捏造日記

音楽、勉強・読書記録、日常の感想

wikiにあるラキムのリリックについて

ラキムの日本語wikiの誤訳(解説?)が中々に酷いと思った。

「ドント・スウェット・ザ・テクニック」のリリックには、『科学者たちは本質を見出そうとしている。哲学者たちは未来を予測しようとしている。そのために、連中は研究室に篭りっきりだ。しかしやつらは、それを呑み込めなかったし、そうする資格も持っていなかった。自分の思想は、自分の音楽を聴く者たちのためにある。さらに自分に反対する人々のためにある。すぐに受け入れられるようなものではない』

ラキム (2019年7月現在)

 

これが恐らく上の訳の箇所のリリック。

They wanna know how many rhymes have I ripped and wrecked

But researchers never found all the pieces yet

Scientists try to solve the context

Philosophers are wondering what's next

Pieces are took to labs to observe them

They couldn't absorb them, they didn't deserve them

My ideas are only for the audience's ears

 

上の日本語訳には「本質」という言葉が出てくるが、そのような表現はない。「連中は研究室に籠もりっきりだ」に対応する表現もない。全体を通して、安っぽい科学者叩きのような印象を受ける。

原文に対応した自分の解釈では、ラキムは、リリックを仔細に分析しようとする科学者を揶揄することで、自身の音楽に「科学的」には分析され得ない“何かが”隠されていることを仄めかしているのだと思う。

 

そうすると、上のリリックに続く部分を綺麗に解釈できる。

Letters put together from a key to chords

I'm also a sculpture, formed with structure

恐らく、この文脈のkey は鍵盤を意味している。鍵盤を同時に2つ以上叩くと和音が生まれる。それを比喩的に用いて、文字の組み合わせが生み出す和音について述べている。そして、それに続く「構造のもとに誕生した彫刻」という表現は、まるでプラトンイデア論を想起させる。言葉の和音がまるで人知を超えた存在であることを匂わせる。もしかすると、ラキムが科学者や哲学者を嘲笑った理由は、彼らが「神の創造物(=言葉の和音)」を強引に人間界の文脈に押し込んで理解しようとしているからなのかもしれない。示唆に富む非常に美しいリリックだと思う。

制限・自由・内田裕也

彼女との生存確認程度のLINEを除けば、ここ1週間~2週間くらいは無言で生活する日がほとんどだった。社会的には間違いなく「おしゃべりな人」という印象をもたれていると思うが、昔から過剰接続を忌避しているきらいはある。だから、高校生の頃と変わらず同じガラケーを使っている。連絡が必要などの特別な用事がない限り、外出時に携帯を持ち歩くこともない。

 

今は、自分の足場を固める作業に集中している。音楽に集中したい気持ちは山々だが、集中するための足場を確保する必要がある。そんな事情で現在は、批判意識の薄い知っている音楽を垂れ流すだけの音楽愛好家と化している。同時代的な「新しい」音楽の発見は明らかに減ったが、新しいもの探し競争に参加する気も起きないので、これで良いと思っている。音楽に限らず、人が何かを際限なく消費しようとする姿は美しくない。無限に等しいリソースが安価に手に入る時代だが、自分の感覚はそれと逆行していて、制限の多い時代の素晴らしさを感じている。

昔は「制限」と聞くと不自由さを連想していたが、制限と美しさの関係性に気付いてからは、制限を肯定的に捉えるようになった。例えば、丁寧に刈りそろえられた芝は長さの制限をかけられている。楽器は音程の制限をかけられている。ヒップホップは、韻という言語的制限と、サンプリングという音楽的制限に美を見出した。どちらかと言えば、モノ的な例をあげたが、それは観念的な対象に抱く美しさの根底にも確かに制限がある。自らの欲望に制限をかけることなく、次から次に肉体関係を結ぶ女性は「尻軽」として軽蔑される。逆に、一途、添い遂げるなど、強い愛情を表す表現の根底には強い制限がある。愛情を「“特定”の誰かに対する“特別”な想い」と定義すると、愛情の定義にふたつもの制限が隠れていることがわかる。つまり、制限のない愛情は存在しない。そのままでは混沌としている世界に補助線を引き、制限をかけることで美しさが立ち昇る。したがって、その観点からすれば、先に触れた「際限ない消費意欲」と「無限に等しいリソース」の組み合わせが無制限そのもので、美しさと対極にあることがよくわかる。

 

自由な時代を生きる人々は、「しぇけなべいべー」と前時代的な台詞を連呼する内田裕也の不自由さを笑ったが、その不自由さは、彼が自らの人生に課したロックンロールという制限の現れだった。晩年の内田裕也は、車椅子に座りながらロックンロールの不自由を謳歌してみせた。そこには「自由こそが至上の喜びである」と妄信する人々には理解できない制限の美しさがあった。今更ながら、大学生時代に私淑していた先生の「何でもありは自由ではない」という言葉の意味を噛み締めている。家族や友人が目の前にいるにもかかわらず無意識にスマホに手が伸び、SNSまとめサイトを逐一チェックする現代人と、ロックンロールの殉教者、どちらが真に自由だろうか。今の私の気分は、内田裕也に傾いている。

 

 

しぇけなべいべー!

最近のこと

SNSアカウントを消した。日々の発見をノートにまとめていて、そのアウトプットの場として活用していたが、負の面が多いと感じたので消した。改善可能な悪癖は可及的速やかに排除すべしの精神に従った。暇つぶしにしては退屈で、有益な情報を得るにはノイズが多すぎた。SNSをやめて、読書、勉強、楽器の練習ばかりしていると視野が狭まるかもしれないが、リアルで積極的に行動すれば解決すると思われる。勿論、全てが悪だったという訳ではなく、多言語を理解し、熱心に数学や古典文学を勉強している中学生には感銘を受けた。半可通や“出来てしまう人”に見られる衒学趣味なども全くなく、素朴な学びを途方もなく積み重ね続ける彼の姿勢には頭が下がる。ふと思い出したが、半年ほど前、彼もSNSアカウントを消していた。

 

主に音楽と数学の情報を得ていたが、音楽に関してはコミュニティ独特の空気感が肌に合わなかった。悪気はないとしても、調べたら明らかに誤りとわかることを(悪気はなくとも)事実であるかのようにツイートする人たちと、それを支持する人たちの構造を見ていられなかった。浅学な自分から見ても、まともに音楽を勉強したことがないであろうことがわかる人たちが、“それっぽく”振舞っていて、「違うだろjk(死語)」と思うことが多かった。それ系の人たちは色々な話題に噛み付いているのだが、健全な議論のために押さえておくべきことへの理解が不足していると感じた。

 

例えば、古い日本の曲の分析に対して「古い日本の音楽は平均律に基づいて分析しても意味がない」と批判している人がいたが、彼(彼女)は、「中全音律を用いて作曲されたモーツァルトの曲を平均律に基づいて分析することに意味がないのか」という問いに答えるべきだと思う。確かに完璧に分析するのであれば、モーツァルトの使用していた調律に合わせて分析をすることが必要だが、現状、そのような分析は一般的とは言えない。異なる調律も用いて分析することで失われるものはあるが、保たれる要素も多くある。例えば、異なる調律をベースとしたある音とその3度の関係は、確かにズレているが、それを“同じ音”と許容することで同じ理論のもとで扱うことが可能になる。

 

厳密さを求め始めると、基準音についても考えなければならない。A=440hzと定められたのは100年ほど前のことなので、それ以前の曲については440hzに基づかない何らかの理論が必要となる。しかしながら、440hzから1hzでもズレたらそれはAではないと定義する理論は厳密だが、実践的ではない。少なくともメロディの音型を分析するのであれば、基準音を440hzと設定し、平均律に基づいた分析でも“完璧ではないが十分に役に立つ”。

理論は厳密にしすぎると、適用範囲が狭まる。逆に、厳密さを犠牲にすることで“あそび”が生まれ、適用範囲を広げることができる。音楽理論もそれは同じで、“あそび”を持たせることでさまざまな音楽を現代的な音楽理論を使って分析することができるようになる。例えば、楽譜は、ある法則に従って実際の音楽を音符という記号に還元したものなので、実際の音を完全に再現してはいない。つまり、記号化に伴って情報が抜け落ちている。しかし、楽譜は今日でも“完璧ではないが十分に役に立つ”ツールとして絶大な威力を発揮している。

長くなり過ぎたが、“それっぽい”批判をした気になっていた彼(彼女)の発言からは、考察不足と衒学趣味が見て取れたので、とても残念な気持ちになったという話。恐らく、アナライズをした経験さえないと思う。「自分で手を動かしたことあるか」、「代案を出せ」と言いたい。彼(彼女)は、「古い日本の音楽は平均律に基づいていない」という情報をどこかで獲得したのだと思われるが、情報はじっくりと検証しなければ毒になることも多い。良くも悪くも情報は認知を歪める。確かに古い日本の音楽は完全に平均律ではないので、その情報は正しいのだが、そこから「既存の音楽理論の視座から古い日本の音楽を分析することに意味がない」という結論を導くことには論理の飛躍がある。しかしながら、こんな事に遭遇するたびに、その都度マジレスしていたら人生が終わる。謙遜などでは全くなく、自分もまだまだ浅学なので精進しなければ...。個人的に、hz、centレベルで厳密な楽曲分析ということには非常に興味があるが、生きている間に一般化するだろうか。ただ、一部存在していることは確かで、大正時代のある日本の歌手が歌唱の際にある音階のピッチが安定していなかったという論文を読んだ時はとても興奮した。勿論、その論文は現代的な西洋音楽理論をベースとした分析をしていて、それを補完する形でcentレベルの精度で分析していたことは付記しておく。

 

SNS音楽コミュニティには、「××の新作が最高」や「〇〇と△△が友達」などの情報が多く、音楽自体に強く興味がある自分には物足りなかった。自分が求めている曲のアナライズは、主にジャズ界隈では空気レベルで当然に行われていることなのだが、ロックやニッチ音楽界隈となると途端にその情報が減る。「〇〇的なフレーズ」というのは、ジャズ界隈では音楽的語法に基づいて理解されているのだが、ロック界隈では「〇〇的なフレーズ」は印象に基づいた理解がほとんどだと思う。例えばロック界隈で言えば、自分はCocteau Twinsが好みなのだが、Cocteau Twins的なメロディは確かに存在している。Cocteau Twins的な流麗なメロディの鍵は、音の跳躍にある。一般的なメロディは隣り合った音(およそ2度)への跳躍が多いのだが、Cocteau Twinsのメロディは3度~6度の跳躍が多くみられる。それはジャズにも見られる特徴で、音の跳躍という点ではCocteau Twinsはジャズに近いとも言える。そうした分析が見られたらと思ったのだが、ほとんど視界に入ってこなかった。

