のような曲を制作している現在につながるかのような曲。

 

2002年

5月:まんがタイムきらら萌え4コマ」を初めて専門的に取り扱う雑誌 

※複数女性声優が主題歌を歌うように?(要検証)

 

2月小池雅也と共に「UNDER17」を結成した。「萌えソング18禁という束縛から解放し、もが楽しめる萌えソングを作る」というコンセプトを掲げて楽曲の提供に取り組んだ。これを筆頭として、現在まで活動を続ける電波ソング萌えソングユニットが続々と結成された。

 

2003年(全盛期開始?)

恐らく、電波ソングが完全に完成した年。

 

3月:アダルトゲーム『さくらんぼキッス 〜爆発だも〜ん〜』が発売。

電波ソング史上で重要と重要な以下がリリース。

KOTOKO / さくらんぼキッス ~爆発だも~ん~

 

「♪好〜き好き好き(×4)」、「ハイハイ」などの合いの手を含んだ電波ソング。歌とセリフの掛け合う部分では単なる合いの手ではなく長めのセリフパートを挿入したり、「ハイハイ」といった合いの手に限らずKOTOKOが声優のようなパフォーマンスを見せる部分もあったりと、歌だけでなくセリフや合いの手など様々な仕掛けを含ませたエンターテイメント性や演出性の高い楽曲となっている[1]電波ソングブームの先駆けとなった作品の1つとして知られる[2]。制作陣のなかで「キュンキュン系」と称される方向性を持った楽曲

音楽ユニットMOSAIC.WAVのボーカル・み〜こはユニット結成時に、当時リリースされた本作から「こういう明るくて、楽しくて、ちょっと笑えるような曲調でいこう」と考えたと語っている

 

アダルトゲーム『DA・パンツ!!』が発売。

主題歌の強烈な世界観が典型的な電波ソング的要素を持つ。

DAパンツ!! 主題歌 PAPAPAPAPANTSUだってパンツだもんっ!

 

 

5月: 『巫女みこナース』が発売。柏木るざりん作曲の同名主題歌が流行る。

最初の語り部分、ぴこぴこサウンド、4つ打ち、良い意味で稚拙な歌、萌え系の言葉を使ったキメなど、完全に電波ソングです。

 

余談。「巫女みこナース」の「ときめき」と歌う箇所のリズムは、「Rydeen」のイントロ、「きみはホエホエむすめ」の一部、恋は渾沌の隷也」の「とかなんとか言ってもこんなに」と歌う箇所のリズムに類似していています。「だっこしてぎゅっ」でも確認できます。特に、発表年の遅い「恋は渾沌の隷也」は、極端にアップビート(裏拍)を強調していて、電波ソングの過度に強調するという伝統を踏襲しているようで面白いです。また、恋は渾沌の隷也」は、ドンパンのリズムが基本で、由緒正しき電波ソングという感じがします。

 

Colorful Kiss - OP / 「カラフルキッス ~12コの胸キュン!」がリリース。

 

8月:『やっちゅーロボ-MEGA・みなみん-長崎みなみ-MEGAやっちゅーキャノン』のリリース。後に発表される「恋のミクル伝説」のように「下手な」歌い方をする電波ソング。リズムはドンパンが基本。

 

12月:「きみはホエホエむすめ」を歌っていた桃井かおりの所属していた音楽ユニットUNDER17が、『美少女ゲームソングに愛を!!』がリリース。

その中の1曲。やはり、リズムはドンパンが基本。

「Under17 - 天罰! エンジェルラビィ☆~ですver.~」

 

その他、2003年は電波ソングにとって豊作の年だった模様。

第一回 電波ソング人気投票 萌え電波系部門

 
2004年

2ちゃんねるの訪問者が700万人を超え[15]、Alexa Internet社の世界ウェブサイトのアクセスランキングで34位となった

 

電車男」がヒットし「アキバ系」文化が注目を集める。「メイドコスプレ」と共に同年のユーキャン流行語大賞にノミネート。

 

4月:『CLANNAD』が発売。Keyの前2作である『Kanon』、『AIR』が18禁のPCゲームとして発売されたのに対し、本作は全年齢対象のPCゲーム。

 

7月:ave;newが結成された

 

10月:有限会社MONACA 設立 

ナムコを自主退社した神前暁が2005年に参加して以降、アニメに力を入れるようになる。

 

MOSAIC.WAV結成、8月には初のシングルMagical Hacker くるくるリスク」がリリースされた。結成当初は貸切のメイドカフェ等でPCゲーム題歌カバーライブを行っていたこともある。初シングル「Magical Hacker☆くるくるリスク」のリリースは5月。あまり電波感はないですが、ドンパンのリズムは見られます。

彼らは、典型的なゴチャゴチャとした電波ソングの文脈ではなく、電波系ポップスの文脈として理解すべきか?

  

2005年

4月 - OVAMUNTO~時の壁を越えて~』のBGM、ED主題歌を神前暁が担当

MUNTOは、京都アニメーションのスタッフ自らがオリジナル企画を立ち上げ、製作・販売までのすべてを自社で行う「京アニプロジェクト」の第1弾として製作された作品。

 

5月:『THE IDOLM@STER』(アーケードゲーム)の稼働開始

 

「True my heart」がリリース。かなり現代アニソンに近付いたかも? 

 

2006年

mosaic wav 「最強まるばつ計画」

4月:アニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』放映開始(7月まで)

あべにゅうぷろじぇくと 快盗天使ツインエンジェル

「魔理沙は大変なものを盗んでいきました 」が発表。

意味不明な歌詞と電波ソング的なドンパンのリズムを基本とした曲。

 

2005年の「True My Heart」的なものと、「魔理沙は(以下略)」的なものが組み合わさり、2007年の神前暁の「もってけ!セーラーふく」に繋がる気がしなくもない?

 

2007年

1月: 「ニコニコ動画(β)」としてサービス開始し、1月の月間ページビューが1億を超えたことを発表。

Xbox 360版の『THE IDOLM@STER (Xbox 360)』が発売。この後ライブシーンやストーリーを気軽に楽しむ、という潮流が顕著になり[8]、また同時期にサービスが開始されたニワンゴニコニコ動画上でゲームのライブシーンにアイドルマスター外も含めた様々な音楽を組み合わせた動画(「ニコマス」と呼ばれている[9])が多数投稿

 

Imoutoid が、「 はなはず☆じぇーむす!! OP[そうあい?4Seasons」を発表。

彼は当時14歳でしたが、電波ソングの文脈で重要な役割を果たしてきた萌え文化、ゲームミュージック、クラブミュージック、ポップスの全てに極めて深い理解があり、それを自分の作品に落とし込むだけの制作能力を持ち合わせていました。電波ソングやアニメソングの新たな可能性を示しました。

アニソンテクノリミックスするヤツはいっぱいいるのに、

なんでテクノアニソンリミックスするヤツはいねえの?」

ってことで、RichardさんことAphex Twinの名曲"4"を、電波ソング風にアレンジにしてみました。

imoutoid<帰ってきたファミコン宇宙人> - DIG@BOOKOFFより引用

若くして亡くなりましたが、「もし」があったとするならば、同年に「もってけ!セーラーふく」を発表した神前暁と並ぶ巨匠となっていたに違いありません。偶然というには出来過ぎですが、神前暁の弟子で、現代アニメソング界のトップとも言える田中秀和は、影響を受けたアーティストにImoutoidを挙げています。

 

4月:『らき☆すた』アニメ放映開始(9月まで) 。

神前暁「もってけ!セーラーふく」が誕生。

極めて重要な曲です。これ以前と以後で線が引けます。

曲は洗練されたものになり、リズムも単純ではなくなっていますが、ドンパンの基本構造は生きています。

既にその兆候が見えますが、この曲以降の電波ソングは、アニメソング・アイドルソングに接近していく気がします。ドンパンのリズムの登場回数は減り、電波ソングに内包されていた萌え、曲中での語り(お喋り)などの全部盛りが無くなり、さまざまな工夫を加える時代が到来します(本当か…?)

 

 

8月31日 - クリプトン・フューチャー・メディア、「キャラクター・ボーカル・シリーズ 01 初音ミク」を発売

 

9月:ニコニコ動画に『みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』が投稿

 

2010年

前山田健一 「な・り・あ・が・り☆ 」

ドンパンのリズムが聞ける

2011年

前山田健一 「わが名は小学生」

ドンパンのリズムが聞ける

 

2013年

「 恋するフォーチュンクッキー」

ドンパンのリズムが聞ける

 

 

参考リンク

電波ソング、その起源と隆盛 – はろさんはろさん、聞いてください。

【メモ】電波ソングの起源についての一考察~萌えと悪ふざけとアイドルポップの系譜~ - 今私は小さな魚だけれど

電波ソングについて - はろぶろ。

Adult Game Vocal Collection
90年代から現在に至るまで大量のPCゲームの主題歌のリストがまとめられています。

気合いのある人は、読むと良いです。

*1:こちらの記述によれば、「ヲタ芸の起源はもともと1970~80年代に生まれたアイドルを応援する掛け声や動きで、2000年代にハロー!プロジェクトのコンサートで「オタ芸」という名称が生まれました」とのことです。

ヲタ芸とは?歴史や文化、技を徹底解説! | ヲタ芸タイムズ

*2:大都会に存在する日陰者の集まる地区で生まれたDIYカルチャーという点で、ヒップホップと電波ソングには不思議な繋がりがあるようの思います。

(編集後記)「日本音楽とはいったい」とはいったい

このブログは極少数の同志(?)に向けて書いているもので、私自身それで良いと思っています。なので、「日本音楽とはいったい 」(以下:あの文章)が、やたら多くの人に読まれている(読まれた)ことに若干の驚きがあります。

 

はじめに、なぜあの文章を書くに至ったかに軽く触れておきます。最近日本音楽に関する本で読んでいることと、自分のライフワークと化している曲の分析をしている際に発見したことが自分の頭の中で結びつき、後輩に「こういう発見があった」と話をすると、彼がいたく感動していたので、せっかくなら自分の頭の中の整理も兼ねてという気持ちで書きました。

