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音楽、勉強・読書記録、日常の感想

日々の色々1

最近、とても尊敬している方に「いろいろと発信してみると良いよ?」と言われたので、もう少し積極的にブログを更新する気になりました。

 

未だ自分の興味領域を明確には定められていませんが、どうやら言語に関心があるようです。そんなこんなで最近は、飯田先生の『言語哲学大全1』を読んでいます。

門外漢でも安心して現代哲学の議論を追体験できる(ような気がする?)のでどんな方にもオススメです。比較的硬めの文章ですが、飯田先生がユーモアをいかんなく発揮されていて笑える箇所も多いです。最初は1冊の予定だった本が、3分冊になってしまった話の辺りはニヤニヤしながら読みました。

 

せっかくなので少し中身の話をしましょう。

言語哲学大全1』の導入部分で、現代哲学と言語哲学の関係を簡単に説明してくれます。ざっくり言うと、哲学は様々な概念を用いて議論を進める中で「概念とはそもそも何か?」という問題に直面したようです。そして、概念について深掘りした結果、概念を規定する機能をもつ「言語とは何か?」を考えることが必要となり、その言語を熱心に研究したのがフレーゲラッセルでしたというような具合です。それに続くかたちで、実際の言語を分析する為に統語論や意味論の話に移行していきますが、長くなるので割愛します。

 

言語という極めて身近な対象を科学的に分析することが哲学に繋がる言語哲学は何とも魅力的です。

 

今まで幾つかの哲学書を読んできましたが「哲学と文学の違いは?」と考えた結果、あまり良い考えには至れませんでした。「それの証拠は何?」と追求してゆくと容易に哲学における理論のようなものが瓦解してしまうように見えたからです。例えば、デカルトの『方法序説』はとても良い本で何度も読み返しましたが、有名な「我思うゆえに我あり」の根拠となる部分は“神頼み”のようで消化不良の感が否めませんでした。

所謂フランス現代思想の文章を読んだ時にも「こんな文学的に哲学ができるのか…」と感動しましたが、「でも、それは哲学の領域においてすべきことなのか?」と考えると、何とも言えない気持ちになりました。

 

他方、言語哲学は“言語分析を通じて科学的に哲学できる”と言えば良いでしょうか、研究対象が明確かつ研究結果の真偽判定可能なように思います。なので、従来の哲学にいかがわしさを感じている人への処方箋として言語哲学は良いのかもしれません。

 

 

全く関係ありませんが上手い落とし所を見つけられないので、昨日見かけたWilliam James の発言の抜粋で今回は終わりです。

 

the greatest discovery of my generation is that a human being can alter his life by altering his attitudes.William James