 

以上のように、ジャンル問わず同じ理論で曲をアナライズできるというのが音楽理論の強みなのだが、ロックやニッチ音楽界隈ではそれがあまり活かされておらず勿体ないとは思う。勿論、アナライズが通用しない曲もある。例えば、原曲の速度を調節することで生成されるVaporwaveの曲は分析したところで、原曲のアナライズと大きな意味の違いがないので、アナライズが通用しない。Vaporwaveは、その手法に着目されるべき芸術様式なのかもしれない。このような例があるので、曲のアナライズで全てがわかる訳ではないのだが、アナライズをすることで見えてくるものがあることも確かなので、自分は「気になった曲はとりあえずアナライズしてみる」という姿勢をとっている。

 

さらっと、愚痴を書くつもりが長くなってしまった。

「杜撰な他人を気にしてると人生終わるから、自分は自分と思った」という話。

 

1週間ほど前にDavid BowieHeros」を分析した。 途中でミクソリディアンにモーダルインターチェンジしていて、「やっぱり彼はロックの人だな」と思った。Aメロがジザメリの「Darklands」は、ほぼ同じメロディで何度聴いても笑える。

 

「平成の音楽でも分析するか」と思って、最近分析したのがYUI。「Heros」と同じモーダルインターチェンジが登場する。YUIはロックに影響を受けたらようなので、自然に身につけたのだと思う。しかし、注目すべきは全くそこではなくて、暴力的な転調が潜んでいること。18歳の少女がカポなしで、キーがD♭で、サビでBに転調する曲を作っていたことに驚いた。Aメロでも部分転調を数回している。

スガシカオ「黄金の月」の解釈について

 先月辺りでしょうか。「黄金の月」を聴いている時、「結局これは何が言いたいのか」が気になって仕方がなくなりました。うんうんと頭を抱えていると、あるヒラメキがありました。家に帰ってそのアイデアを紙に書き出して整理すると、面白いことに気付きました。この記事では、その発見を共有したいと思います。

 スガシカオ(以下:スガ)の代表曲「黄金の月」は歌詞が難解なことで有名(?)です。「黄金の月」をググると、「黄金の月 解釈」が候補としてあがります。実際、明暗がはっきりとしない掴みどころのない歌詞をめぐって様々な解釈があるようです*1。例えば、スガを見出したことで知られるオフィス・オーガスタ社長の森川氏は、「黄金の月」について以下のように綴っています。

「純粋」は少しずつ僕との距離を広げつつあった。僕は自分がずっと否定してきた“あんな大人”ってやつに、実はなってしまったのだ。僕の心の「黄金の月」は消えうせてしまったのだ・・・そんなふうに言い当てられたまま終わるような気がして、歌詞の結末を聴く事を本気で恐れた。だが、「夜空に光る黄金の月などなくても」と締めくくられるフレーズは、そんな僕にとっては救いだった。
黄金の月・・難解な歌詞の解釈 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

「黄金の月」には、森川氏が恐れたような心の奥底をえぐる表現が含まれています。身近な人に聴かせても「難しい」「暗すぎ」といったあまり好意的とは言えない感想をもらうことが多いです。しかし、先の引用からわかるように森川氏は最後に救いを感じたようです。なぜでしょうか。実は、「黄金の月」は複雑に見えますが、その表層を丹念に剥がしてゆくと、意外なメッセージが浮かび上がります。それを理解すれば、森川氏が救いを感じた理由がよくわかると思います。この記事では、とりわけ「スガは『黄金の月』で何を言っているのか」に焦点を当てて、私なりの「黄金の月」の解釈を書きます。論を進めるにあたって、細かい確認が必要な箇所があり、その部分が長くなると思いますが、正確な解釈のためなので許してください。

  では、早速「黄金の月」を解釈に取り掛かります。全文を逐語的に分析することはせず、重要と思われる箇所のみを検討することにします。そうすると「どの部分が重要なのか」という話になりますが、ポップスの歌詞解釈にあたって最も重要な部分は、サビと結論(最後)です。サビと結論は、聴き手が最も惹きつけられる部分であり、作り手が重要なメッセージを込める部分です(勿論、全ての曲に当てはまるわけではない)。今回は、そこに着目して「黄金の月」を考察します。

 まず最初のサビです。極めて初期のスガらしい人間の本質的弱さについての描写です。

大事な言葉を 何度も言おうとして

すいこむ息は ムネの途中でつかえた

どんな言葉で 君に伝えればいい

吐き出す声は いつも途中で途切れた

「黄金の月」サビA  (『Clover』収録)

  2回目のサビも1回目のサビと同じくナイーヴですが、僅かに光を帯びます。しかしながら、「君の願いとぼくのウソをあわせて(中略)キスをしよう」というネガティヴにも取れる“強い”表現もあり、未だに掴みどころがありません。

君の願いと ぼくのウソをあわせて 6月の夜 

永遠をちかうキスをしよう

そして夜空に 黄金の月をえがこう

ぼくにできるだけの 光をあつめて 光をあつめて…

「黄金の月」サビB 

 ブリッジ(最後のサビ前の間奏)を挟んで、3回目(最後)のサビに入ります。2回目のサビで微かな光が差し込んだことから、3回目のサビは徐々に光が強くなることが期待されます。しかし、スガはそれを裏切り、耳を塞ぎたくなるほど非情な現実を躊躇なく羅列し、最後のサビを終えます。果たしてこれがスガの“言いたいこと”なのでしょうか。

ぼくの未来に 光などなくても

誰かがぼくのことを どこかでわらっていても

君のあしたが みにくくゆがんでも

ぼくらが二度と 純粋を手に入れられなくても

「黄金の月」サビC

 いいえ、まだ最後の一節が残っています。アウトロに入る直前、スガは一言だけ付け加えます。「黄金の月」の結論に当たる部分です。

夜空に光る 黄金の月などなくても

 しかし、「黄金の月などなくても」の後は省略されています。スガは、まさに省略のことを指していると思われる発言を残しています。

“こっからここまでは言うけど、こっからここまでは想像して考えてね” 

2枚目シングル「黄金の月」 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~ 

では、最後の省略にはどのようなメッセージが隠されているのかという話になりますが、そこに隠されたメッセージを読み解くには、作詞家としてのスガを知る必要があります。スガは、ヒトの弱さを徹底的に描写しますが、基本的に「明日死んでもいい」のような究極的にネガティヴなことは書きません*2。スガ作品の特徴とも言える極めて人間的でナイーヴな描写は、詩としてのリアリティを追求した結果に過ぎません。彼は一貫して“キズだらけの生”を肯定してきました。少し長いですがスガ本人の言葉を見てみましょう。

何かを変えようっていうつもりで音楽は作ってないですけど、でも誰かの人生を変えるだろうなとは思いますね。それは僕も変えられたし、別にその曲が僕の人生を変えてやろうと思って作られた訳じゃないんでしょうけど。でも誰かの人生に何かの影響を与えるんだろうなとは思ってるので、あんまり無責任なラブ&ピースとかを僕は歌いたくないなといつも思っていて。だから歌詞に関してはある意味すごく拘りをもって書いてはいますね。絶対に影響するから夢物語ばかりは歌えないし、キツイことばかり歌ってりゃいいってもんでもないし。

 黄金の言葉【音楽への向かい方】 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

本当に悲しんでいる人に、気持ちわかるよ・・とか言えないし、無責任に背中を押す事は出来ない。でも絶望だけではなく、光を与えられたらいいと思っている。

黄金の言葉【音楽への向かい方】 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

 以上を踏まえ、スガ作品史上最も暗く売れなかった『Time』の収録曲を例として、実際に歌詞を確認してみましょう。『Time』は本人の「グロエネルギーっていうんですか、もーねぇ……。気がついたらね、アルバムが『真ッ黒』になってました*3」というコメントからも分かる通り、本人公認の重い作品です(余談ですが、この作品の間口の狭さを反省して「午後のパレード」や「Progress」を書くことになります)。

途切れた願いは 消えてしまうのではなくて  

ぼくらはその痛みで 明日を知るのかもしれない   

 

「光の川」(『Time』収録)

   

ねぇ 今日僕たちは それぞれの光を探し 

当たり前のように 明日へと 歩き出します 

「風なぎ」(『Time』収録)

スガの歌詞がナイーヴながらも、究極的にネガティヴではないことが確認できたでしょうか。正直なところ、例が少ないので他の曲についても触れたいですが、長くなりすぎるので割愛します。

 

また、スガが坂口安吾から受けた影響についても少しだけ触れておきます。スガはしばしば『堕落論』からの強い影響を公言していますが、“リアリズムに立脚した地に足のついた優しさ”という点で安吾に影響を受けたのだと思います。もう少し後で述べますが、人間が本性的に堕落する生き物であることを認め、堕落から出発して逆説的に生を肯定する『堕落論』の構造は、「黄金の月」の構造と綺麗に重なります。スガの曲で頻繁に見られる構造です。

人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱ぜいじゃくであり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
「 堕落論」

 

 長くなりましたが下準備はこれで終わりです。 「黄金の月」の最後の省略に話を戻します。その部分を補完するには、先ほど確認した「スガは究極的にネガティヴな歌詞は書かない」という前提が必要になります。その前提に従うと、「夜空に光る 黄金の月などなくても 」の後に省略された言葉は決して“暗いなものではない”ことになります。スガ本人もそれを認めるような発言を残しています。

「ナントカではない」っていう〈否定〉文があったら その〈否定〉文を〈否定〉するからそれを〈肯定〉と取ってねっていうような歌詞の書き方なんですね。

2枚目シングル「黄金の月」 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

もし仮にネガティヴな言葉が隠されていたとすると、この曲のメッセージは極めてネガティヴになります。「夜空に光る 黄金の月などなくても」に続く言葉が、例えば「失ったものは二度と手に入らない」のようになります。非常に後味が悪く、文章としてもかなり不自然です。

 