しかしながら、あの文章の冒頭で「用心して読んでください」と書いている通り、眉に唾をつけて読んでほしいという思いがあります。なぜなら、あの文章は、Wikiや自分の分析から論文まで硬軟織り交ぜた一定(何かしらの?)の根拠を示しつつ書いたつもりですが、根本にある考えは、仮説を立て、データを集め、検証するという科学的なものではないからです。むしろ、軽視されがち(と個人的に思う)な「邦楽(あの記事おける日本ポピュラー音楽)」を強く肯定し、現時点の自分と同じ違和感を覚えている人たちの足場を確かなものにしたいという極私的かつ傲慢な“気持ち”から出発したもので、科学的な態度とは非なるものです。したがって、肩肘張らずに「こういう考えもあるんだな」くらいの気持ちで読んでもらえると嬉しいです(≒助かります)。

 

例えば、5音音階(日本的)と7音音階(西洋的)の二項対立という極めて単純なカタチでの図式化をしましたが、自分の知る限りの知識でまとめるための苦肉の策で、本来的な日本音楽のあり方とは異なると思います。いわゆる西洋音楽理論をベースに論を進めましたが、私に邦楽の理論的素養がないため、極めて強引な還元にならざるを得ず、こぼれ落ちた情報が多分にあると思います*1。月並みですが理想としては、邦楽と洋楽の両方に対して十分な知識や経験を得た先に得られる巨視的な視点のもとで書かれるべきです。したがって、私は、邦楽に対して“極めて失礼な”態度で「日本音楽とはいったい」を書いたことになります。断罪されたとしても何の文句もありません。

 

またあの文章では、日本の行く末を憂慮する偉そうな締め方をしましたが、そこまで悲観する話でもないのかもしれません。近年、世間(?)がシティポップブームに沸いているなど、「日本臭さ」の再評価の兆候*2が見えるからです。願わくば、それが継続し、服部良一美空ひばり、森進一など、より古い「日本臭い」アーティストが、ボブディランやビートルズなどと同様に「時代の(かつて)音」として消費されるのではなく、普遍的な魅力を孕んだ美しき伝統として評価されるまでに発展し、より多くの人がファッションや逆張りとしてではなく、肩で風を散らしながら「大好きなのは邦楽です」と言える日が到来することを祈ります。

 

最後に急造ではありますが、(ほぼ?)日本の音楽でまとめたプレイリストを公開しておきます。よければ作業しながらでも、腰を据えてでも流してみてください。

 

「選曲が古すぎる」とのアドバイス苦情)をいただいたので、70年代以降の音楽が聴けるように【B面】を作成しました。(1月30日追記)

 

 

日本の音楽【B面】

70年代以降の素晴らしい日本の音楽が聴けます。

異種交配が進み、技術革新による個人制作などの可能性が徐々に開けていく時期で、非常に多様な“日本らしい”音楽が誕生する時期です。

断腸の思いで選曲しました。捨て曲ゼロです。

 

*1:例えば、邦楽を語るのであれば、テトラコルドによる分析が散見されるので、それを導入するのもひとつの手かもしれません。日本語とリズムとの関係についてはまだ言語化して明確に理解していません。この辺りをいくらか読んでみると理解が深まるかもしれません。私も読みます!

「同じ旋律で日本語歌詞による歌唱と 英語歌詞による歌唱のリズム表現の違い」

http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/bitstream/10191/6710/1/10

「日本語のリズムに関わる基礎的考察とその応用」

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/8776/07-06.pdf

*2:ただ、それは海外発信の日本再評価の流れに乗っただけという可能性も十分にありますが、結果的により多くの人が日本音楽に関心を持つようになったのですからあまり硬く考えない方がいいかもしれません?

日本音楽とはいったい

去年から日本音楽のことを度々調べます。理由は以前ブログに少し書きましたが、“日本の洋楽”*1について思うところがあるからです。しかし、いつまでも感情論を振り回していても仕方がないので、日本における西洋音楽の受け入れられ方を調べ、自分なりに日本音楽とは何かを探ってみました。なるべく根拠を示しつつ書きたいですが、妄想も混ざると思うので用心して読んでください。

 

日本と西洋音楽との関わりは、ザビエルにまで遡ります*2。そして、その後の展開は、ペリー来航などとも関連があるのですが、書き始めるときりがないので、明治以降に焦点を合わせます。

明治時代、本格的に日本音楽の西洋化が始まりました。きっかけは、音楽教育の開始です。そして、そのための教科書作成にあたって中心的な役割を果たしたのが伊沢修二です。彼はアメリカ留学時代の音楽の師メーソンを日本に招聘し、彼と共に日本の音楽教育の基礎を作りました。少しだけ具体的なところに触れておくと、メーソンはバイエルを日本に導入した人物です。他方伊沢は、東京音楽学校(後の東京芸大音楽科)の初代校長に就任しています。 当時の伊沢の方針についてWikiから引用します。

明治のはじめ、日本の音楽教育については、西洋音楽を日本に移植してそれのみを教育する、日本固有の音楽を育成発展させる、西洋音楽と東洋音楽の折衷、の3つの意見があった。伊沢は、折衷案をとり、その実現のための準備事業として、東西の音楽を折衷した新曲の作曲、将来の国楽(国民音楽)を興すべき人物を育成するための教育、諸学校に音楽を実施し、その適否を確かめるための実験の3つを挙げた。そのため、洋楽雅楽俗楽清楽の調査研究を行い、それらをすべて五線譜に採譜すべきものとした。この研究は、日本の音楽が野蛮で劣るものとされた当時において、西洋音楽の直輸入により日本音楽が抹殺されるのを危惧し、特に日本の音楽と西洋の音楽に違いのないことを証明するのが目的であったといわれている 
音楽取調掛 - Wikipedia より引用

(細かいところが気になる人は、「音楽取調二付見込書」と調べてみると良いです。「東西二洋ノ音楽ヲ折衷シテ新曲ヲ作ル事」という方針が掲げられていることを確認できます)
 

この記述を音楽的に解釈すると、伊沢が、日本に西洋音楽を持ち込むのであれば、日本伝統の5音音階と西洋伝統の7音音階の衝突が避けられず、最終的に5音音階が7音音階に取り込まれてしまうことを危惧していたことが読み取れます。さらに、彼が折衷案を支持していことから、芸術的な意味では7音音階は5音音階よりも必ずしも優れたものではないという考えも読み取れます。

 

伊沢が作成に携わった教科書に収録された曲を見ると、日本の5音音階の世界にいかにして7音音階を導入するかに苦心した跡が見えてきます。例えば、日本と同じ5音音階を多用するスコットランド民謡が収録されています。耳馴染みのあるスコットランド民謡「蛍の光」はここから来ていた訳です。「蛍の光」のメロディは5音音階でできています。他にも「庭の千草」というスコットランド民謡も教科書も収録されています。ただし、この曲のメロディは、基本は5音音階+1音(7度の音)で主に構成されていて、僅かに6度♭も登場します。恐らく、より5音音階に近い曲を採用しようとした結果と思われます。

また、アメリカ音楽の父と称されるスティーヴン・フォスターの曲も、日本の音楽教育に一貫して組み込まれてきました*3。彼はスコットランド音楽に大きな影響を受けた音楽家です。日本で愛されている彼の曲「故郷の人々」のAメロは5音音階で構成されています。Bメロは5音音階+4度+7度の音(つまり、普通のドレミファソラシド(メジャースケール))です。ただ、私の印象に残っていたのは不思議と5音音階の使われているAメロ部分でした。一体なぜでしょう。

上で述べた通り、「蛍の光」「故郷の人々(のAメロ)」に共通するのは5音音階で構成されていることです。一方、「庭の千草」はそうではありません。西洋音楽(7音音階)の導入は始まったものの、当時の多くの人々が5音音階に親しみを覚えため、「庭の千草」ではなく「蛍の光」や「故郷の人々」が現代に至るまで脈々と歌い継がれてきたと考えると中々に浪漫があります。試しに「故郷の人々」を聴いてみてください。Aメロの方に“日本らしさ”を感じませんか?。Bメロは賛美歌のように聞こえます。

 5音音階は郷愁を誘う雰囲気を持つがわかってもらえた(?)と思います。一方で、 5音音階から逸脱した要素が日本に導入されつつあることも確認できます。この曲であれば例えば、Bメロの始まり「な〜が♪」の部分が5音音階には含まれない音(M7th)です。

 

さて、がんばって話を進めましょう。

身近な例として岡野貞一の「故郷」を使います。「故郷」は、1914年に小学校6年生用の教科書のために作曲され、今なお多くの日本人に故郷を喚起させる名曲として親しまれています*4。しかしながら、「故郷」のメロディは日本伝統の5音音階の枠を明らかに逸脱しており、7音音階を自由に動き回ります*5。さらに、和声法や対位法の音楽理論上の完成度の高さを指摘する論文もあります*6

したがって、私(我々?)が「故郷」を聴いた際に感じていたノスタルジー(故郷感)は、日本伝統の5音音階に由来するものではありません。語弊を恐れずに言えば、音階的観点から言えば、「故郷」でさえも我々の純粋な故郷ではなかったです。「故郷」は遠い昔の曲に感じますが、その当時でさえ邦楽と邦楽の結びつきは分かち難いものになっていました。

 

では、日本古来の伝統音楽*7を除いた純粋な日本音楽というものは、一体どこにあるのでしょうか。発見するには西洋音楽流入以前の音楽に遡るしかないように思われますが、それ以外の道もあります。「純粋な日本音楽」という固定化した観念を捨て去り、日本生まれの和洋折衷音楽に新たなる日本音楽の純粋性を見出すという道です。例えば、「故郷」は5音音階で作られていないにも関わらず、「蛍の光」に似た日本的郷愁を感じさせます。「故郷」は和と洋のどちらも否定することなく、高い次元でその両方を融合させることに成功しています。

「故郷」を例にしましたが、もう少し一般化させて考えることができる気がします。言うなれば、明治の西洋音楽流入が本格化して以降の日本音楽“固有”の魅力の多くは、和洋折衷に集約されるのではないかと。

 

では、日本音楽の和洋折衷に着目して歴史を少し振り返ってみます。

岡野貞一から20年ほど時代は進みますが、服部良一は群を抜いているように思います。彼は、コテコテの演歌の香りのしない極めて現代的な歌謡曲を書きます。また、後の「イエロー・サブマリン音頭」や「パープルヘイズ音頭」を思わせる「三味線ブギウギ」という明らかに和洋折衷を意識した曲も制作しています。(個人的には、米田正夫も推しておきたいです。)

