捏造日記

電脳与太話

スガシカオ「黄金の月」の解釈について

 先月辺りでしょうか。「黄金の月」を聴いている時、「結局これは何が言いたいのか」が気になって仕方がなくなりました。うんうんと頭を抱えていると、あるヒラメキがありました。家に帰ってそのアイデアを紙に書き出して整理すると、面白いことに気付きました。この記事では、その発見を共有したいと思います。

 スガシカオ(以下:スガ)の代表曲「黄金の月」は歌詞が難解なことで有名(?)です。「黄金の月」をググると、「黄金の月 解釈」が候補としてあがります。実際、明暗がはっきりとしない掴みどころのない歌詞をめぐって様々な解釈があるようです*1。例えば、スガを見出したことで知られるオフィス・オーガスタ社長の森川氏は、「黄金の月」について以下のように綴っています。

「純粋」は少しずつ僕との距離を広げつつあった。僕は自分がずっと否定してきた“あんな大人”ってやつに、実はなってしまったのだ。僕の心の「黄金の月」は消えうせてしまったのだ・・・そんなふうに言い当てられたまま終わるような気がして、歌詞の結末を聴く事を本気で恐れた。だが、「夜空に光る黄金の月などなくても」と締めくくられるフレーズは、そんな僕にとっては救いだった。
黄金の月・・難解な歌詞の解釈 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

「黄金の月」には、森川氏が恐れたような心の奥底をえぐる表現が含まれています。身近な人に聴かせても「難しい」「暗すぎ」といったあまり好意的とは言えない感想をもらうことが多いです。しかし、先の引用からわかるように森川氏は最後に救いを感じたようです。なぜでしょうか。実は、「黄金の月」は複雑に見えますが、その表層を丹念に剥がしてゆくと、意外なメッセージが浮かび上がります。それを理解すれば、森川氏が救いを感じた理由がよくわかると思います。この記事では、とりわけ「スガは『黄金の月』で何を言っているのか」に焦点を当てて、私なりの「黄金の月」の解釈を書きます。論を進めるにあたって、細かい確認が必要な箇所があり、その部分が長くなると思いますが、正確な解釈のためなので許してください。

  では、早速「黄金の月」を解釈に取り掛かります。全文を逐語的に分析することはせず、重要と思われる箇所のみを検討することにします。そうすると「どの部分が重要なのか」という話になりますが、ポップスの歌詞解釈にあたって最も重要な部分は、サビと結論(最後)です。サビと結論は、聴き手が最も惹きつけられる部分であり、作り手が重要なメッセージを込める部分です(勿論、全ての曲に当てはまるわけではない)。今回は、そこに着目して「黄金の月」を考察します。

 まず最初のサビです。極めて初期のスガらしい人間の本質的弱さについての描写です。

大事な言葉を 何度も言おうとして

すいこむ息は ムネの途中でつかえた

どんな言葉で 君に伝えればいい

吐き出す声は いつも途中で途切れた

「黄金の月」サビA  (『Clover』収録)

  2回目のサビも1回目のサビと同じくナイーヴですが、僅かに光を帯びます。しかしながら、「君の願いとぼくのウソをあわせて(中略)キスをしよう」というネガティヴにも取れる“強い”表現もあり、未だに掴みどころがありません。

君の願いと ぼくのウソをあわせて 6月の夜 

永遠をちかうキスをしよう

そして夜空に 黄金の月をえがこう

ぼくにできるだけの 光をあつめて 光をあつめて…

「黄金の月」サビB 

 ブリッジ(最後のサビ前の間奏)を挟んで、3回目(最後)のサビに入ります。2回目のサビで微かな光が差し込んだことから、3回目のサビは徐々に光が強くなることが期待されます。しかし、スガはそれを裏切り、耳を塞ぎたくなるほど非情な現実を躊躇なく羅列し、最後のサビを終えます。果たしてこれがスガの“言いたいこと”なのでしょうか。

ぼくの未来に 光などなくても

誰かがぼくのことを どこかでわらっていても

君のあしたが みにくくゆがんでも

ぼくらが二度と 純粋を手に入れられなくても

「黄金の月」サビC

 いいえ、まだ最後の一節が残っています。アウトロに入る直前、スガは一言だけ付け加えます。「黄金の月」の結論に当たる部分です。

夜空に光る 黄金の月などなくても

 しかし、「黄金の月などなくても」の後は省略されています。スガは、まさに省略のことを指していると思われる発言を残しています。

“こっからここまでは言うけど、こっからここまでは想像して考えてね” 

2枚目シングル「黄金の月」 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~ 

では、最後の省略にはどのようなメッセージが隠されているのかという話になりますが、そこに隠されたメッセージを読み解くには、作詞家としてのスガを知る必要があります。スガは、ヒトの弱さを徹底的に描写しますが、基本的に「明日死んでもいい」のような究極的にネガティヴなことは書きません*2。スガ作品の特徴とも言える極めて人間的でナイーヴな描写は、詩としてのリアリティを追求した結果に過ぎません。彼は一貫して“キズだらけの生”を肯定してきました。少し長いですがスガ本人の言葉を見てみましょう。