以上の考察から、私は、最後の省略には「悪いことはない」というメッセージ(言葉)が隠れていると考えます。補完すると以下のようになります。

夜空に光る 黄金の月などなくても

悪いことはない ←補完部分

「黄金の月(補完ver.)」

これを正しいと認めた上で解釈を進めます。このままでも“わからないことはない”のですが、もう少し読みやすく変形します。

まずはじめに、「黄金の月(補完ver.)」を少し違った視点から見ます。「黄金の月がない」という仮定から「悪いことはない」という結論を導いている、つまり「AならばB」として解釈し、以下のように記号化して整理します。詩的な表現も簡明のために一度簡略化します。

  • 「黄金の月がある」をPとします
  • 「悪いことがある」をQとします

さらに、以上の記号を「黄金の月(補完ver.)」に合わせて変形します。

  • 「黄金の月がない」は、not(P)として表現します。
  • 「悪いことがない」は、not(Q)として表現します。

これらの記号を使って「黄金の月(補完ver.)」を表現するとnot(P)ならばnot(Q)となります。記号を言葉に戻すと、「黄金の月がない ならば 悪いことはない」です。言葉の意味が捉えづらいとは思いますが、この意味はさほど重要ではないので、単なる機械的操作として受け入れてください。

 

次に、「not(P)ならばnot(Q)」の待遇*4をとります。対偶は、「AならばB」 と「not(B)ならばnot(A)」は同値(真偽値が一致する!)を意味します。ここでは両者は同じことを意味しているくらいに思ってください(杜撰ですが...  詳しくはggrks)。念のため簡単な例を出しておくと、「ライオンならば動物である」の対偶は「動物でないならばライオンではない」です。見た目が複雑になりますが、対偶を使って「not(P)ならばnot(Q)」変換し、「not(not(Q))ならばnot(not(P))」を導きます。意味を考えると混乱してしまうので、意味を考えないのが大切です。

 

ここで上で引用した「〈否定〉文があったら その〈否定〉文を〈否定〉するからそれを〈肯定〉と取ってね」というスガの言葉を思い出してください。スガの言葉を記号化すると、「not(not(A))ならばA」となります。この「任意の命題の否定の否定は肯定である」は、「二重否定除去則」という古典論理の公理です。偶然としてはできすぎですが、先のスガの発言は古典論理の公理を言い表しています。そして、「『黄金の月』はその規則を使って解釈して欲しい」と言っています。では、スガの言う通り、「not(not(A))ならばA (二重否定除去則)」を使って、not(not(Q))ならばnot(not(P)) と変形された「黄金の月(補完ver.)」を整理します。難しく見えますが「裏の裏は表」のように考えれば簡単です。not(not(Q))はQと同値で、not(not(P))はPと同値です。したがって、「not(not(Q))ならばnot(not(P)) 」が正しいならば、「QならばP」も正しいことがわかります。

 

機械的操作はこれで終わりです。ここで「QならばP」という記号の並びを読める状態に戻します。上に書いてありますが読みやすさのために再確認します。

  • 「黄金の月がある」をPとします
  • 「悪いことがある」をQとします

「悪いことがある ならば 黄金の月はある」となります。とても機械的な文章なので、原文と照らし合わせて多少詩的な表現に戻します。すると、「悪いことがあっても 黄金の月はある」という文が完成します。これが「黄金の月」でスガが“言いたいこと”だと思われます。つまり、「黄金の月」の「夜空に光る 黄金の月などなくても」という結論は決して絶望ではなく、とても遠回りなやり方ではありますが、絶望とは真逆の「黄金の月はある」という希望を歌っている訳です。これを念頭に置いて、最後のサビで見られた不可思議なナイーヴな表現の連続と補完(と変形)した結論をもう一度確認します。 

ぼくの未来に 光などなくても

誰かがぼくのことを どこかでわらっていても

君のあしたが みにくくゆがんでも

ぼくらが二度と 純粋を手に入れられなくても

「黄金の月」サビC

 「補完した結論」と“同じこと”を意味する結論

悪いことがあったとしても

夜空に光る 黄金の月はある

「黄金の月(補完ver.)」の変形

 このように整理すると、サビCの「悪いこと」の羅列は、「そうした悪いことがあっても、黄金の月はある」という結論を導くための伏線だったことがわかります。先に触れた『堕落論』と同じく、非情な現実を羅列した後、逆説的に生を肯定する構造です。

 スガは、夜空に輝く月をメタファーとして、良いことばかりが連続しない(≒時には辛いことがある)生を肯定しています。少し深読みすると、日中には太陽があります。したがって、「日中であるor日中ではない(夜)」のどちらの場合でも問題はない訳です*5。すると、「黄金の月」を“生の全肯定”として解釈することもできますが、そこまで大きく解釈するかどうかは読み手次第でしょう。

ただ、「黄金の月」の根底に隠された「夜空に光る黄金の月は“ある”」という何にも代えがたい強烈な肯定が多くの人を惹き付けている、そこだけは確かな気がします。だからこそ、一度は絶望に震えた森川氏の心は救われたのだと思います。

 

おまけ

この記事ではスガの詩に触れたのみで、音楽に触れることができませんでした。罪滅ぼしにスガシカオの音楽の変遷ついて理解が進むプレイリストを作りました。リリースの時系列順です。いくつかを除いてほぼキーE(ギターとベースの開放弦が使えるファンクの基本!)の曲なのは(半音下げチューニングを使用したと思われるE♭の曲も含まれる)意図的です。理由は、スガのキーEの曲のAメロをワンコード一発で押し通すことが多く、キーEのワンコードの制約の中で聴かせる曲を作るため、スガが曲にバリエーションを持たせるためにサウンドプロデュースを工夫しているからです。キーEの曲のワンコード部分を比較することで、スガのサウンドプロデュースの変遷がよく掴めるということです。

彼の曲を100曲ほど分析した経験がありますが、詩、メロディ、ハーモニー、リズム、サウンドプロデュースまでを視野に入れた有機的なスガシカオ論を語るにはまだまだ熟成が足らず、しばらくは無理そうです。ただ、全く触れないのは面白くないと思うので少しだけ触れると、例えばスガは、Radioheadの「Creep」などで見られるⅠ-Ⅲのコード進行を極めて好むことが挙げられます。長調の世界には存在しない短調の響きを使用することでスガは長調の曲に陰影を付けます。これはスガの手癖です。

先に書いたように近日中には到底無理ですが、平成日本音楽界の巨人として評価されるべき存在のスガが十分に評価されていない(売れるという意味ではない)現状には多少の不満があるので、いずれ整理しようとは思っています。個人的には、椎名林檎宇多田ヒカルと同等の評価が妥当だと思っています。押しも押されもせぬ日本音楽界の巨匠、細野晴臣は、スガの「あまい果実」を以下のように評しています。

「え?5年前の曲?う~ん、世に出すのが早すぎたね・・。」

あまい果実 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

 

他にもバート・バカラック(神)がスガシカオ「正義の味方」を気に入ったという話があります(◎東京ジャズTokyo Jazz (Part 2) ~ルーファスとスガシカオとバカラックとの邂逅 | 吉岡正晴のソウル・サーチン)。巨匠に認められることが、直ちに音楽的に素晴らしいことを意味する訳ではありませんが、参考程度に...。

 

スガシカオをまとめたい気持ちも山々ですが、他に興味があることが一段落してからになると思います。今、音楽関係で興味があることが膨大にあって自分でも混乱しています。電波ソング、ドリームポップ・シューゲイザーの起源としてのブルガリアの音楽の影響、動物の音楽認知など、整理したいことが無限にあります。一応、近々それらのいずれかについて記事を書く可能性があります。

 

あぁ、スガシカオに戻ってくる日は、いったい...

 

補完

Coqを使用して証明したので間違いないと思いますが、同値な命題の置き換えが許された操作かどうか不安でした。しかし、以下の資料によると、許された操作のようなので証明は不要でした...。少なくとも命題論理において、それと同値な命題の置き換えは許されているようです。普通に考えて、命題Aと同値な命題Bは、命題Aが仮定にある時点で演繹できる(=仮定に加えられる)訳ですし、不思議なことではなかったです。“言い換え”のようなものでしょう。

命題論理における命題論理式の部分論理式を, それと論理的に同値な論理式で置き換えても, 元の命題論理式と論理的に同値である
ソフトウェア科学特論: 命題論理

 

 

*1:事務所はその難解さを理由に歌詞の書き換えを要求したと言われています。しかし、スガが拒否したため現在の形のままリリースされることになりました「先のことを考えちゃいけないんですよ。」──スガ シカオ | BARKS

*2:勿論、例外はあります。例えば、「ぼくたちの日々」の歌詞は「すり減っていく」で終わります。他にも七夕をテーマにしたと思われる「7月7日」はかなり暗い印象を受けます。

*3:音楽的孤立 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

*4:当然のように待遇を使用しましたが、待遇は二重否定除去則から導くことができます。したがって、スガが「二重否定除去則を使用してほしい」との発言を認めた時点で、待遇の使用も認められます。本人が上の解釈で使用したような細かな規則を知っていたとは思いませんが、自然な論理的正しさを意識した結果、論理的に整理された美しい歌詞が生まれたのでしょう。

*5: (A or B)の論理式が仮定にある時、A->C かつ B->Cが演繹できるのであれば、(A or B) -> C は真。つまり、日中には太陽があるので、問題はない。日中でない時(夜)にも月があるので問題はない。日中or日中ではない ->(問題はない)が演繹できる

Elizabeth Frazerと、ルーツを巡る物語

 

Elizabeth Fraser(以下:リズ)の声を初めて耳にした時の衝撃は強烈でした。「これは恐らく自分の全く知らない世界(ルーツ)から来たものだろう」と直感しましたが、その正体を掴めない状態が長く続きました。理由は簡単で、目につきやすいところに答えがないからだと思います。例えば、日本語と英語のウィキペディアを見てみるとしましょう。

 

バンドは、当時、ジョイ・ディヴィジョンバースデー・パーティーセックス・ピストルズスージー・アンド・ザ・バンシーズの影響を受けており、コクトー・ツインズというバンド名は、シンプル・マインズの初期の未発表曲に由来している。 コクトー・ツインズ - Wikipedia

 

 The band's influences at the time included The Birthday Party, Sex Pistols, Kate Bush and Siouxsie and the Banshees  
英語ウィキ Cocteau Twins - Wikipedia

 