 

しかし、綺麗なカタチでの和洋折衷ばかりという訳にはいきません。洋楽絶対主義が台頭してきたからです。敗戦後GHQの指導の下に行われた従来の日本的価値観の解体とそれに伴う近代合理主義の台頭、強まるアメリカ文化への憧憬が複雑に絡み合い、理論的に整理されていない非合理的な邦楽は近代化のために捨て去らなければならない遺物であって、体系的に整理された合理的な洋楽を絶対視する価値観が支配的になりつつありました。1948年、その価値観が表面化した事件が起こりました。当時の東京音楽大学校長の小宮豊隆が邦楽科を廃止する提案をしたのです。どこかの馬鹿がアメリカに気触れたのかと思うかもしれませんが、小宮は東京帝国大学在籍中から夏目漱石の弟子で、日本伝統芸能にも心得があったと言われています。詳しくは長くなりすぎるので割愛しますが、このあまりにも馬鹿げた提案は最終的に実現こそしませんでしたが、その主張が危うく通りかけたことは事実です。そして、邦楽を低級なものとする考えを当時の少なからずの洋楽愛好家が共有していたことも恐らく間違いないでしょう。今にも通ずる洋楽絶対主義は、もうこの時にはもはや無視できないほどに拡大していました。その約20年後に起こる日本語ロック論争に通ずるものがあります。さらに言えば、日本語で歌うアーティストよりも英語で歌うアーティストを「本格派」として盛んに持て囃す今にも通ずるものを感じます。

 

20数年ほど時を進めると(飛びすぎで申し訳…)、日本語ロックの象徴、はっぴいえんどが登場します*8。彼らの音楽は、和洋折衷そのものです。自説を支持してくれそうな記事をThe New York Timesから引用します。 シカゴ大学で日本の文学と文化を研究するマイケル教授のはっぴいえんど評です。

“They tried to find a way out of what was really an impossible choice by trying to do a music that was neither Japanese nor American,” Professor Bourdaghs said in an interview. “What they created was sort of an artificial form of Japanese, an artificial form of America.”

The Hidden History of Japan’s Folk-Rock Boom - The New York Times

 

はっぴいえんどは、日本でもないアメリカでもない“人工の何か”を作り出した訳です。岡野貞一、服部良一と同じく、彼らもまた和洋折衷に成功しました。

また、全く異なる文脈ですが、1967年には武満徹が「ノヴェンバー・ステップス」を作曲しています*9。オーケストラに和楽器を導入したこの作品が、バーンスタインをはじめとした多くの音楽家に激賞されたことが、この作品がいかに優れた和洋折衷であったかを物語っています。

 

再び時代は飛びますが、 90年代は、明治以降の和洋折衷の日本音楽の歴史においてとても象徴的な意味をもっている気がします。なぜなら、数多くのジャンルのアーティストが共時的な西洋の動向に素早く反応・消化し、高次元の和洋折衷に成功したからです。勿論、日本人アーティスト全体の話ではないですが、彼らの音楽からは「洋楽の真似しようと思えばできるけど、それではつまらないよね」という声が聞こえてきます。一部の先進的な日本人アーティストは、もはや洋楽としても違和感のない音楽に手が届いていました。しかし、彼らは単純に模倣するのではなく、自らのバックグラウンドとの融合を模索しました。

 

まず先に日本人の洋楽サウンドを少し確認しましょう。

90年代にhideが進めていたZilchというバンドの「Electric Cucumber」を聴いてみましょう。90年代に勢いを増したNine Inch Nailsを筆頭とするインダストリアルロックに影響を受けた曲です。もはや言われなければ日本人とはわからないと思います。

 

かなり方向性は変わりますが、90年代前半にリリースされたSoul Ⅱ Soulの「Keep On Moving」のプログラミングを屋敷豪太という日本人が担当していると誰が気付くことができるでしょう。メンバーでさえ、屋敷豪太の音を初めて耳にした時、黒人の大男をイメージしたそうです。


 リンクは貼りませんが、リリースは89年ですがフリッパーズ・ギターの『three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった』も好例だと思います。

 

日本人の手による洋楽サウンドを確認したところで、90年代の日本で見られた同時多発的な和洋折衷音楽の話を進めましょう。

上に挙げたhideはそのひとりです。彼は、Zilchで培ったインダストリアルロックの要素を日本歌謡曲のフォーマットに落とし込み、98年に代表曲「ピンクスパイダー」を生み出しました。また、フリッパーズ・ギターは、全編英語詞を捨て、全編日本語詞の『CAMERA TALK』を90年にリリースしています。*10

これ以上は、きりがないので名前を挙げるだけに留めますが、90年のフリッパーズギターの『CAMERA TALK』に始まり、93年のフィッシュマンズの『Neo Yankee's Holiday』、98年にゆらゆら帝国の『3×3×3』、99年に2月に椎名林檎の『無罪モラトリアム』のリリースもあります。さらに、日本のヒップホップが大きく花開いたのも90年代です。MICRO PHONE PAGER、キングギドラ、ライムスター、Blue HerbDJ KRUSHスチャダラパー小沢健二の「今夜はブギー・バック」、Lamp Eyeの「証言」など重要なアーティストや作品が密集しています。

 

まだ挙げていない極めて重要な作品があります。宇多田ヒカルの『First Love』です。90年代が終わり、来たる2000年を迎えようとしていた1999年の3月に『First Love』はリリースされました。当時15歳の日系アメリカ人の少女は、和と洋を見事に接続したアルバムを制作し、日本におけるアルバム売上枚数歴代1位の記録を塗り替えました。さらに彼女は、演歌から歌謡曲まで自在に歌いこなす押しも押されもせぬ偉大な歌手、藤圭子の娘でした。本当に出来すぎた話だと思います。これまでの日本音楽界の和洋折衷の歩みに花を添えるかのようです。この記事を熱心に読んでくれた人には、この驚きと感動が伝わったかもしれません。

 

少し本旨から外れますが、どうしても書いておきたいことがあります。平成も終わりに差し掛かる2018年、宇多田ヒカルが『First Love』と対となるかのようなタイトルを付けた『初恋』をリリースしたことについてです。彼女が日本を意識していることは前作『Fantome』からもわかります。「真夏の通り雨」のサビのメロディが日本伝統音階(都節音階)でできていて、そのリズムが「阿波踊り」に近いことが指摘されています*11。ただ、音階の部分を補足しておくと、一時的にフリジアンになっているので厳密な日本音階ではないです。

面白いことに「真夏の通り雨」のサビと「初恋」のサビはよく似ています。是非聴き比べてみてください。本格的な海外進出に乗り出したこともある彼女がなぜ“今更”日本語にこだわったのか。『Fantome』以降、なぜ日本語の曲名が増えたのか。それはこの記事を読んでくれた人には伝わっているはずです。ただ一点、残念だったことはアルバムの曲順です。「First Love」は4曲目で「初恋」は3曲目です。プロデューサーは意地でも曲順を合わせるべきでした。

 

さて、なんとか締めにかかります。

美しいことばかりを書きたい訳ではないです。宇多田ヒカルのコメントを引用します。

「今時の J ポップにあまり無いような、少し古風な日本語の歌を書きたいと思って産まれたのが『真夏の通り雨』です」

https://qetic.jp/music/vmaj-161027/217581/2/

この発言と似たことを私個人も感じています。つまり、“日本らしい”音楽の喪失です。

 

明治以降、日本音楽には西洋の血が流れ、邦楽と洋楽の対立が不可避的に生み出す緊張を保ちながら発展(変化)を続けてきました。勿論、それは常に洋楽が優位な関係性です。そして幸か不幸か、洋楽が占める比重は年を追うごとに増しているように思います。それは日本に限った話ではなく、世界中で同様の現象が観測できます。Youtubeで世界中のヒットチャートを検索してみると、西洋化された均質的な音楽がチャートの上位を占めていることがわかります。肯定的な見方をすれば、「世界がひとつに」とも言えますが、個人的にはそれに強い忌避感を覚えます。そして、どうやらそれは自分だけではないようです。“洋楽”を制作している日本人アーティストの動画のコメント欄を覗くと、「〇〇に似てるって指摘あるけど、ここまで徹底していたらすごい」といったある種開き直った称賛が見られる一方、それとは対照的な「個性が感じられない」という指摘もあり、少なからずの人たちが賛同している様子が見られます。私を含めたそうした違和感を抱いている人たちは、個々の民族が有するアイデンティティが希薄化し、西洋文化に一元化されることへの危機感を抱いているのかもしれません。その構造は、数学者の望月新一先生がブログ*12に書かれている「心壁論」で見事に説明されています。詳細は述べませんが、私と似た人は、「壁への餓え」を感じているのだと思います。

多少洋楽の影響を受けることは大きな問題ではないと思いますが、西洋的物差し(評価基準)が支配的になることには強い抵抗があります。先述の通り、それが行き過ぎると西洋文化が包摂することのできない世界の多様な文化*13が失われてしまうからです。その極北が、自らのアイデンティティ否定し、必死に漂白や黒染めを繰り返して誕生する“〇〇(国の名前)の洋楽”です。そんな音楽を聴く度、ラヴェルガーシュインに言った言葉を思い出します。

"Why should you be a second-rate Ravel when you can be a first-rate Gershwin?"
Misunderstanding Gershwin - The Atlantic

西洋音楽というものは、各々の文化が有する一流の音楽を完全に捨て去ってまでして達すべき桃源郷なのでしょうか。盲目的に西洋の伝統を追いかけることより、本来的には混ざり得ない伝統を混交(あるいは対立)させることに可能性があると思います。それは実は、岡本太郎を終生貫いていたテーマでもあります*14。彼は「人類の進歩と調和」がテーマとして掲げられていた大阪万博において、そのテーマと真っ向から対立する「原始的な」巨大建造物(太陽の塔)を考案しました。彼の考えが正しかったのかどうかは、今尚見た人に強烈な印象を与え続ける太陽の塔の姿を思えば自ずとわかることだと思います。

最後に岡本太郎と同じく、西洋への安易な迎合を認めない態度を示していた武満徹が綴った言葉を引用して終わりにしましょう。

他との様々な触れ合いによって自らの内なるものを純化し、また深めていかなければならない。これは、邦楽器を用いれば即ち日本の音楽が生まれるとするような単質な発想とは凡そ無縁のことです。
『音・ことば・人間』武満徹川田順造 p.200

 

先回の結びに、邦楽器を用いれば即ち日本の音楽が生まれるとするような、此頃の安直な風潮について記したのですが、日本の音を、それが求めもしない西洋の形式に無体にも封じ込めようとするような不自然さを、どうして気付かずに(私たちは)冒してしまうのでしょうか?

『音・ことば・人間』武満徹川田順造 p.242

 

 

以下、デザートです。 

西洋人による(虚構としての)和洋折衷を見てみましょう。ただ、正直あまり日本日本していないので、下で補足します。結構有名ですが、ダフトパンクのメンバーの父です。

 

ほぼ同型のメロディを繰り返すあたりがよく似ています。彼が台湾のブヌン族を知っていたとは思いませんが、ネパールのフォークソングにも同様の形式を観測したので、日本というよりは恐らくアジア全体を参照したと思われます。

 

筆者がまとめた日本音楽のプレイリスト。70年代以前の古く素晴らしい音楽が聴けます 。友達に良い音楽を紹介する時の気持ちで選曲しました。

日本の音楽【A面】

70年代以降をまとめたプレイリストの【B面】は、以下の編集後記のおまけとしてあります。【B面】は、多様化した日本音楽が聴けるような選曲にしました。

 

(追記2019年1月27日22時頃追記)

想像以上に多くの人に読まれていて驚いています。この記事の問題点などを編集後記としてまとめました。70年代以降の音楽が聴ける筆者作成のプレイリストのおまけもあります。


 

参考資料

 

1.「日本人の知らないスティーヴン・フォスター」宮下和子

http://www.caj1971.com/~kyushu/KCS_03_Miyashita.pdf

フォスターの作品が、もはや日本の文化として深く根を下ろしていることがわかります。日本とアメリカ(とスコットランド)を繋ぐ壮大な物語です。あまりの美しさに涙がでそうになるくらい感動しました。

2.「小泉文夫の伝統音楽研究:民族音楽学研究の出発点として」福岡正太

東京芸大の事件に詳しいです。洋楽派が邦楽を軽視していたことがよくわかります。他方、異なる伝統には異なる尺度を用いる重要性を説き、邦楽を擁護した先生方は偉大でした。

3.「心ある壁」を構築し、維持することの重要性望月新一

昨今の国際関係上の問題点を冷静に分析しながらも、そこに込められた熱に圧倒されます。

4.「宇多田ヒカル真夏の通り雨」講義 ―――「ポピュラーカルチャー論」の教材として」https://core.ac.uk/download/pdf/156876581.pdf 石井正人

授業用の資料です。結びに書かれている「ポピュラーカルチャーの賢い消費者、主体的で創造的な愛好家を育てるために、作品評価の科学的方法を伝えることが筆者のこの授業の目的であった」という言葉が自分に刺さります。

4.「岡本太郎の“対極主義”の成立をめぐって 」 大谷省吾

結論部分で触れた、岡本太郎の思想について書かれています。

5. 『音・ことば・人間』武満徹川田順造

言わずと知れた音楽家武満徹文化人類学者の川田順造との往復書簡です。「伝統と日本的なるもの」と「日本の音」の章は日本音楽をいかにして捉えるかの端緒となりました。武満が極めて論理的な人間であることが伝わります。ただ一方で、彼はそれに拘泥することなく、感覚的な(あるいは人間的な)部分も大切にしていたような気がします。川田の文章も武満に勝るとも劣らず素晴らしく、全体を通して美しい筆致です。読めば人間性が回復します。

6.『呼吸する民族音楽小泉文夫

本文では直接触れていませんが、西洋化を考える上で非常に参考になりました。最初の章で、西洋音楽がアラスカ・エスキモーに忍び寄る様子が描かれています。(派遣された?)音楽教師は、夫婦で見事なユニゾンを見せることさえある優れた音楽性を持つアラスカ・エスキモーの「音痴」に手を焼いています。自らの民族性とかけ離れた西洋音楽教育を押し付けられ、固有の音楽(文化)が失われてゆく姿は、果たしてアラスカ・エスキモーだけに見られる光景と言えるのでしょうか。

 

*1:元ネタを知っている人であればそれは明らかなので、元ネタは書きません。あまり音楽に詳しくない同居人でさえ、「なんか似てない?」とよく言います

*2:もう少し細かいことはこの辺を読むとわかりやすいかもしれません。「西洋は長崎から~「洋楽」長崎とキリシタン音楽」

*3:詳しくは参考資料の「日本人の知らないスウィーヴン・フォスター」を読んでください。個人的には涙が出るくらいの感動がありました。

*4:7音音階を使用するこの曲が6年生(最終学年)の曲として収録されていたことには、明らかな教育的意図を感じます。

*5:岡野は14歳の頃に洗礼を受けたクリスチャンであり、宣教師からオルガンの教え受けていたことがそれを可能にしたのだと思います

*6:尋常小学唱歌「故郷」における一考察

http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/27123/1/KKJ0029_023-030.pdf

*7:三味線は沖縄から、さらに言えばペルシャやアラビアから伝来したものですし、雅楽は中国に由来します。身もふたもないことを言えば、純然たる伝統音楽というものは虚妄なのかもしれません。

*8:グループ・サウンズも無視してはいけないところですがまだ勉強中です…

*9:余談ですが、この当時、武満徹はビートルズのサージェントペパーズを熱心に聴いていたそうです

*10:余談ですが、日本語にこだわるその後の小沢健二の活動のことを思うと、ここは大きな転換点だったと思います。また、面白いことに、全編日本語詞にも関わらず、彼はアメリカレコーディングを敢行し、『Eclectic』(折衷的)というアルバムを制作しています。

*11:「宇多田ヒカル「真夏の通り雨」講義 ―――「ポピュラーカルチャー論」の教材として 」https://core.ac.uk/download/pdf/156876581.pdf

*12: 「心ある壁」を構築し、維持することの重要性

*13:わかりやすい例を挙げるとすれば、インドネシアのガムランが挙げられます。ガムランは1オクターブを12等分する所謂12平均律の世界ではありません。彼らは、1オクターブを約5等分するスレンドロ音階と、不均等に7分割するペロッグ音階を“主に”使用します。さらに、別の地域では別の音階が使われることもあるようです。とても有名な話ですが、ドビュッシーはガムランに強い影響を受けたと言われています。また、ジョン・ケージもガムランに影響を受けた曲を書いています(John Cage - Sonata V )。ビョークは10代の頃からガムランを聴いていて、ガムランからインスピレーションを受けた新しい楽器を開発しています(björk: gameleste )。もっと聴きたい人は「Crystalline」をどうぞ。

*14:岡本太郎の“対極主義”の成立をめぐって |

今年聴いた音楽ベスト+ベストアルバム2018

 

今年は、現行ものはほとんど聴きませんでした。 つまみ食い的にMitski、BTS、Snail Mail、Lotic、Objektなどの流行り物(?)に手を出したりしてみたものの、どうにもしっくりこない。いつのまにか耳が慣れてしまった海外インディものより、エーチャン(E.Yazawa)が新鮮で胸に刺さる。そんな1年でした。

 

Spotifyを活用して、記事と連動したプレイリストを作成しておきました。

2018 My Favorite Songs

https://open.spotify.com/user/parappathe/playlist/22KorXQi2dSge88XldiaDy?si=1KRBO8FnQUeEiUlCXjUe_g  

これを聴いてもらえると色々わかると思います。 今年追加したものの中から適当に放り込んだのでリスト外の曲もあります。正直、「この曲リストに入れ忘れてた」みたいなものが大量にあって困りました。

 

ふと気付いたことですが、自分は、音楽を選ぶにあたって、なにかと仮想敵を想定する癖があるようです。例えば、アンチ邦楽、アンチメジャー、アンチインディーズ至上主義、アンチ新しい至上主義、アンチ名盤主義、アンチ洋楽などが挙げられます。そうした否定(アンチ)をエネルギー源にしてきたような気がします。理由はおそらく、意識の根底に「自分が気持ちがいいと感じるものばかり選んでいると音楽の幅が狭まる」という考えがあって、かつての自分を意識的に否定して新たなものを入れるためのスペースを用意しているからだと思います。

 

自己精神分析もほどほどにして本題に移ります。 

今年は、適当な理由を付けて後回しにしてきた日本の音楽を柱に据えて音楽を聴きました。自分が知らない作品を聴くことは勿論、自分が過去に聴いていた作品の洗い直しもしました。結果、「オールジャンルなんでも聴きますよ」的なことを言う中高生が作りそうな散らかったリストが出来上がりました。大変に恥ずかしいです。

しかし、「これを聴いてる俺って趣味良くない?」といった自惚れは、音楽自体の価値とは関係のないことです。有名どころのJ-Popなんぞは早めに卒業して、David Bowie、Can、Brian EnoVelvet Underground*1や、海外インディとその周辺から影響を受けたような音楽を聴いていたら「趣味・センスがいい」といった価値観や風潮に抗って「J-Pop最高です!」と高らかに宣言したいです。今となってはどことなくオシャレアイテム感の漂うシティポップのように、J-Popにオシャレウェーヴが到来する日もそう遠くないはずです。最先端を先取りしていきましょう。

 

冗談はさておき、日本の音楽を再考するために「今年注目のおすすめ邦ロック100選」のようなものをひたすら聴く作業をしたりもしました。心理的負担は大きく、理解することができなかったものも多数ありましたが、日本の音楽に対する理解は深まりました。文字にすると当たり前に思えますが、多くの場合、“折衷的”に海外の音楽を取り入れようとしたところに日本音楽固有の魅力が生まれることを再確認できたことは大きな収穫でした。“折衷”は大きなポイントです。その意味で、海外音楽に強く影響されたにも関わらず、その影響を直接的に表現(英語で歌うなど)することなく自らの表現を模索し、日本語で歌うことを選択したゆらゆら帝国はっぴいえんど、2枚目以降のフリッパーズギター*2フィッシュマンズ*3などの偉大さが身に沁みました。彼らの音楽は“海外の何か”で代替することのできない日本の音楽です。