この記述が多くのブログで拡散されているようですが、私は彼らの音楽を何度聴いても、リズのルーツがパンクやニューウェーヴであるという説明には納得できませんでした。代表作とされる『Treasure』収録曲を筆頭に、何曲も音楽的に分析しましたが、3拍子の曲が多いことからもわかるように、彼ら(とりわけ、リズ)のルーツに8ビートをベースとしたロックミュージックの文脈が最も大きな影響源とは到底思えませんでした。他にも、大胆なアルベジオ(つまり、音の跳躍が大きい)メロディなど、分析すればするほど「パンクやニューウェーヴとは違う」とばかり思いました。確かに、部分的には例えば、ゴスからの影響などが認められますが、やはりそれは決定的ではないと思いました。そして、音楽には必ず何かしらのルーツがあるにも関わらず、リズの場合に限って「大部分は天性に由来する」と考えることには常に違和感がありました。

 

しかし、その疑問を氷解させる記事を見つけました。彼女の決定的な影響を受けた音楽は、『Le Mystère Des Voix Bulgares』というブルガリア音楽です。そのことについて書いている記事から引用します。

 

she reveals that her vocal style was greatly influenced by the a cappella recordings of Bulgarian folk singers. After coming across the cassette of Le Mystère des Voix Bulgares, Fraser decided that she would learn it by heart and that it would be her “teacher and her home.”
John Grant and Elizabeth Fraser In Conversation at The Royal Albert Hall / In Depth // Drowned In Sound

 

リズの声に馴染みのある人であれば、聴いた瞬間にわかると思います。

 

ブルガリア唱歌を「天使の声」と称賛するコメントを頻繁に目にしますが、そこもリズと一致しています。

 

この音源の誕生には、ブルガリア人作曲家のフィリップ・クーテフ(Philip Kutev)と、マーセル(Marcel)とキャサリン(Cathrine)というスイス人の夫婦が大きく関係しています。それについて書きます。

 

クーテフは、政府から依頼で、ブルガリアの民謡のためのグループを創設しました。彼はブルガリアの伝統音楽に不協和音や印象派や12音技法を組み合わせる斬新なアレンジを施しました。その後、彼が率いていたFilip Kutev Ensembleというグループが、 Bulgarian State Television Female Vocal Choir (以下:BSTFVC)というグループになりました。そしてこのBSTFVCこそが、後にリズに絶大な影響を与えることとなる『Le Mystère Des Voix Bulgares』のほとんどの曲に参加したグループです。

 

美しい音楽が誕生したことは良いものの、時代は冷戦でした。したがって、録音に至るまでの道は平坦ではありませんでした。そこで登場するのが、先に少し触れたスイス人の夫婦、マーセル(Marcel)とキャサリン(Cathrine)です。夫のマーセルは、ラジオ曲で働いており、Disques Cellier,という伝統音楽のためのレーベル運営もしていました。彼らが、どこでブルガリア音楽を初めて耳にしたかは定かではないですが、その魅力に取り憑かれ、1950年代後半、彼らはなんとかしてブルガリアに定期的に訪れる許可を得ました。

 

その当時をマーセルはこう振り返ります。

It was the time of absolute Stalinism.You couldn't speak with people on the street.(They)were afraid of coming into contact with western travellers.

 

キャサリンはこう言います。

But the music  was so beautiful.The attraction was so strong.
in spite of all this , we couldn't resist travelling there.

 

彼らは、35kgもある大きな録音機器を持ち運びながら首都ソフィアから地方までを移動し、ブルガリアの伝統音楽のレコーディングを行いました。そして、彼らが録音したものとRadio Sofia(ブルガリアのラジオ曲?)のアーカイブを組み合わせれて誕生したのが、『Le Mystère Des Voix Bulgares』です。1975年のことでした。この音源が、どこかを巡り、エリザベス・フレイザーの手元に届いたのだと思います。リズの話はここでお終わりです。この記事でリズのルーツと同じくらいに書きたかったことを以下に続けます。音楽の伝わり方についてです。

 

当時は、一部の音楽愛好家の間でしか広まりませんでした。しかし、その音源が、偶然オーストラリア人のダンサーの友人から手渡されたBauhausのヴォーカリストのPeter John Murphyの手に渡り、続いて4ADの創設者のひとりであるIvo Watts-Russel(以下:アイヴォ)のもとに届きました。アイヴォはその音を非常に感銘を受け、マーセルを突き止め、彼から許可を取り、1986年に4ADから『Le Mystère Des Voix Bulgares』を再リリースしています。彼はこの作品を自身のキャリアにおいて非常に重要なものだと考えているようです。彼の発言が含まれる部分を引用します。

“It was timeless, it is timeless and it always will be timeless.” Watts-Russell calls the album “a highlight of my life, my career.”

How Le Mystère Des Voix Bulgares became a timeless cult phenomenon

余談ですが、Frank Zappaブルガリア音楽を愛好していたそうです。アイヴォは彼に『Le Mystère Des Voix Bulgares』を送ったと言っています。

 

リズの話からさらに外れますが、作曲家クーテフについて少し書きます。面白いことに彼は、実は芸能山城組の創設に間接的に関わっています。小泉文夫という民族音楽学者が、クーテフに接触しています。彼はクーテフと会った際、「西洋音楽教育を受けた人は使わない」というクーテフの方針に大きな共感を覚えたようです*1。小泉は帰国後、個人的に親交のあった芸能山城組の創設者となる山城祥二の手元にブルガリア音楽を届けました。その後、山城がどのように動いたかは芸能山城組の公式HPに書かれています。彼は、芸能山城組の前身グループで、1968年にブルガリアン・ポリフォニーの演奏を世界で初めて成功させています。

この話題の最後に、芸能山城組の参加資格について触れておきましょう。公式HPから引用します。

2.芸能山城組は、アマチュアの集団で音楽・芸能をなりわいとはしておりません。そのため原則として音楽・芸能を職業とされている方はご遠慮いただいております。ご不明な点はご相談ください。
芸能山城組の活動への参加 | 芸能山城組

 これ以上の詳細は述べませんが、果たしてこれは偶然と言えるでしょうか。

 

ブルガリアの美しき伝統音楽に始まり、偉大なるアマチュアリズムを実践するPhilip Kutev、命がけで素晴らしい音楽を追い求めたマーセルとキャサリンシューゲイザーやドリームポップに絶大なる影響を与えたElizabeth Frazer、今現在でも一貫したレーベルコンセプトを維持し続ける稀有なレーベル4ADとその創設者Ivo Watts-Russel、坂本龍一西洋音楽から解放した民族音楽学者の小泉文夫Akiraの音楽を全面的に担当した芸能山城組にまで至る大きな物語ができました。どこで何がどのように作用し、影響を与えてゆくかは本当に我々の想像を簡単に超えてしまいます。以前このブログで「日本音楽とはいったい」という記事で少し触れたことですが、多様性が音楽、延いては文化の発展に極めて重要だということに改めて気付かされます。

 

終わりに、キャサリンの素晴らしい言葉をここに置いておきます。彼女は、2013年に最愛の夫を亡くしました。そしてその1年後、彼女は、ブルガリア国営放送からの表彰のためにブルガリアを再訪しました。式後のインタビューで彼女は「冷戦時代に夫婦で東ヨーロッパを旅して、5000回ものレコーディングしたのは本当ですか?」と質問を受けた際、以下のように答えました。

 “When one works with love, one does not necessarily keep strict statistics.”
「人は愛をもって働くとき、必ずしも数字を守るとは限らない」


キャサリンとマーセルの名は、音楽の歴史の底に静かに刻まれています。

 

参考資料

 

How Le Mystère Des Voix Bulgares became a timeless cult phenomenon

この記事を書くにあたって最も参考にした記事。読めるのであれば、こちらを読んでもらった方がいい気もします。サイトの中身がなく、キャッシュのみになっていたので、この情報が消失してしまうことを恐れてこの記事を書きました。

The Quietus | Features | Anniversary | 4AD Founder Ivo Watts-Russell On Le Mystère Des Voix Bulgares

アイヴォとブルガリア音楽の関わりについて参考にしました。

 

 

*1:実は、Pete Seegerも同様のことを言っていたと言われています。

愛×アキバ×桃井はるこ

 

桃井はるこの自伝的作品『アキハバLOVE』を読んだ。最近興味のある電波ソングについての情報目的で購入した本だったが、「まえがき」を読んだ時点で、予想をはるかに超える素晴らしい本だと確信した。この本に初めて触れる人の感動を奪いたくないので詳細は割愛するけれど、優しさに溢れていることだけは伝えておきたい。 

アキハバLOVE

(絶版になっているので入手する人はお早めに)

 

さて、前書きもほどほどに、この“ネ申本”の話を進めたい。

この本には、桃井はるこの目から見た秋葉原という街と、「好き」を理由にそこに集った人々の物語が綴られている。秋葉原という場で、格闘ゲーム美少女ゲーム、コンピューター、アイドル、アニメなど、種々様々なオタ(ここではオタクとは書かない)が交流し、「アキバ」という一つの物語を紡ぐ。「アキバ」が、歩くだけで、延いてはその場にいるだけでスリルや魅力を感じられる特別な場所であったことが手に取るように伝わってきた。桃井は、その街とそこに集う人々を誰よりも愛していたのだと思う。 この本は、オタへの深い愛で溢れている。彼女は、世間の目に屈することなく“好き”への欲求に従うはみ出し者たちに肯定の眼差しを注ぐ。それは彼女自身が、小学生の頃のプレゼント交換会で、レア物のミニ四駆を用意し、サンリオ製品を期待していた友達の女の子を引かせた経験のある生粋のオタだからこそ出来ることなのかもしれない。桃井はるこは、どこまでもオタの味方なのだと思った。

ただ、彼女は「アキバ」のインサイダーにも関わらず、「アキバ」で起こる現象を熱っぽくも冷静に観察しているので、オタ特有の「キモさ」とは無縁で、私のようなアウトサイダーにも「アキバ」の特異性と魅力が大いに伝わってきた。男性が大多数を占めるオタ文化において、女性だからこそ保てる距離感があるのかもしれない。今でいうところの「オタサーの姫」的な香りも全くしない。逆に、アイドル的な芸能活動の軌道に乗っていることが本意ではなく、自らの理想とする「オタ的」な音楽活動を求めてアイドル活動を休止する彼女の誠実さに心を打たれた。

 

彼女のオタとしての守備範囲は広く、例えば音楽であれば本職はアイドル歌謡だが、当時からKraftwerkPixiesNirvanaなどを愛好する洋楽オタでもあった。しかし、そうした知識以上に注視すべきは、彼女が自分なりの考えを表明するというオタとして最も基本的かつ重要な態度で一貫していることだと思う。彼女は自分の考えを持っている。例えば、西洋アーティストの来日公演で観客が海外的に振る舞う様子について疑問を投げかけ、それと正反対とも言える純日本産のオタ文化の魅力を説く。彼女はその考えを、内輪ノリの安っぽい「オタ文化擁護」としてではなく、「日本らしい文化」の結論として導く。彼女は「萌え」について、「ドジっ娘」の例を挙げ、過程を愛でることだと考察している。面白いことに、過程への愛着は、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で書いていることでもある。年功序列、甲子園の人気、育てるアイドルグループAKB48など、現代の様々な日本文化も過程への愛着という点で繋がっている。「萌え」は日本で生まれるべくして生まれたのだと思う。

 

上述の萌えの考察からもわかる通り、彼女は慧眼だった。彼女の先見の明には何度も驚かされた。女性の自撮りが主体となるSNSの登場、カジュアルにネットに接続できるゲーム端末の登場、オタク的アイドルの登場、Perfumeの成功など、様々なことを予見していた。

 

私は東京在住ではないけれど、この本に書かれていた桃井お気に入りの喫茶店に行きたいと思った。しかし、残念ながら、店名の「コロナ」をググると、『アキハバLOVE』出版の1年後(約10年前)に閉店していたことがわかった。望むことに限って上手くいかない人生の仕様に嫌気がした。諸行無常とはいえ、「アキバ」の変化は早すぎる。「一見さんお断り」と暗に書かれていたかつての「アキバ」は、もうリアルには存在しない。美少女アニメ、ゲーム、コンピューターなどを好きと言うだけで後ろ指を指される時代は終わった。その潮流を桃井はるこは、「日本がアキバに近付いている」と説明する。当時の「アキバ」は本当に最先端だった。それは時代が証明している。

 

行ったこともない街の変遷に一抹の寂しさを覚えながら、本でしか読んだことがない街と、その街にあったとされる魅力的な喫茶店の姿を夢想していると、どこか2次元と3次元の隙間に入り込むようなヴァーチャルな感覚がした。

 

 

あとがき

この記事の本文では触れないことにしたが、 『アキハバLOVE』出版の1年後の2008年6月8日、前代未聞の事件が秋葉原を襲った。凶行の理由は、ネット上の居場所を奪われたから。私は当時まだ10代だったけれど、ネット社会の負の面が表面化した事件だったと記憶している。幸か不幸かの判断はしかねるが、『アキハバLOVE』は、この事件を逃れた。結果、夢の街としての「アキバ」の香りで満ちた内容となっている。本に書かれていないことなので直接は触れないことにしたけれども、全く触れないことにも違和感があるので、このような形を取って最後で触れることにした。当時を知らない私の語りより、桃井はるこが事件の2日後に書いた記事があるので、是非そちらを読んでもらいたい。

 

電波への道程

※知り合い以外が見ることを想定していない記事です。 

何やら電波ソングbotによって拡散されてしまったようですが置いておきます。この記事は自分と友人が考えるための共有メモのようなものです。毎日のように加筆・推敲を繰り返しているので、注意してください。頭の中を上手く整理できたら、電波ソング通史を書くかもしれません。お兄様・お姉様、お手柔らかに。

 

現状の課題。

電波ソングの早口の起源の特定。早口以外の表現は1980年の「ジェニーはご機嫌ななめ」が起源と思われる。電波ソングは、アイドル文化とゲーム音楽の折衷点で誕生したと考えている。アイドル文化とゲーム音楽が混交したという点で先駆的な作品は1989年に発表された「きみはホエホエむすめ」と思われる。しかし、早口や「語り・掛け合い」を含む典型的な電波ソングの登場は特定できていない。ただ、少なくとも2003年の電波ソング全盛期には、「語り・掛け合い」を含むいわゆる電波ソング的な要素の全てが認められる曲が複数あることが確認できるので、1989年〜2003年の間であることは恐らく間違いない。

 

電波ソングの曲中で見られる「語り・掛け合い」の起源。アイドル文化を基本に、美少女ゲームとの関連があると思われる。今特定できている範囲では、1992年の『卒業 ~Graduation~』が最も古い。ただ、まともに調べていないのでより古いルーツがある可能性が極めて高い。

 

・「きみはホエホエむすめ」に至るまでの秋葉原の動向。とりわけ、当時の秋葉原のアイコンの桃井はるこのような活動をしていた人が存在していたかどうか。桃井はるこの自伝があるのでそれを資料として少しまとめる予定。←(『アキハバLOVE』を読了)

 

はじめに

 
電波ソングの文化的価値

70年代に誕生したヒップホップの創始者の一人として名高いAfrica Bambaataaは、ヒップホップの4大要素として「DJing(曲)」、「MCing(歌)」、「Breakdancing(踊り)」、「Graffiti(絵)」を提唱しました。この考え方は、電波ソングにも当てはめることができます。電波ソング的トラック(曲)、稚拙さを逆手にとる特殊な歌い方(歌)、オタ芸(踊り)*1、萌え絵(絵)と綺麗におさまります。これは、欧米からの影響を良くも悪くも強く受けてきた日本の文化としては極めて珍しい現象だと思います*2。60年代以降、上に挙げた4大要素の全てを満たす「純国産」の文化は、電波ソング(萌え文化?)が唯一とさえ言えると思います。「キモい」と忌避されがちですが、「純国産」の文化として極めて重要だと思います。ゲーム音楽テクノポップ、同人文化、技術革新、美少女・アダルトゲーム、クラブミュージックなどが幾重にもなる層を形成し、電波ソング誕生に至るまでの過程はまさに奇跡の連続です。

 

音楽的表現

ウィキによると電波ソングの定義はこのようになっています。

電波ソング(でんぱソング、電波歌、電波曲)は、「過度に誇張された声色」、「意味不明、支離滅裂だが印象的な歌詞」、「一般常識からの乖離」、「奇異ではあるが耳に残る効果音や合いの手、掛け声」、「一度聞いたらなかなか頭から離れない」などを特徴に持つ音楽を指す

 

この定義からわかるのは、電波ソングの「何でも極端にする」という精神性です。ただ、この定義から見ると、足し算的な想像をされるかもしれませんが、引き算も極端にするのが電波ソングだと思います。わかりやすく言うならば、極端な単純化という感じでしょうか。例えば、単純性(幼稚性)を表現するのに有効な「ドンパン」というリズムが挙げられます。電波ソングは、4つ打ちであることが多いがそうでないこともあります。しかし、そうでない場合でも1拍と3拍のキックはほぼ外さないです。したがって、1拍目と3拍目のキックが基礎で、そこから発展したものとして4つ打ちがあると考えるのが良いと思います。また、打ち込みのためかスネアとキックの音が重なった時、完全に重なってしまうためほとんど聴き取れないことが多く、身体感覚を表す意味でも「ドンパン」という言葉を選びました。「4つ打ちからの引き算で考えることと何が違うか」と問われると難しいですが、より単純(音数が少ない)方を基礎と考えました。先ほど述べた1拍目と3拍目のキックを基本に、2拍4泊にスネアを置くと完全なる「ドンパン」が完成します。勿論、キックが4つ打ちでも「ドンパン」に含むとします。このリズムは、1989年の電波ソングの始まりからMosasic Wavに至るまで頻繁に登場します。

さらに、この1拍目と3拍目にキックが置かれることは、電波ソングが、ダウンビートにキックを鳴らすことを特徴とするトランスや、1拍目と3拍目のキックを内包する4つ打ちを特徴とするハウスとの相性が極めて良いことを意味しています。1990年代前半に誕生したドラムンベースなどのクラブミュージックが後に電波ソングと結び付くのは必然だったと言えます。例えば、2009年に発表された「【ハンマー状態】ハンマーを電波ソングにしてみた 」は「ドンパン」を基本としつつ、後半部分ではドラムンベースのようなパートを導入しています。また、フランス人のDJ(トラックメイカー?)のディミトリ・フロム・パリが、電波ソングを作成したことにも納得いきます。彼の曲はなかなかにツボを押さえていて、「ドンパン」を基本としながら、上手く彼なりに崩しています。「Neko Mimi Mode 」 

年表 

電波ソングはまとまった文章が不足している上に、成り立ちが複雑で実態を捉えることがとても難しいです。その上私はオタクカルチャーには明るくないというありさまですが、気合いで年表としてまとました(随時更新)。単なる羅列ではなく、重要なことや気づいたことなども併記します。柱としたのは、美少女ゲームを筆頭とする萌え文化(≒オタクカルチャー)、技術の発展、ゲーム音楽、クラブミュージックなどです。私も暗中模索ですが、眺めているだけでも何かしら見えてくるものがあると思います。日本語と英語のウィキを中心に、個人ブログなど色々なところから集めた情報をベタ張りした箇所が多くあるので、言葉遣いが統一されていないですが許してください。

 

1970年

Kraftwerk 結成(『Autoburn』は1974年)

 

1975年

初期のアーケードゲーム『Gun Fight』誕生。

BGMはないが、勝利時にはファンファーレが聞ける。

 

1978年  

スペースインベーダー』の誕生 (実はスターウォーズの影響)

現代音楽のような不気味なループが、割とインタラクティヴになっている。

ゲームプレイにBGMが付いた。

※生みの親の西角 友宏 曰く、当時はPCも何も普及していなかったため、制作のために必要なものから全て作った。

https://www.youtube.com/watch?v=D1jZaIPeD5w

 

YMOは『スペースインベーダー』からサンプリングをした曲を制作。さらに、YMOは、「サーカス」というブロック崩しタイプのアーケードゲームの音をサンプリングした曲も制作。この2曲が収録されている『イエロー・マジック・オーケストラ』がリリース。ゲームミュージックに大きな影響を受けたYMOは、逆にゲームミュージックに大きな影響を与える存在となる。

 

1979年

YMOライディーン」発表。 

 

80年代の流れ

美少女ゲームとしてはナンパゲームの時代。8ビットパソコンが普及し始めた1980年代の前半には、『野球拳』の様なゲームや、光栄(現コーエー)が発売したストロベリーポルノシリーズの様な、アダルトソフトしか存在しなかった。これには、当時のパソコンの外部記憶メディアの主流がカセットテープであり、画像データの扱いに時間が掛かってしまう事や、フロッピーディスクを搭載した機種がビジネス向けの16ビットパソコンに限られていた事も関係している。8ビットパソコンにもフロッピーディスクが普及し始め、また16ビットパソコンが低価格化して行った1980年代後半に入って、ナンパケームや恋愛アドベンチャーゲームが出る様になり、「擬似恋愛」の過程を楽しむ事へのニーズが掘り起こされて行くことになった。

 

In the history of computer and video games, the third generation (sometimes referred to as the 8-bit era) began on July 15, 1983, with the Japanese release of both the Family Computer (referred to in Japan in the abbreviated form "Famicom", and later known as the Nintendo Entertainment System

 

As advances were made in silicon technology and costs fell, a definitively new generation of arcade machines and home consoles allowed for great changes in accompanying music. In arcades, machines based on the Motorola 68000 CPU and accompanying various Yamaha YM programmable sound generator sound chips allowed for several more tones or "channels" of sound, sometimes eight or more. The earliest known example of this was Sega's 1980 arcade game Carnival, which used an AY-3-8910 chip to create an electronic rendition of the classical 1889 composition "Over The Waves" by Juventino Rosas.[10]

 

 

The mid-to-late 1980s software releases for these platforms had music developed by more people with greater musical experience than before. Quality of composition improved noticeably, and evidence of the popularity of music of this time period remains even today. 