ちなみに「ファ ファ ファ ファ ミンゴ*4」は全然悪くないと思いました。今風のJ-Popにスパニッシュの要素を上手く加えていることもそうですし、歌詞もありがちな表現の羅列ということもなく、声ネタの使い方にも嫌味がなく、3コーラス目のAメロでの演歌的歌い回し(こぶし)も見事だと思いました*5

全く理解できない音楽は、なにかとハイハットの裏打ちを入れたがるサブカルの香りを漂わせたマイナー風メジャー系バンドや、薄っぺらい仲間意識を共有していそうな元気と感謝の押し売り系バンドに多かったです。ジャンルは様々でしたが、それらに共通していたのは、悪い意味でルーツが見えないことでした(良い意味でのルーツが見えないは最高の褒め言葉)。音に深みが感じられないとも言えます。過去を参照することなく、ただ己から出る音を鳴らしたと言えば聞こえは良いですが、それで上手くいくのは青葉市子*6ほどに並外れた才能がないと難しいでしょう。ただ、ルーツが見えていたら良いというほど単純な話でもなく、ルーツからの影響があからさまで「お前はそれをオリジナルと言い張るのか?」と感じる場面も多々あるので難しいところです。月並みですが、ルーツと自分の表現のバランスが重要なのでしょう。

 

前置きが長くなりすぎました。 2018年によく聴いた音楽リストは以下です。

 先ず注意事項をざっと書きます。

 

  • リストは、2018年リリース以外のアルバムも含みますが、リスト上部に2018年リリースでまとめました。実質それが2018年のベストアルバムです。
  • 表記は基本的に、アーティスト名『アルバム名』「曲名」で統一してあります。
  • 順序による重み付けはありません(順不同)。
  • アルバム名を書いてないアーティストは、基本的に曲単位では良かったことを意味しています。その他の場合は雰囲気で察してください。 
  • 特に気に入っている作品には「☆」を付けてあります。
  • リストの最後に、今年のベスト中のベストを選びました(2018年縛りなし)
  • 選考理由を言語化できている作品には脚注を使ってコメントを付記しました。長いものから短いものまで色々。思いつく限りの余計なことも書きました。

 

2018年ベスト

Altin Gun ☆『On』「Goca Dünya 」*7

Thought Gang ☆「A Real Indication*8

呂布カルマ 『SUPERSALTY』☆「ヤングたかじん」*9

安東ウメ子『Ihunke』(再発)

空中泥棒 ☆『Crumbling』*10

Michael Seyer『Bad Bonez』「 Show Me How You Feel (Eros)」

 IU(아이유) _ 「BBIBBI(삐삐) 」*11

Cornelius ☆「Audio Check Music」*12

Scott Gilmore ☆「Two Roomed Motel」(アルバムは来年リリース)

Janelle Monáe 「Make Me Feel 」*13

Ekiti Sound 「 Ife 」

Spiritualized  「I’m Your Man

Blood Orange & Yves Tumor  「Smoke (feat. Ian Isiah) (Remix) 」

Viagra Boys  「Sports」 *14

ENDRECHERI(堂本剛)☆「HYBRID FUNK」*15

 

歴史系

※この区切りは、情報を書かないと理解できないと思うので、脚注ではなく、そのまま簡単な解説を付記します。

 

Miss Kittin & The Hacker 「Frank Sinatra」(1982)

Electroclash というジャンルの代表曲。シンセの入った地下系インディポップの一つの源流と感じました。

 

The Last Poets 『At Last』 「The Courtroom」

初期ヒップホップグループ。1973年にこの音が鳴らされていたことに衝撃を受けました。。The Sugarhill Gang は1979年です。

 

John Field『Field:Piano Music Vol.1』「Nocturne No.5 in B-Flat Major」

ノクターン夜想曲)の創始者でもある19世紀の作曲家です。ショパンが巨匠中の巨匠であることは論を俟たないですが、音楽にはルーツがあることを改めて感じました。

 

Judus Priest 「Let Us Prey/ Call For The Priest (1977年)」

※選考理由がやたらに長くなったので別記事にすることにしました。

概要だけ述べておきます。

1977年、音楽的な意味では、Judus PriestはSex Pistolsなどのパンクロック(とりわけUKパンク)よりも「ロックの破壊者」でした。“ブルースからの脱却”を基調として、ロックンロールとそこから派生したロックを検証します。そして、パンクロックよりもヘヴィメタルの方が遥かに「ロックの破壊者」だったという結論を導きます。

 

1960~2017年

Howie Lee 『Mù Chè Shān Chū 』Cloud Lamps 」

Shye Ben Tzur Jonny Greenwood and The Rajasthan Express  ☆『Junun』 「Hu」*16

Stella Jang ☆「 (소녀시대) Girl's Generation 」☆「Dumped Yesterday」 *17

BANE'S WORLD 「you say i'm in love」*18

Audrey Hepburn「Moon River」*19

PREGNANT 「How Does It End? 」*20

☆60年代以前

*21

Léo Marjane 『Léo Marjane』

Blossom DearieBlossom Dearie

Lulu Jackson

Julie London『Julie Is Her Name(1955)』「I'm In The Mood For Love」

Danai 「 Htes To Vrady」

 

日本の音楽

松浦雅也パラッパラッパー2 オリジナルサウンドトラック』「 Toasty Buns」*22

Satoh Ryoko 「風まかせ(1973)」 詳細不明(discogsにも情報なし)

矢沢永吉 『EIKICHI YAZAWA LIVE DECADE 1990-1999』

☆「時間よ止まれ」「アリよさらば*23

☆河名伸江『のぶえの海』*24

SUPER BUTTER DOG 「FUNKY ウーロン茶」*25

椎名林檎 『無罪モラトリアム』『勝訴ストリップ

東京事変 『娯楽』*26

美空ひばり 『美空ひばり特選集』「みだれ髪」港町十三番地

☆喜納昌吉&チャンプルーズ 「 ハイサイおじさん」*27

花澤香菜 「恋愛サーキュレーション」(作曲者:神前暁)*28

神前暁  「もってけ!セーラーふく*29

細野晴臣 『TROPICAL DANDY』『HOSONO HOUSE*30

LAMP 『ランプ幻想』*31

hide with Spread Beaver  ☆「ピンク スパイダー」*32

Fishmans 『Neo Yankees'Holiday』「Smilin'Days Summer Holiday」

田中秀和 「Punch☆Mind☆Happiness*33

ストレイテナー  「KILLER TUNE」*34

Seira Mirror 「 Prince don't doubt」 *35

☆OORUTAICHI   「FUTURELINA」

☆ウリチパン郡   『ジャイアント・クラブ』「アトランティス」

坂本慎太郎 「死者より」

☆Plus-Tech Squeeze Box 『cartooom!』Dough-nut's Town's Map」*36

☆DJみそしるとMCごはん 『ジャスタジスイ』「缶詰ロワイヤル」「冷凍まんじゅう」*37

☆加山雄三 feat. PUNPEE「お嫁においで 2015」*38

☆FLYING KIDS 「毎日の日々」*39

面白いと感じたが、今の自分の耳では評価ができないと感じた人

INO HIDEFUMI 「奇蹟のランデヴ」

John Natsuki 「全部大嫌いだな」

星野源全般 「Pop Virus」  Snow Men」*40

Jacob Collier 「 With The Love In My Heart 」*41

 

今年のベスト

 

1. Danai 『As Erhosoun Gia Ligo (Authentic 78 rpm Recordings 1946-1957), Vol. 2』

「Htes To Vrady」

Danaiはギリシア出身の女性で不思議な経歴の持ち主です。音楽活動と並行して、チリの大学でギリシア民俗学や音声学の講師として働いていたり、チリ人のノーベル文学賞受賞作家、パブロ・ネルーダ*42と個人的な交友関係にあり、スペイン語で書かれた彼の詩をギリシア語に翻訳する作業を担当したなど、音楽よりも翻訳者としての仕事の方が有名だったようです。音楽的には、ギリシアの伝統音楽に凝っていたとのことです。どことなくシャンソンの香りが漂うのは、彼女がフランスで育ったからでしょうか。アルバムに収録されている「Misirlou」は聞き覚えがあると思うのですが、東地中海の伝統的な歌らしいです。Dick Daleにカヴァーされたヴァージョンが、Black Eyed Peasの「Pump It」にサンプリングされています。

 

 

2. Dywane "MonoNeon" Thomas Jr.『I Don't Care Today (Angels & Demons in Lo-Fi) 』 

動画の曲はアルバムで唯一の箸休め的な曲です。

年に数枚あるかないかの「一度に全部聴くの勿体ないから置いておこう」と思わされた1枚です。大半が1分〜2分程度の曲で構成されたビート集のようなアルバムで、Robert Glasper以降のジャズ、J Dilla以降のヒップホップ、D Anjelo以降のR&Bフュージョン、現代音楽が交雑し、音質はローファイ志向という強烈なニオイを発する音楽ばかりが収録されています。一貫してMonoNeonとしか形容できない音の洪水に最初はかなり面食らいました。今でも通しで聴くと相当疲れます。しかし、初めて口にした時は「リピートはないかな…」と思ったにも関わらず、クセが強く代替となりうるものが存在しないため、その強いクセを求めて再び足を運んでしまう二郎系のラーメンのようなアルバムです。

彼の複雑な音楽を聴く度に、ノイズミュージックの創始者、Luigi Russoloの言葉を思い出します。大意は「音楽の複雑化は、ノイズへの接近である」です。

Today music, as it becomes continually more complicated, strives to amalgamate the most dissonant, strange and harsh sounds. In this way we come ever closer to noise-sound. — Luigi Russolo The Art of Noises (1913)

(amalgamate は、「 2つ以上の物を混ぜ合わせて一つにする」を意味する動詞)

 

 

3.椎名林檎無罪モラトリアム』+「すべりだい(デビューシングルB面)」

 

周囲を見ていて、この手の有名どころは、音楽の知識量に比例して「卒業」する人が増える傾向があるように思います。自分にも確かにそのようなきらいはありましたが、ポップスにおける実験性を理解してからは、真っ直ぐに受け止められるようになりました。