 

※Home console systems also had a comparable upgrade in sound ability beginning with the ColecoVision in 1982 capable of four channels.Approach to game music development in this time period usually involved using simple tone generation and/or frequency modulation synthesis to simulate instruments for melodies, and use of a "noise channel" for simulating percussive noises. Early use of PCM samples in this era was limited to short sound bites (Monopoly), or as an alternate for percussion sounds (Super Mario Bros. 3). The music on home consoles often had to share the available channels with other sound effects. For example, if a laser beam was fired by a spaceship, and the laser used a 1400 Hz square wave, then the square wave channel that was in use by music would stop playing music and start playing the sound effect.

 

In the popular music industry, video game music and sounds have appeared in songs by various popular artists.[52] Arcade game sounds had a particularly strong influence on the hip hop,[53] pop music (particularly synthpop)[54] and electro music[55] genres during the golden age of arcade video games in the early 1980s. Arcade game sounds had an influence on synthpop pioneers Yellow Magic Orchestra,[56] who sampled Space Invaders sounds in their influential 1978 debut album, particularly the hit song "Computer Game".[37] In turn, the band would have a major influence on much of the video game music produced during the 8-bit and 16-bit eras.[36]

 

AKIHABARA 1983 (1983年の秋葉原) - YouTube

昭和61年の秋葉原 Akihabara 1986 - YouTube

昭和末期の秋葉原電気街。まだ家電と電子部品の街で表通りに家電店、裏通りに部品屋とジャンク屋という感じです。現在のダイビルUDXの場所は神田市場で、休日は薄汚い立体駐車場が買い物客に開放されていました。ヨドバシのあたり一帯は貨物ヤードと日通の倉庫で、とにかく秋葉原駅一帯が一種独特な雰囲気でした。

 また、ニコニコ大百科秋葉原の歴史」のコメントによると、80年代後半の秋葉原にはオーディオの時代があったようです。

25 : ななしのよっしん :2017/10/30(月) 18:01:24 ID: aNGX9s70Vg

電とパソコンの間にはCDオーディオの時代(80年代後半)があった。

 

 

 

1980年

6月: ジューシィ・フルーツが「ジェニーはご機嫌ななめ」をリリース。

今のところ、この曲が恐らく電波ソングの元祖と考えています。「ドンパン」、ぴこぴこサウンド、稚拙(良い意味で)なヴォーカル、萌え的なあざとさ、「イチャイチャ」、「ベチャクチャ」、「キュンキュン」などの擬音語・擬態語の多用など、後の電波ソング的な要素が確認できます。面白いことに、電波ソングが全盛を迎える2003年、Perfumeは同曲を中田ヤスタカの編曲でカヴァーしています。

ニコニコ大百科などで元祖とされている「キミはホエホエむすめ」は、いわゆる萌え文化ととテクノ歌謡が結びついた記念碑的作品と考えています。

 

1981年

Konami's 1981 arcade game Frogger introduced a dynamic approach to video game music, using at least eleven different gameplay tracks, in addition to level-starting and game over themes, which change according to the player's actions. 

 

「コンピューターおばあちゃん」が発表。

「ジェニーはご機嫌ななめ」とほぼ同様の理由で掲載。

 

深川通り魔殺人事件が発生。違法薬物を常用していた男が供述中に「電波が命令した」という言葉を発したことが世間の注目を集め、「頭がおかしい」という意味での「電波」の用法が一般化。後の電波ソング命名に繋がる。

 

1983年 

YMO「君に胸キュン」

この曲には随所に「キュン♪キュン♪」という擬音が見られるなど、あざとさ(萌え)の芽生えが見えます。また、ぴこぴこサウンドは勿論、典型的な電波ソングに見られるドンパンのリズムを確認できます。色々な面で誇張を意識されているあたり、電波ソングに繋がる多くの要素を発見できます。

 

任天堂ファミリーコンピューターを販売開始。

 

1984

細野晴臣氏のプロデュースにより、アルファレコードは『ビデオ・ゲーム・ミュージック』のレコードをリリース。これが、ゲームミュージックだけを扱った国内初のサウンドトラックとなる。オリコンチャート20位以内に入るヒットを記録。

「私の記憶によると、当時、スタジオでの音楽録音の際、ミュージシャンに多くの待ち時間があったんですよ。アルファのスタジオに限らずだと思いますけど、たいていのスタジオにはビデオゲームが置いてあるんですよね。ミュージシャンにはみんな空き時間があるので、その時間にビデオゲームをやっているんですよ」

ビデオゲームミュージックの父 小尾一介氏×大野善寛氏ダブルインタビュー 前編 - IGCC

 

1985年

スーパーマリオブラザーズ』(1985年/任天堂)が大ヒット 

 

1986年

渡辺美里My Revolution

 

1987年

TM NETWORKGet Wild

 

1988年

The KLFが、「What Time Is Love? 」リリース。トランスの原点と言われる。

The KLF - What Time Is Love? (1988 Pure Trance Original) - YouTube

 

1989年
10月:日本初の大型情報機器専門店ラオックスが、ザ・コンピュータ館を秋葉原外神田一丁目7-6に仮オープン。1990年にはザ・コンピュータ館が全館開店。秋葉原の新名所となる。
2007年に閉店した後、AKIBAカルチャーゾーンとなる。

 

アイドル八犬伝 「きみはホエホエむすめ」

アイドル八犬伝(FC) ED きみはホエホエむすめ - ニコニコ動画

電波ソング史における極めて重要な曲。ポップなメロディ、ぴこぴこサウンド、ドンパンのリズム(一番上で解説)など、電波ソングとして重要な要素が確認できます。この曲に萌え系の歌詞が混ざると、電波ソングそのものになります。実際、桃井はるこに2007年にヴォーカルを入れたヴァージョンをリリースしていますが、電波ソングそのものです。

 

 

90年代の流れ

ゲームのプラットフォームであるハードウェア記憶媒体進化したことで、BGM音楽的表現の技術的制約が解消され、音楽表現の幅が広がっていった。記憶媒体フロッピーディスクからCD-ROMへ移行すると、記憶容量が数倍にも跳ね上がり、現在CDと同じ音質のBGMや楽曲を収録することが可になった。これを機に題歌が付属する美少女ゲーム流となった

 

コンピュータゲームに特有の事情として、コンピュータの性能は時とともに大きく進歩している。例えば、1987年の『学園物語』と1992年の『同級生』ではデータ量が単純比較で18倍にもなる。また、1990年代中期から普及し始めたCD-ROMの容量は、1992年の『同級生』の60倍近いものである。このことはゲームの中で声優の演技が楽しめるだけではなく、画像の品質も向上させることになる。また、最近では当たり前になったDVD-ROMの容量はCD-ROMの6.8倍にもなる。

また、パソコンの演算能力の飛躍的な向上は、3次元人体コンピュータグラフィックスの導入を容易にした。いわゆる「アニメ調」の画風が主流である恋愛ゲームにおいてリアルな3次元人体コンピュータグラフィックスはほとんど用いられず、痴漢や強姦をテーマにした成人指定のポルノゲームに用いられることが多かった。しかし、2003年に発売された『ゆめりあ』(PlayStation 2用:12歳以上推奨)、2005年に発売された『らぶデス』(Windows用:成人指定)では、3次元人体コンピュータグラフィックスでありながらトゥーンレンダリングなどでアニメ調の人物表現が行われ、あらかじめ用意された肖像ではなく、コンピュータが状況に応じて描き出した画像によってキャラクターが表現される様になったのである。

 

セガサターンプレイステーションの頃から、ディスクメディアが主流になっていった(但し、NINTENDO64はディスクメディアを使用せず、ROMカセットを使用。)。メディアの大容量化、ハードの高性能化により、「限られた音色で多くの曲を鳴らす」という制約が大幅に緩和され、さまざまなジャンル(ロックアンビエントオーケストラ曲ヒップホップテクノイージーリスニングジャズ等さまざま)の音楽が取り入れられるようになった。また、録音済みの音楽をストリーミングで流すという方法もしばしば登場するようになった。その結果ゲームミュージックは鑑賞用に販売されている通常の音楽CDと同等の品質を獲得するに至り、21世紀初頭現在の主なゲーム機の音声処理系はPCM系の録音済み波形を用いる方式が主流になっている。

 

 

小室哲哉が、1994年TMN終了前後から、観月ありさ篠原涼子trfhitomi内田有紀H Jungle with tdosglobe華原朋美安室奈美恵など、1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーヒット曲を打ち立てた。

※彼が影響を受けたアーティストには、ジョルジオ・モロダー(ディスコの父)が含まれる。無論YMOも含む。

 

第3次声優ブームの発生。

用語として一時期頻繁に用いられていたが、明確な定義は存在していない。おおむね1990年代半ばごろに起こったとされる。

  • 声優のマルチ活動化やアイドル化が進む。

  • 声優の音声入りのテレビゲームパソコンゲーム、声優がパーソナリティを務めるラジオ番組、声優が出演するイベントが増える。

  • 声優の歌手活動が増える。

  • 1994年に初の声優専門誌『声優グランプリ』『ボイスアニメージュ』が創刊される。

  • 1995年に初の声優専門のテレビ番組『声・遊倶楽部』が誕生。

  • 声の演技力のほかにも、特にアニメ・ゲームで活躍するには容姿の良さや歌唱力などといったようなことも声優に求められる傾向。

などといったようなことが、このブームの主な特徴として挙げられる。

 

 

90年代前半は、ドラムンベースとトランスが誕生。

 

トランスの特徴は以下。

Classic trance employs a 4/4 time signature,[6] a tempo of 125 to 150 BPM,[6] and 32 beat phrases and is somewhat faster than house music.[21] A kick drum is usually placed on every downbeat and a regular open hi-hat is often placed on the upbeat or every 1/8th division of the bar.