椎名林檎は今年大きく評価を改めた1人です。『無罪モラトリアム』初めて聴いたのは中高生の頃だと思いますが、その頃とは全く異なる音楽として耳に入ってきました。彼女の音楽からは、オルタナティヴロック、シャンソン、ジャズ、歌謡曲など、とても豊かな音楽的背景を感じます。そして、そうした多様な音楽を自分のフィルターを通し、すべて“椎名林檎の音楽”の材料にしています。月並みですが、信じられない才能だと思います。特に彼女の曲は和声への拘りが見られるのですが、煩雑になるので分析はしません。代わりに彼女の発言を引用します。

自分は旋律(メロディ)と和声(ハーモニー)の関係性にこそ常に関心を持つべきだと思っている。アレンジが違っても成立するよう、例えばスーパーなどでかかるMIDI音源のインストのようにまっさらな状態で聴いた時にいかに光るものを書いておくかが自分にとっては大事だと思っているので、ビート音色に触発されてサウンドの方から組み立てていくアプローチは極力しないようにしている。

 

意味不明な歌詞の多い彼女ですが、デビューシングルB面(本人はA面を希望ていた)「すべりだい」では、日常的題材を少し違った角度からフレームに収める優れた詩人としての一面を感じさせます。交際している(していた?)男性に対する恨み節を歌い、曲の最後をこう締めくくります。

許されるなら本当はせめて すぐにでも泣き喚きたいけど
こだわっていると 思われない様に右眼で 滑り台を見送って
記憶が薄れるのを 待っている Ah… Ah… Ah… 

 

 

4.美空ひばり美空ひばり特選集』

美空ひばりは、生前最後の歌唱映像の冒頭で、今一番愛しているものについて話しをします。当然、息子のカズヤと言うと思いましたが、予想は外れました。彼女は「もちろん、それは歌ですね」と即答しました。笑えるような笑えないような話です。

美空ひばりはとにかく歌が上手いです。ピッチ、リズム、ビブラートが完璧であることは当然として、多彩な声色の全てが美空ひばりという歌い手の下で統合され、曲中で一片の無駄なく機能していることに驚かされました。

リンクの「みだれ髪」は、日本歌謡界の伝説、船村徹による作曲です。この曲には、特別な逸話があるので簡単に紹介しようと思います。

美空ひばりは当時入院中であり、彼女の体調は限界に近付きつつありましたが、船村徹に「先生、次の曲は手加減なしでお願いします」という主旨の手紙を送りました。そして、その手紙が「彼女の体調を考慮して歌いやすい曲を提供しよう」と考えていた船村徹を一変させました。結果、船村徹は「日本の歌の粋を結集させた曲を書こう」という決心に至り「みだれ髪」は誕生しました。実際、「みだれ髪」は曲の一番の盛り上がり(サビ)の部分で、美空ひばりが苦手としていた裏声が躊躇なく使われている挑戦的な曲です。また、レコーディングも少し特殊で、歌とオケの同時録音でした。当時の常識では何度も歌い直せるようにオケと歌は別録音が基本だったようですが、「歌は真剣勝負」という美空ひばりの考えのもと同時録音に変更されました。レコーディング本番は、わずか2テイクで終わりました。

 

5.Lulu Jackson  『Before The Blues, Volume 2 (1996)」「You're Going to Leave the Old Home, Jim! (1928年)」 

1950年代以前の音楽を掘っていた時、コンピレーションに収録されていて出会いました。声、演奏、曲、歌詞、音質など、文句の付けどころがないです。息子を想う母の気持ちが綴られた歌詞が印象的で、読むたびに感傷的な気持ちにさせられます。

彼女の情報は検索してもほとんど出てこないのでわかりませんでした。
歌詞の冒頭の抜粋だけ置いておきます。

There you're going to leave the old home Jim, today you're going away
You're going among the city folks to dwell

Said an old grey haired dead mother told her boy one summer day
If your mind made up that way I wish you well

Your old home will be lonely, we'll miss you when you're gone
The birds were singing sweetly where you're not nigh

 

 

6. Léo Marjane 『Léo Marjane』「En Septembre Sous La Pluie」


Léo Marjaneは、30年代~40年代にフランスで活躍した歌手です。当時のフランスはドイツとの関係が厳しく、ドイツ人の頻繁に出入りする場所でよくライヴをしていた彼女は、国民からの反感を買い、隠遁生活を余儀なくされたこともありました。その後、歌手活動を再開することはできたようですが、かつての輝きを取り戻すことはなかったとのことです。

 

7.安東ウメ子『Ihunke』



後輩に「最近日本の音楽を掘っている」という話をした時、“押し売り”されました。あまり詳しくは調べていませんが、アイヌの音楽家として著名な方のようです。略歴はウィキがあるのでそちらを参照してください。ウィキ情報ですが、タイトルになっているInunkeという単語は、アイヌ語で子守唄を意味する言葉で、その時々の気持ちを即興的に歌うことが多いようです。また、安東ウメ子は、伊福部昭(ゴジラの作曲で有名)とも交友があったようです。他には、坂本龍一が、「記憶に残る世界のミュージシャンを 2 人あげるなら、そ の 1 人は日本の安東ウメ子である」とラジオで発言していたとの記録を目にしました。*43

こういった音楽を文化から切り離してただ音として消費することには抵抗があるので、個人的に少し勉強しようと思っています。


8.松平頼則 『日本の作曲家 21』「 南部子守歌を主題とするピアノとオルケストルの為の変奏曲から」

日本の音楽を調べている際に出会いました。

無調の混沌を感じさせたかと思えば、日本的情景を喚起させる美しいメロディラインが浮かび上がってきます。その調性の外し方も特徴的で、大きく外すこともあれば、メロディラインだけを僅かに外すこともあります。その緊張と緩和のバランスは、今まで自分が知っていたクラシックとは全く異なるものでした。そしてなにより、伝統的な日本の音楽とクラシックと現代音楽(狭義の)の融合に思わずうならされました。

 

あるブログに松平頼則の素晴らしい紹介文があったので引用します。

 「日本を代表する作曲家」と問われれば勿論私も武満徹であると答えるだろう。しかし、真に西洋音楽と日本の伝統音楽を高度な作曲技法で模索した作曲家という点では松平頼則が相応しいであろう。その存在は孤高である。チェレプニン、ドナトーニ、ベリオ、ブーレーズルトスワフスキ、ランドフスキといった錚々たる作曲家から激賞され、カラヤンが振った唯一の日本人作曲家であり、ロリオ、高橋アキ、野平一郎(ピアノ)、ガッツェローニ(フルート)、奈良ゆみ(声楽)といった名演奏家が演奏録音したにも関わらず松平の名を今演奏会に見つける事はほとんどない。戦前の新古典派的な作品ですら演奏される機会は稀である。
「松平頼則」 より

 

ベストは以上です。

 

冒頭で書いた通り今年は主に日本の音楽に寄せて色々と聴きましたが、質も量もまだまだ足りていないことを実感しています。どのような人が歌っても等しく美しく、それでいて固有の民族性を感じさせる岡野貞一の「故郷(Frusato)」のように圧倒的な強度のある作品、そんな音楽を来年は探していきたいです。童謡、長唄、追分、謡曲とかになるのかな?


 

 

 

*1:どれも好きだよ!

*2:『ヘッド博士の世界塔』は神

*3:このいかにもな並びを見るだけでも恥ずかしい

*4:元ネタわからずの人は、この文字列をyoutubeで検索すると出てくるよ!

*5:ここまで褒めたけど好みかどうかは別。アイデアを面白いと思っても好きになるかは別

*6:ジブリ音楽とV系をかつては好んでいたと聞いたことがある

*7:中東の香りのするバンド。人生を捨てて音楽を掘り続ける後輩からのおすすめで知りました。簡単に因数分解できない音楽を聴くのは良いものです。アルバム通して良かったです。KEXPに出演していて驚きました。

*8:Sacred Bones Recordsには、毎年何かしらやられてます。色々と混ざったような音が気に入りました。アルバムの後半が弱かったことと、この手の音楽は体力を必要とすることが理由でアルバム通しで聴くことは少なかったです。

*9:呂布カルマは、反ヒップホップ的で派手な柄シャツに身を包み、ギャングスタまがいのワル自慢をすることもなく、USヒップホップの流行りに流されることもなく「俺は若い頃のたかじんになりたい黒人よりもi wanna be a たかじん」と宣言してみせます。なんとも痛快です。彼は日本中の流行り物になる以前からヒップホップに人生を捧げて来たラッパーで、現在はフリースタイルダンジョンでの活躍などもあり、ヘッズから絶大な評価を得ましたが、同曲のリリックでこのように綴っています。「下手打った奴から順に居なくなる 仕事や家庭も理由になる 俺は音楽でそろそろ自由になるが 飛んでいかないようにキツく縛る」。彼の音楽への告白は、この上なく“リアル”です。

*10:Lamp主宰レーベル、Botanical Houseから

*11:アイドルかと思えば、シンガーソングライター志望で芸能界入りし、今年でキャリア10周年ということでした。「BBIBBI」という意味不明な文字列は、韓国語でポケベルを意味するらしいです。それを知った時、彼女の全てを許せる気がしました。

*12:Corneliusの得意とするアート(遊び)とポップを融合させるというコンセプトを音楽として完璧な形で実現させている。アウトロ付近で聞ける無限音階の使用など、Cornelius作品からは常に遊び心が感じられる

*13:故Princeからの協力を受けて完成した曲。各所で指摘されている通り、現代版「Kiss」のような肌触りです。死してなおも完全に現役として音を投下するPrinceという怪物の力量は未だ計り知れません。

*14:MVも込みでの評価。スポーツからは程遠いと思われる腹の出たタトゥーまみれの男が「Sports」と絶叫する“異物感”はクセになります。音楽的にもテンポを変える部分が良いアクセントになっていて良いと思いました。ただ、アルバムを通しで聴くと中弛みする印象です。

*15:いつの日かのGuitar Magazineで堂本剛のページがあり、冷やかし半分で目を通したことがあります。細かな内容は覚えていないですが、ジャニーズとは思えないほど音楽的内容について話していて、「Sly Stone やPrinceのことが好き」と言っていたことに強烈な違和感を覚えたことが印象に残っています。その後、彼の制作した音楽を少しだけ聴いたのですが“アイドルのアレ”という感じで興味を失いました。しかし、今年偶然に再開した彼は以前とはまるで違っていました。ジャニーズには“場違い”なマッチョで硬派なMVを初めて観た時、「アイドルファンはこれに着いてこられるのか?」と困惑しました。その音楽は、堂本剛という男がGuitar Magazineで語っていたブラックミュージックへの憧憬が事実であったことを証明していました。