(上にあるように、ダウンビート(1拍目と3拍目)のキックがトランスの特徴として挙げられています。1と3を強調する電波ソングのドンパンと極めて相性が良いことが確認できます)

Rapid arpeggios and minor keys are common features of Trance, the latter being almost universal.

 

 

1990年代末以降インターネットが急激に台頭し、パーソナルコンピュータのウェブ端末としての利用が一般化した

 

「萌え」という言葉が広まったのは1990年前後であると推測されており[1][5]、その起源に関する主要な説も概ね1980年代末〜1990年代初頭頃に集約されている。一方で「萌え」の現代的用法の成立・普及については様々な説や主張があり、その起源や成立の過程は明らかではない

 

1980年に来場者数6000人だったコミケの来場者数が、1990年には、230,000人に増加。同人サークルの数は、380から13,000に増加。その後も急速に来場者数を増やし続けます。※コミケの始まりは、1975年で来場者700人。

その後の推移は、以下のリンクを確認。

Comiket - Wikipedia

 

1990年代の中ごろに差し掛かると、現在オタクコンテンツを総合的に取りそろえる店舗が登場した(とらのあな が筆頭か?)。

 

萌え系電波ソングオタク文化の産物とされるようなった経緯

電波ソング明期に美少女ゲームプレイしていた顧客層はPCに関する知識が豊富な層に限られていた。1989年前後のPC市場は様々な規格が乱立しており、Windows 3.1以降のPCよりもめられる専門知識が多かった。この頃の秋葉原日本一の「電」であり、パソコン関係の製品を取り扱った店舗が数多く存在しており、ハードウェアのみならずゲームを含めたソフトウェアを取り扱う店舗が営業していた。そのため、美少女ゲームプレイしていた層が秋葉原を利用する機会が多かった。

95年に、Windows95が日本で発売されます。 


1991年 

初期トランスと言われる作品の発表。

Another possible antecedent is Yuzo Koshiro and Motohiro Kawashima's electronic soundtracks for the Streets of Rage series of video games from 1991 to 1994.[14][15][16] It was promoted by the well-known UK club-night "Megatripolis" (London, at Heaven on Thursdays) whose scene catapulted it to international fame.

https://www.youtube.com/watch?v=5PqfoOBJBlk

 

1992年

『卒業 ~Graduation~』美少女ゲーム(ゲームに主題歌がつくように)

(主題歌の曲中でキャラの会話や語りが見られる)

[ PCE ] 卒業 - Graduation - - YouTube

 

12月:アダルトゲーム会社のエルフは、16ビットパソコンPC-9801シリーズ等用の成人向け恋愛ゲーム『同級生』を発売する。企画当初は従来のナンパゲームの様に50人の女性をナンパする内容だったが、女性の人数を13人に減らして、一人一人のストーリーを描く、恋愛小説の様な内容に変更された。この試みが大成功し、作品は成人向けゲームのみならず、『ときめきメモリアル』等のその後のゲームに大きな影響を与えた。また、同作品自身も性描写を他の表現に差し替える等して、家庭用ゲーム機用に発売されている。

 

1993年

「PC-FX きゃんきゃんバニーエクストラDX 」

やはり、ドンパンのリズムが基本。

 

1994年

5月:『ときめきメモリアル』販売開始(PCエンジン

 

6月:秋葉原で創業。当初は、秋葉原の路地裏にある雑居ビル(神林ビル)の3階の一室に店を構える同人誌の古書店だった。当時、同人誌を扱っている店はまだ少なく、同じビルの2階に入居していた「湘南通商」とはしごして同人誌やジャンク品を買い漁るマニアの姿が多く見られた。

 

12月:PlayStationの販売開始

 

小室哲哉のブーム到来(1999年まで継続?)

 

 

1995年

1月:エルフは、『同級生』の続編である成人向け恋愛ゲーム『同級生2』を発表する。前作以上に個々のヒロインのストーリーが作り込まれており、プレーヤーにとって選択の幅が狭まり、難易度が高くなった。この為、実質的には攻略本を片手に読み解く楽しみ方になったのである(これが後にビジュアルノベルというゲームジャンルを生み出す事になる)。そしてこの様なスタイルが恋愛ゲームの主流となるのである。後に、性描写を差し替えた家庭用ゲーム機版や、攻略ヒントを兼ねたアニメーションビデオ、そのビデオから性描写を除いたアニメーションのテレビ放映、ラジオ番組、キャラクターフィギュアなどのメディアミックスを行う様になる。元々成人向けゲームであった作品から、広く親しまれるキャラクターを産み出したという点で、『同級生』シリーズは特筆するべき存在となった。

 

10月:『新世紀エヴァンゲリオン』放映開始

※実は、初めからメディアミックス作品で、漫画版が前年12月で始まっている。つまり、アニメより漫画版が先。

 

11月:恋愛ゲーム『同級生』、性的描写を差し替える形で、NECの家庭用ゲーム機PCエンジン用のゲームソフトとして発売される。以後、同級生シリーズは、PC-FX版『同級生2』を除き、性的描写を緩和もしくは削除する形で家庭用ゲーム機に進出していく。

11月23日:Windows95の日本版発売。11月23日勤労感謝の日)の秋葉原などでは、当日になった瞬間に深夜販売を始める店が多く、業界関係者や報道陣を中心に一種のお祭り騒ぎの様相を呈した。

Windows 95発売当時の秋葉原 (sm20912964) - ニコニコ大百科

 
1996年 

東方Project開始

 

桃井はるこが、秋葉原オタク文化が集積しはじめた(本当か?)頃の1996年電波ソング発展に貢献したアイドル活動を開始。

 

夏のC50(50回目のコミケの意)から、同年完成した東京ビッグサイト有明)での開催となる。C50の開催はビッグサイトの会場の一部で行われたが同時開催の他のイベントからの多数の苦情が来たことから、次のC51では早くもビッグサイト全館貸し切りでの開催となった。

 

サウンド環境およびその他処理性能の充実から「音楽自体をゲームにする」という発想も登場した。1996年の『パラッパラッパー』、続く1997年の『beatmania』などが先駆けとなりいずれも大ヒットを記録、音楽ゲームという一つのジャンルを形成するに至った。 

 

1997年

小池雅也の楽曲提供により、桃井はるこが「GURA GURA」をリリースした。小池は「かわいいに汚れた音を乗せると、ギャップで萌えが引き立つはずだ」というコンセプトのもとで楽曲が提供された。桃井はるこは「萌え」をコンセプトに活動し、「ときめきメモリアル」のヒロイン藤崎詩織コスプレパワーグローブという出で立ちで、路上ライヴ

 

夏のC52以降、夏のコミケは3日間開催が定着、参加サークルは3万を超えるまでに至った。

 

8月:『同級生2』、Windows 95に対応する形で、再びパソコン用ソフトウェアとして発売される。家庭用ゲーム機版と同様にCD-ROM版となり、声優によるヒロインの演技を聞く事ができる様になった。

 

「メイドさんロックンロール/南ピル子」

リズムなどは電波ソングではないですが、歌詞に露骨に性的な描写が見られます。

  

1998年

カードキャプターさくら

デ・ジ・キャラット』 緑髪、メイド服、猫耳(1999年アニメ化)

主題歌のサビが、かなり小室サウンドに似ている。

 

モーニング娘。(9年ほど全盛期が継続?)

 

1999年

5月:2ちゃんねる開設

6月:KeyWindows95/98用恋愛ゲーム『Kanon』を発売する。このゲームによって、泣きゲーと呼ばれる、シナリオ志向のゲームの中でも特に感動的なストーリーに重点を置いたジャンルが開拓されることとなる。

NINTENDO64 が販売開始。

 9月:モーニング娘。 『LOVEマシーン』

4つ打ちが基本。ただ、微妙に裏にキックを入れていたりしているので、かなりファンキーに聞こえる。曲としての完成度が高い。

 

月不明:『beatmania IIDX

 

2000年代の流れ

美少女ゲーム世界観を広げることが的の電波ソング盛を極めた。2000年代初頭になるとインターネット爆発的に普及し、PCユーザーコミュニケーションラットフォームである2ちゃんねるが、美少女ゲーム電波ソングの話題を共有する場として機した。

 

90年代の年表から分かるように、コミケの参加者からわかる同人の普及(東方Projectなど)、家庭用ゲーム機の普及、アダルトゲームの家庭用ゲームへの移植、匿名掲示板の誕生、今日的なアイドル(モーニング娘。)、WindowsPCの普及、ドラムンベースとトランスの誕生、萌え文化(デ・ジ・キャラットが象徴的)の一般化など、大きな動きが立て続けに起こります。そして、その流れが一体となり、2000年代前半に電波ソングは黄金期を迎えます。

2005年には、今日的な電波ソングを制作する精鋭集団MONACAが本格始動します。 

 

2000年

3月:PlayStation 2が販売開始

「まじかるぶっくまーく にゅ~」

 

 2001年

桃井はるこが「萌え」を追求したロリ声ソングいちごGO!GO!エロゲ―「いちご打」題歌)※やはりリズムはキックとスネアのドンパンが基本 

 

「恋愛CHU!」がリリース。「ハレ晴レユカイ」的なリズムが聞ける。

 

モーニング娘。のサブプロジェクト的な、三人祭が「 チュッ!夏パ~ティ (Chu! Natsu Party) 」をリリース。典型的な電波ソングとは異なるが、地下アイドル(?)が電波ソングアイドルソングの間のような曲を制作している現在につながるかのような曲。

 

2002年

5月:まんがタイムきらら萌え4コマ」を初めて専門的に取り扱う雑誌 

※複数女性声優が主題歌を歌うように?(要検証)

 

2月小池雅也と共に「UNDER17」を結成した。「萌えソング18禁という束縛から解放し、もが楽しめる萌えソングを作る」というコンセプトを掲げて楽曲の提供に取り組んだ。これを筆頭として、現在まで活動を続ける電波ソング萌えソングユニットが続々と結成された。

 

2003年(全盛期開始?)