山下達郎がギターで参加したディスコ調の曲「HYBRID ALIEN」も良いです。概ね好意的ですが、アルバムには味付けがしつこ過ぎる“アイドルのアレ”が何曲か含まれていたため、総合点としては控えめです

*16:Radioheadのジョニグリがイスラエル出身でインドで修行した音楽家と共作した作品。ドキュメンタリーが映画化されています

*17:彼女はEd Sheeranなど、超メジャーどころを好むようです。あまり好きではない今風の流行曲のようなものも多いのですが、一部このような曲が混ざっています。個人的に歌唱とラップの中間のような歌い方には弱いです。K-Popに疎いのでこの音楽が斬新か否かはわかりません。したがって、斬新さに惹かれたというよりは音楽が好みだったという理由です。2曲目のライヴ映像の第一声で音を外しているのがかわいい。生演奏している証拠ですね

*18:この手の音楽成分は定期的に摂取したくなります。MVは音源とBPMが違います。うろ覚えですがBOYSAGEと交友があるらしい

*19:例の映画を観ました。どうしようもない女性が自分を発見する物語よりも、曲の良さで泣きました。音楽とは全く関係ない話ですが、元職場にいた控えめ系トラブルメイカーの超美人が「この映画大好きなんです」と言っていて、どの視点からこの映画を楽しんでいたのかが気になりました。

*20:形容しがたい音です。どのようにして出会ったか全く覚えていません。ストリーミングの弊害ですね。ライヴ映像がありますが、演奏がかなり荒れているせいで原曲崩壊していて少し面白かったです。

*21:日常的にはこの辺りを聴くことが最も多いですが、この年代は素晴らしい作品が多すぎて、選びきれませんでした

*22:ゲーム音楽を掘っていた時に一目惚れ。キャラクターの移動中の曲とかとかも面白いので入手してよかったです。知ったのは数年前。プレミア化していたものを気合いで入手。ファンキーでポップなヒップホップという感じ。

*23:日本の歌謡曲とロックの融合。ロックの本場が英語圏にあることを認識しながらも日本語によるロックンロールを模索した野心的な作品。矢沢永吉の代表アルバムには高橋幸宏坂本龍一が参加している。はっぴいえんど解散の年(1972年)に活動を開始したキャロルは、はっぴいえんどとは別に日本語ロックに多大なる影響を与えた極めて重要なバンド。

*24:夭逝の女性SSWの作品。

*25:彼らの代表曲とされている「サヨナラCOLOR」の良さは理解できませんでした。彼らの真髄はファンクとJ-Popの融合にあると思います。日本語詞、中華風フレーズ、長大なギターソロ、タイトなグルーブ、キャッチーなメロディの組み合わせは、文字通り彼らにしかできない音楽です。MVは4分30秒ほどの長さですが、アルバムでは8分32秒とプログレ並みの長さ。間奏は明らかにFunkadelicの「Maggot Brain」を意識しているはずです。

*26:東京事変は、“椎名林檎とバックバンド”ではないです。特に『娯楽』は椎名林檎が作曲に関与していないアルバムなので、椎名林檎のソロ活動の延長ではない東京事変の音が聞けます。3拍子と4拍子を行き来してみたり、1曲のヴォーカルを3人で分けてみたりと曲のヴァリエーションも豊かです。ただ一点、「私生活」と「復習が」平凡に感じましたが、6曲目「某都民」以降の完璧な流れを考えれば些細なことです。余談ですが、 「月極姫」で、Doorsの「Light My Fire」 からの引用らしきフレーズが聞けます

*27:日本のロックンロールの一つの完成系。喜納昌一の父、昌永も琉球音楽と別の音楽の融合を試みていたとのこと。息子の代でそれが結実したと思うと感慨深いです。後で知ったことですが、この曲は久保田真琴の手を通じて細野晴臣の手に渡り、『トロピカル・ダンディ』制作に決定的な影響を与えています。憶測ですが、御大のルーツ(ロック)と民族音楽の調和が可能であることに気付いたのではないかと思います

*28:サントラをツタヤディスカスで入手したけれど、他の曲であまり気にいるものはなかったです

*29:どの側面から見ても斬新な闇鍋サウンド。冗談ではなく、その先駆性から日本音楽史に刻まれるべき作品。サントラをツタヤディスカスで手に入れましたが、劇伴だからか期待したほどではなかったです

*30:選考理由を述べるまでもなく音楽史に残されるべき大名盤。『TROPICAL DANDY』の7割程度の曲と、その他最近の御大の曲を耳コピして分析したところ、御大の曲はコード的にはシンプルで、グルーヴ、音質、使用楽器の選択などで作品の空気を演出していることが判明しました。

*31:ほどほどに音楽に関心のあるGFに聴かせた時、「キリンジみたいでだね。でも、女の人の声が苦手」と言われました。

*32:hideの没プロジェクトZilchで模索した洋楽的インダストリアルロックの手法をJ-Popに落とし込むことに成功しています。現在ネット社会の弊害を風刺しているかのような歌詞もとても印象的です。本人のインタビュー映像を確認したところ、自らの吐いた「糸(=Web)」に引っ掛った情報しか得られないことを自覚しておらず、世界を知ったつもりになって得意になっている「ピンク(=妄想)」に取り憑かれた哀れなスパイダーを歌っているとのことです。

幾つかのカヴァーを聴きましたが、ロックと電子音楽を過激に融合させたインダストリアルロックとJ-Popの組み合わせが斬新だったにも関わらず、そのコンセプトを無視し、洋楽ヘヴィメタルに寄せていたり、流行りのEDMに寄せていたりと残念でした。ただ、唯一CorneliusによるRemixは、インダストリアルロックの精神に則りながらも、Corneliusサウンドを炸裂させていて面白かったです。生前、hideはCorneliusを好んで聴いていたらしいです。

*33:最も大切なことは、この曲が、田中秀和以外の誰にも作ることのできない事実です。

*34:単純なリフで押し通す邦楽ロックとしては別格でリズムが良い。しかしながら、他の曲はホーロック(邦ロック)な感じでイマイチでした。

*35:音楽性強迫性障害の後輩に「大阪のインディーズで若くていい感じの人探そう」と提案して一緒に探していた時、彼が掘り当てました。どうやって探したか聞くと、日本中のインディ系のレコ屋で「大阪」をキーワードで検索して片っ端から聴きまくったらしいです。あほです。ちなみに、この方は、Jesus Weekendのメンバーとのことです。

*36:明らかに過小評価な気がするグループ。打ち込みやサンプリングを駆使し、支離滅裂に思えるほど次々に展開する曲をポップに仕上げる手法に脱帽。Wikiに「2ndアルバムでは4500種類以上のサンプリングソースを盛り込んだ」と書いてありました。狂気。ちなみにネオ渋谷系と呼ばれるジャンルの音楽らしい。

*37:奇抜な名前や外見を理由に彼女の音楽を「サブカル」的に消費したり、「サブカルラッパー」と揶揄することは懸命な判断ではないと思います。全てがUSヒップホップに右へ倣えの「本格派」より、独自の表現を模索する彼女のような存在に惹かれます。DJ KRUSHの「俺は“ヒップホップの伝統”よりも“ヒップホップの自由”を選んだんだ」という言葉を思い出させられます。DJ Krush:ヒップホップの自由

押韻やキャップ着用など、最低限のヒップホップマナーに従いつつも、従来のヒップホップ的文脈とは全く異なる世界観を打ち出し、ヒップホップの可能性を再確認させると同時に、その限界を拡張していると感じます。全体をポップに仕上げることは勿論、ガムラン音階を使った曲などバライティに富んでいて面白いです。

*38:DJみそしるMCごはんに近い理由です。PUNPEEは十分に評価されているので説明は不要とは思いますが、極めてクセの強い加山雄三という素材を大体的に活用し、懐メロとしてではなく現代の若者にも通用する曲として蘇らせています。その上で、加山雄三が素晴らしい音楽家であることも再認識させてくれるこれ以上ないほど理想的なRemix。色々な人が加山雄三を素材に再構築するというテーマのアルバムなのですが、PUNPEE並みのクオリティを全体が保てておらず残念でした。

*39:Go-Goのリズムに乗せて語られる庶民的日常の憂鬱。冒頭の歌詞はこのような感じ。「生きてることに感謝してるけど そんなこと毎日思ってられないし いつの日にか目頭を熱くして たくさんの苦しみをはきだすこともある」 

*40:ハマ・オカモトとカースケ(紅白でも見かける日本を代表するスタジオミュージシャン)のリズム隊が上手すぎる。

*41:「ソウルに欠く」や「テクニカル過ぎる」などの批判コメントが散見されますが、天賦の才を持って生まれた20代そこそこの究極音楽生命体が“シンプルに逃げる”ことなく、彼の持つ難解な音楽理論、音楽的経験、音楽的感覚を全力で活用してポップスにおける複雑性の限界に挑戦していると思えば、感謝の焼き土下座レベルでも足りないくらいです。今後、彼は一体どこへ到達するのでしょう?

「駄目だ!! そんな!!」
   「もうこれ以上そんな力!!」
   「一体!!この先!!どれ程の・・・!!」

*42:ガルシア・マルケスは、ネルーダを「いかなる言語においても20世紀最大の詩人」と激賞

*43:「ウメ子フチに学ぶ」小助川勝義 https://www.frpac.or.jp/about/files/sem1901.pdf

日本の音楽の正体を探して

「芸術の良し悪しは主観」「みんな違ってそれでいい」のような八方美人的感想はつまらないので、好きに書こうと思います。書こうと思った理由はいくつかありますが、日本国内において、海外の音楽を直接的に模倣しているような音楽が評価されている現状に賛同に疑問を感じたことが最も大きいです。

 

日本の音楽は西洋音楽から極めて強い影響を受けたからでしょうか。西洋の音楽を基準とし、それらとの距離の近さで音楽の良し悪しをはかろうとしがちです。とりわけ、多少洋楽の知識を持っている層によく見られる傾向ですが、個人的には可能な限り距離を置きたいと思っています。邦楽と洋楽の質的な違いを音楽の質の高低として解釈するのは、大きな間違いです。邦楽には邦楽の良さがあります。

 

現在、洗練された良い曲を書く国内のミュージシャンは沢山いると思います。しかし、それがオリジナルであるかは全く別です。中には海外の直接的な模倣に聴こえるものが多数あります。一聴しただけで「あ、海外のアレ系が好きなのね」といった感じで元ネタがわかります。言い方は悪いですが、「それなら海外の元ネタを聴くよ」と思います。海外の音楽に影響を受けている分には全く問題ないですが、もはやコピーバンドと言っても良いような音楽をしているバンドがもてはやされている現状には否定的です。例えば某バンドを聴いた際、「もはやJamiroquaiじゃね?」と感じた人は少なくないと思います。他にもJames Blake、2010年代インディポップ系など挙げていけばキリがないです。そして最も残念なことは、そうしたミュージシャンがメジャーとインディーズのどちらにも多数見受けられていることです。海外音楽事情に疎い日本国内のリスナーにとってはそれらがオリジナルで「良いもの」として受容されている光景を目にする度に何とも言えない気持ちになります。このような洋楽の模倣が上手いミュージシャンが彼らの元ネタを知らないリスナーに支持される構図は、“洋楽志向の強い若いミュージシャン”の界隈で非常によく見られます。

 

ひとりの好事家としての意見ですが、海外への憧れを“直接的”に表現した音楽より、その人にしか出しえない音楽を聴きたい訳です。例えばマイブラが好きだからと言って、コテコテのシューゲイザーをしているバンドは面白くないのです。大切なのは、オリジナルであるかどうかではないでしょうか。勿論、オリジナルであっても自分の好みではない音楽もありますが、オリジナルであることが何よりも大切だと思います。そこで、「オリジナルとは何か」、「面白いとは何か」を考える必要が出て来るわけですが、アート・リンゼイの言葉が良いヒントにになると思うので引用します。

音楽に限らず、どんなジャンルのアーティストでも面白いのは、ローカルな部分とユニバーサルな部分を組み合わせることだと思います

 典型的な例を挙げるとすれば、BABYMETALでしょう。BABYMETALの音楽の面白さは、ユニバーサルな部分(メタル)とローカルな部分(日本のアイドル文化)という視点から読み解けます。(個人的に好みではないです。面白くても好みでないことは多々あります)

 

少し前であれば、Perfume が当てはまると思います。

クラブミュージック+J-Pop

Perfumeと言えばこの曲でしょう。

 

上に具体的なアーティストの例を挙げましたが、もう少し一般的な視点から考えることができるように思います。繰り返しになりますが、引用したアート・リンゼイの言葉に従って考えるならば、面白い音楽には、ユニバーサルな部分とローカル部分の組み合わせが必要です。その条件を満たす日本の音楽は、日本語を使用した音楽、アニソン、ゲームミュージックの3つだと思います。勿論、例外は存在しますし、「ユニバーサルの定義は?」などのツッコミどころ満載ですが気にせず進めます。

 

まずは日本語で歌われている面白い音楽をいくつか挙げていきましょう。言うまでもなく、日本で発表されている大半の音楽が含まれます。英語で歌って日本らしさを消すよりも、日本語で歌った方が言語的特徴からオリジナルなものになりやすいように思います。英語で歌っていないので「世界的」に流行する可能性は低いですが、それは質の低さを意味しません。オリジナルで良い音楽でも世界的に評価されないことはあります。売れてるものが世界一美味しいなら(以下略)

 いわゆる音楽オタクは、洋楽オタクであることが多く、あまり共感してもらえない部分もあるとは思いますが気にせず進めます。伝統的なポップス歌手は勿論入ります。美空ひばり吉幾三、などは言わずもがなでしょう。個人的には松任谷由実は別格だと思っています。まともなヘッドホンを使って「ルージュの伝言」を聴けば、日本語ポップスとビーチボーイズの融合を発見できるはずです。ちなみに吉幾三は、作詞作曲を自身で手がける立派なシンガーソングライターです。

 

音楽オタク受けする人たちを挙げるとすれば、トクマルシューゴコーネリアス坂本慎太郎などが良いかもしれません。彼らはサウンドデザインの面でも特筆すべきものがあり、世界中で似た作品を探すことは困難でしょう。

 


 

 

勿論、有名どころのJ-Popも含まれます。椎名林檎BUMP OF CHICKENスピッツなど、単なる海外の模倣ではない良質な音楽をしているミュージシャンが沢山います。 

  

あまり詳しくないので言及しませんが、ロキノン系やヴィジュアル系の中でも面白いもはあります。*1ヴィジュアル系であるかは微妙ですが、L'Arc〜en〜Cielは、豊かな音楽的背景を感じる良いバンドだと思います。

 

上げていくときりがないのでアニソンに移ります。

アニソンは楽曲中でのキャラクター同士の掛け合い、極端に早いBPM、複雑なコード進行など非常に面白いものが多いです。人が歌うことを想定しているのかとさえ思うほど複雑な曲もあります。電波ソング的な早口は、ラップとは違う文脈でのポエトリーリーディングと捉えられなくもないです。特に「もってけ!セーラーふく」は、早口、強烈なファンクベース、ナンセンスな言葉遊び、キャッチーなサビなど、アニソンの闇鍋感が非常に良く現れています。作曲者の神前暁は、『アイドルマスター』の諸々の作曲でも有名です。


 歪んだギターやギターソロといったロックの特徴を持っていますが、明らかに複雑なコード進行、極端な早口、スラップベース、アウトロのウォーキングベース、キャッチーなサビ、もはやフュージョンのようなキメなど、アニソン特有の闇鍋感満載です。ライヴ映像を確認したところ、完璧に歌っていて驚きました。プロの声優はすごいです。


 

 次にゲームミュージックを紹介しましょう。同時発音数、ゲーム画面との相互関係などの制約が良い音楽を生み出す要因となっています。言わずもがな、近藤浩治は別格です。マリオとゼルダの音楽は、間違いなく日本音楽界における偉業です。

 


田中宏和も忘れてはならない1人です。『Mother』 や『メトロイド』の作曲の仕事が有名です。しのごの言わず『メトロイド』の音楽を聴けばわかります。


ゲームミュージックではないですが「ポケモン言えるかな?」は、極端な曲調の変化や歌詞の大部分がポケモンの名前で構成されているなど独創的です。ビートルズの「I Am The Warlus」から大胆にサンプリングしています。長くなり過ぎるのでこのあたりで楽曲の紹介は終わりです。

 

この記事は、「音楽好き(洋楽好き?)」とされている人たちを仮想敵として当てつけのような気持ちで書きました。「日本の音楽は所詮ガラパゴス」といったことを言う人はいますが、そのガラパゴスな要素が日本の音楽のオリジナリティを支えているのです。「粗悪な海外のコピー製品より、身近なガラパゴス音楽の方がオリジナルで面白いんじゃないか」というのがこの記事で言いたかったことです。ただ、オリジナルであることは良い音楽であるための必要条件であって、十分条件ではないことは強調しておきたいです。日本的なオリジナル音楽であってもつまらないものは山ほどあります。安易に洋楽の模倣に逃げず、洋楽からの影響を自分の表現に昇華しているミュージシャンが国内で音楽でしっかり評価される日が来ることを祈ります。

 

最後に矢沢永吉の発言を引用して終わりです。彼は、1980年代のインタビューで洋楽ロックをお手本に「パクリ」を繰り返している同業者を「軽蔑してるね」と批判していました。

 

ロックに詳しい層から見ればダサいモノであっても、本当に自分の内面から生み出した音楽をやる。そうでなければ、恥ずかしくて人前に出られない

 

*1:ただし、個人的に好きではない

コード進行・分析メモ  B.J Thomas「Raindrops keep fallin' on my head 」

 B.J Thomas「Raindrops keep fallin' on my head 」

 

バカラック御大の大名曲。歌詞も涙が出るほど素晴らしい。

アメリカンニューシネマ系の映画が好きな人は必ず知っているはず。


 

セカンダリードミナント以外は、特筆すべきダイアトニック外のコードはなし。

ただ、そのセカンダリードミナントの使い方が面白く、楽曲の肝となる。

 

Key In F

 

Intro
F - C - Bb - C

Ⅰ Ⅴ Ⅳ Ⅴ

 

言葉遊びのような朗らかなIntro。理論的な解釈は不要と判断。

 

 

Verse 1

F- FM7-F7- Bb

Am- D7- Am -D7 -Gm7×2- C7

 

最近分析したくなる曲に頻出のⅠ- ⅠM7- Ⅰ7 のクリシェから Ⅳの進行。

Mild High Club 、Velvet Underground でも見かけた。Ⅰのコードを伸ばしたいんだけど、そのままでは少し退屈かなと感じるので使用されていると解釈。また、次のⅣのドミナントになっているので、最終的には繋ぎとして機能している。

 

次は、Am- D7- Am -D7 -Gm7×2- C7つまり、Ⅲm Ⅵ-Ⅲm-Ⅵm- Ⅱm - Ⅴ の進行。

Ⅵがセカンダリードミナントとしてメジャー化されているにも関わらず、一度で解決せずに繰り返すのがとても面白い。そして、Gm7 が1小節長いのがポイント。

 

Verse 2
F- FM7
Bb- C- Am- D7- Gm7×2

Bb -C -Bb- C

 

 

Ⅰ -ⅠM7- Ⅳ- Ⅴ- Ⅲ- Ⅵ- Ⅱm-

Ⅳ- Ⅴ- Ⅳ- Ⅴ

 

 

Verse 1 に似た進行かと思えば、実はVerse 2 の導入である不思議な進行。

ⅠM7 のメロディに9thの音が入っていてオシャレ。

Ⅳ-Ⅴ はキメのようなもの。

 

 

まとめ・感想

ポップスとしてあまりに完成されていて、文句のつけようがない。最初にVerse1を提示した後、さりげなくストリングスが挿入されたと思えば、次のVerse2にはストリングスが消えているアレンジに不思議を感じる。曲自体はシンプルでもアレンジで少しずつ盛り上がりを演出する手法には何度聴いても感動がある。

 

この手の曲はベースがぼんやりとしか聞こえないので音全体の雰囲気を探って音をとる必要があるのでとても難しかった。職業作曲家のつくる音楽は、非常に難しいと思っていたけれども、想像したよりシンプルな曲で助かった。