恐らく、電波ソングが完全に完成した年。

 

3月:アダルトゲーム『さくらんぼキッス 〜爆発だも〜ん〜』が発売。

電波ソング史上で重要と重要な以下がリリース。

KOTOKO / さくらんぼキッス ~爆発だも~ん~

 

「♪好〜き好き好き(×4)」、「ハイハイ」などの合いの手を含んだ電波ソング。歌とセリフの掛け合う部分では単なる合いの手ではなく長めのセリフパートを挿入したり、「ハイハイ」といった合いの手に限らずKOTOKOが声優のようなパフォーマンスを見せる部分もあったりと、歌だけでなくセリフや合いの手など様々な仕掛けを含ませたエンターテイメント性や演出性の高い楽曲となっている[1]電波ソングブームの先駆けとなった作品の1つとして知られる[2]。制作陣のなかで「キュンキュン系」と称される方向性を持った楽曲

音楽ユニットMOSAIC.WAVのボーカル・み〜こはユニット結成時に、当時リリースされた本作から「こういう明るくて、楽しくて、ちょっと笑えるような曲調でいこう」と考えたと語っている

 

アダルトゲーム『DA・パンツ!!』が発売。

主題歌の強烈な世界観が典型的な電波ソング的要素を持つ。

DAパンツ!! 主題歌 PAPAPAPAPANTSUだってパンツだもんっ!

 

 

5月: 『巫女みこナース』が発売。柏木るざりん作曲の同名主題歌が流行る。

最初の語り部分、ぴこぴこサウンド、4つ打ち、良い意味で稚拙な歌、萌え系の言葉を使ったキメなど、完全に電波ソングです。

 

余談。「巫女みこナース」の「ときめき」と歌う箇所のリズムは、「Rydeen」のイントロ、「きみはホエホエむすめ」の一部、恋は渾沌の隷也」の「とかなんとか言ってもこんなに」と歌う箇所のリズムに類似していています。「だっこしてぎゅっ」でも確認できます。特に、発表年の遅い「恋は渾沌の隷也」は、極端にアップビート(裏拍)を強調していて、電波ソングの過度に強調するという伝統を踏襲しているようで面白いです。また、恋は渾沌の隷也」は、ドンパンのリズムが基本で、由緒正しき電波ソングという感じがします。

 

Colorful Kiss - OP / 「カラフルキッス ~12コの胸キュン!」がリリース。

 

8月:『やっちゅーロボ-MEGA・みなみん-長崎みなみ-MEGAやっちゅーキャノン』のリリース。後に発表される「恋のミクル伝説」のように「下手な」歌い方をする電波ソング。リズムはドンパンが基本。

 

12月:「きみはホエホエむすめ」を歌っていた桃井かおりの所属していた音楽ユニットUNDER17が、『美少女ゲームソングに愛を!!』がリリース。

その中の1曲。やはり、リズムはドンパンが基本。

「Under17 - 天罰! エンジェルラビィ☆~ですver.~」

 

その他、2003年は電波ソングにとって豊作の年だった模様。

第一回 電波ソング人気投票 萌え電波系部門

 
2004年

2ちゃんねるの訪問者が700万人を超え[15]、Alexa Internet社の世界ウェブサイトのアクセスランキングで34位となった

 

電車男」がヒットし「アキバ系」文化が注目を集める。「メイドコスプレ」と共に同年のユーキャン流行語大賞にノミネート。

 

4月:『CLANNAD』が発売。Keyの前2作である『Kanon』、『AIR』が18禁のPCゲームとして発売されたのに対し、本作は全年齢対象のPCゲーム。

 

7月:ave;newが結成された

 

10月:有限会社MONACA 設立 

ナムコを自主退社した神前暁が2005年に参加して以降、アニメに力を入れるようになる。

 

MOSAIC.WAV結成、8月には初のシングルMagical Hacker くるくるリスク」がリリースされた。結成当初は貸切のメイドカフェ等でPCゲーム題歌カバーライブを行っていたこともある。初シングル「Magical Hacker☆くるくるリスク」のリリースは5月。あまり電波感はないですが、ドンパンのリズムは見られます。

彼らは、典型的なゴチャゴチャとした電波ソングの文脈ではなく、電波系ポップスの文脈として理解すべきか?

  

2005年

4月 - OVAMUNTO~時の壁を越えて~』のBGM、ED主題歌を神前暁が担当

MUNTOは、京都アニメーションのスタッフ自らがオリジナル企画を立ち上げ、製作・販売までのすべてを自社で行う「京アニプロジェクト」の第1弾として製作された作品。

 

5月:『THE IDOLM@STER』(アーケードゲーム)の稼働開始

 

「True my heart」がリリース。かなり現代アニソンに近付いたかも? 

 

2006年

mosaic wav 「最強まるばつ計画」

4月:アニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』放映開始(7月まで)

あべにゅうぷろじぇくと 快盗天使ツインエンジェル

「魔理沙は大変なものを盗んでいきました 」が発表。

意味不明な歌詞と電波ソング的なドンパンのリズムを基本とした曲。

 

2005年の「True My Heart」的なものと、「魔理沙は(以下略)」的なものが組み合わさり、2007年の神前暁の「もってけ!セーラーふく」に繋がる気がしなくもない?

 

2007年

1月: 「ニコニコ動画(β)」としてサービス開始し、1月の月間ページビューが1億を超えたことを発表。

Xbox 360版の『THE IDOLM@STER (Xbox 360)』が発売。この後ライブシーンやストーリーを気軽に楽しむ、という潮流が顕著になり[8]、また同時期にサービスが開始されたニワンゴニコニコ動画上でゲームのライブシーンにアイドルマスター外も含めた様々な音楽を組み合わせた動画(「ニコマス」と呼ばれている[9])が多数投稿

 

Imoutoid が、「 はなはず☆じぇーむす!! OP[そうあい?4Seasons」を発表。

彼は当時14歳でしたが、電波ソングの文脈で重要な役割を果たしてきた萌え文化、ゲームミュージック、クラブミュージック、ポップスの全てに極めて深い理解があり、それを自分の作品に落とし込むだけの制作能力を持ち合わせていました。電波ソングやアニメソングの新たな可能性を示しました。

アニソンテクノリミックスするヤツはいっぱいいるのに、

なんでテクノアニソンリミックスするヤツはいねえの?」

ってことで、RichardさんことAphex Twinの名曲"4"を、電波ソング風にアレンジにしてみました。

imoutoid<帰ってきたファミコン宇宙人> - DIG@BOOKOFFより引用

彼は若くして亡くなりましたが、「もし」があったとするならば、同年に「もってけ!セーラーふく」を発表した神前暁と並ぶ巨匠となっていたに違いありません。偶然というには出来すぎた話ですが、神前暁の弟子で現代アニメソング界のトップとも言える田中秀和は、影響を受けたアーティストにImoutoidを挙げています。

 

4月:『らき☆すた』アニメ放映開始(9月まで) 。

神前暁「もってけ!セーラーふく」が誕生。

極めて重要な曲です。これ以前と以後で線が引けます。曲は洗練されたものになり、リズムも単純ではなくなっていますが、ドンパンの基本構造は生きています。既にその兆候が見えますが、この曲以降の電波ソングは、アニメソング・アイドルソングに接近していく気がします。ドンパンの登場回数は減り、電波ソングに内包されていた萌え、曲中での語り(お喋り)などの全部盛りが無くなり、さまざまな工夫を加える時代が到来します(本当か…?)

 

神前暁御大に質問したところ、以下の回答をいただきました。

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御大からの回答

リスナーは強引な文脈化をするきらいがありますが、それを覚悟した上でかなり強引な解説を加えておきます。

ORANGE RANGEは典型的なミクスチャーロックのバンドで、闇鍋的な意味で電波ソングとの親和性は高いと言えます(?)。ファンクからの影響は、「もってけ!セーラーふく」におけるスラップベースの使用、ホーンセクションの使い方から伺うことができます。また、UKロックからの影響は、「もってけ!セーラーふく」のサビのコード進行がTelescopesの「Celeste」、Oasisの「Married With Children」「She's Electric」でも使われていることから伺うことができます。BOOM BOOM SATELLITESは、彼らの曲に4つ打ちが多く、テクノやトランスなどからの影響が散見されることから、電波ソングと近いルーツを持つアーティストだと思います(恣意的で失礼)。

 

神前暁は作曲依頼を受けた際、「既存の曲ではないもの」との注文を受けたそうです。彼が「既存の枠に収まらないポップで奇抜なもの」を求めた結果、極端さを美学とする電波ソングに図らずも接近してしまったというのが妥当な落としどころかと思います。世の中を変えるのは「若者・よそ者・馬鹿者」との言葉を見たことがありますが、彼が電波ソング界隈の「よそ者」だったからこそ、「もってけ!セーラーふく」を作ることができたのかもしれません。

 

8月31日 - クリプトン・フューチャー・メディア、「キャラクター・ボーカル・シリーズ 01 初音ミク」を発売

 

9月:ニコニコ動画に『みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』が投稿

 

2010年

前山田健一 「な・り・あ・が・り☆ 」

ドンパンのリズムが聞ける

2011年

前山田健一 「わが名は小学生」

ドンパンのリズムが聞ける

 

2013年

「 恋するフォーチュンクッキー」

ドンパンのリズムが聞ける

 

 

参考リンク

電波ソング、その起源と隆盛 – はろさんはろさん、聞いてください。

【メモ】電波ソングの起源についての一考察~萌えと悪ふざけとアイドルポップの系譜~ - 今私は小さな魚だけれど

電波ソングについて - はろぶろ。

Adult Game Vocal Collection
90年代から現在に至るまで大量のPCゲームの主題歌のリストがまとめられています。

気合いのある人は、読むと良いです。

*1:こちらの記述によれば、「ヲタ芸の起源はもともと1970~80年代に生まれたアイドルを応援する掛け声や動きで、2000年代にハロー!プロジェクトのコンサートで「オタ芸」という名称が生まれました」とのことです。

ヲタ芸とは?歴史や文化、技を徹底解説! | ヲタ芸タイムズ

*2:大都会に存在する日陰者の集まる地区で生まれたDIYカルチャーという点でも、ヒップホップと電波ソングには不思議な繋がりがあるようの思います。