何かを変えようっていうつもりで音楽は作ってないですけど、でも誰かの人生を変えるだろうなとは思いますね。それは僕も変えられたし、別にその曲が僕の人生を変えてやろうと思って作られた訳じゃないんでしょうけど。でも誰かの人生に何かの影響を与えるんだろうなとは思ってるので、あんまり無責任なラブ&ピースとかを僕は歌いたくないなといつも思っていて。だから歌詞に関してはある意味すごく拘りをもって書いてはいますね。絶対に影響するから夢物語ばかりは歌えないし、キツイことばかり歌ってりゃいいってもんでもないし。

 黄金の言葉【音楽への向かい方】 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

本当に悲しんでいる人に、気持ちわかるよ・・とか言えないし、無責任に背中を押す事は出来ない。でも絶望だけではなく、光を与えられたらいいと思っている。

黄金の言葉【音楽への向かい方】 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

 以上を踏まえ、スガ作品史上最も暗く売れなかった『Time』の収録曲を例として、実際に歌詞を確認してみましょう。『Time』は本人の「グロエネルギーっていうんですか、もーねぇ……。気がついたらね、アルバムが『真ッ黒』になってました*3」というコメントからも分かる通り、本人公認の重い作品です(余談ですが、この作品の間口の狭さを反省して「午後のパレード」や「Progress」を書くことになります)。

途切れた願いは 消えてしまうのではなくて  

ぼくらはその痛みで 明日を知るのかもしれない   

 

「光の川」(『Time』収録)

   

ねぇ 今日僕たちは それぞれの光を探し 

当たり前のように 明日へと 歩き出します 

「風なぎ」(『Time』収録)

スガの歌詞がナイーヴながらも、究極的にネガティヴではないことが確認できたでしょうか。正直なところ、例が少ないので他の曲についても触れたいですが、長くなりすぎるので割愛します。

 

また、スガが坂口安吾から受けた影響についても少しだけ触れておきます。スガはしばしば『堕落論』からの強い影響を公言していますが、“リアリズムに立脚した地に足のついた優しさ”という点で安吾に影響を受けたのだと思います。もう少し後で述べますが、人間が本性的に堕落する生き物であることを認め、堕落から出発して逆説的に生を肯定する『堕落論』の構造は、「黄金の月」の構造と綺麗に重なります。スガの曲で頻繁に見られる構造です。

人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱ぜいじゃくであり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
「 堕落論」

 

 長くなりましたが下準備はこれで終わりです。 「黄金の月」の最後の省略に話を戻します。その部分を補完するには、先ほど確認した「スガは究極的にネガティヴな歌詞は書かない」という前提が必要になります。その前提に従うと、「夜空に光る 黄金の月などなくても 」の後に省略された言葉は決して“暗いなものではない”ことになります。スガ本人もそれを認めるような発言を残しています。

「ナントカではない」っていう〈否定〉文があったら その〈否定〉文を〈否定〉するからそれを〈肯定〉と取ってねっていうような歌詞の書き方なんですね。

2枚目シングル「黄金の月」 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

もし仮にネガティヴな言葉が隠されていたとすると、この曲のメッセージは極めてネガティヴになります。「夜空に光る 黄金の月などなくても」に続く言葉が、例えば「失ったものは二度と手に入らない」のようになります。非常に後味が悪く、文章としてもかなり不自然です。

 

以上の考察から、私は、最後の省略には「悪いことはない」というメッセージ(言葉)が隠れていると考えます。補完すると以下のようになります。

夜空に光る 黄金の月などなくても

悪いことはない ←補完部分

「黄金の月(補完ver.)」

これを正しいと認めた上で解釈を進めます。このままでも“わからないことはない”のですが、もう少し読みやすく変形します。

まずはじめに、「黄金の月(補完ver.)」を少し違った視点から見ます。「黄金の月がない」という仮定から「悪いことはない」という結論を導いている、つまり「AならばB」として解釈し、以下のように記号化して整理します。詩的な表現も簡明のために一度簡略化します。

  • 「黄金の月がある」をPとします
  • 「悪いことがある」をQとします

さらに、以上の記号を「黄金の月(補完ver.)」に合わせて変形します。

  • 「黄金の月がない」は、not(P)として表現します。
  • 「悪いことがない」は、not(Q)として表現します。

これらの記号を使って「黄金の月(補完ver.)」を表現するとnot(P)ならばnot(Q)となります。記号を言葉に戻すと、「黄金の月がない ならば 悪いことはない」です。言葉の意味が捉えづらいとは思いますが、この意味はさほど重要ではないので、単なる機械的操作として受け入れてください。

 

次に、「not(P)ならばnot(Q)」の待遇*4をとります。対偶は、「AならばB」 と「not(B)ならばnot(A)」は同値を意味します。念のため簡単な例を出しておくと、「ライオンならば動物である」の対偶は「動物でないならばライオンではない」です。見た目が複雑になりますが、対偶を使って「not(P)ならばnot(Q)」変換し、「not(not(Q))ならばnot(not(P))」を導きます。意味を考えると混乱してしまうので、意味を考えないのが大切です。

 

ここで上で引用した「〈否定〉文があったら その〈否定〉文を〈否定〉するからそれを〈肯定〉と取ってね」というスガの言葉を思い出してください。スガの言葉を記号化すると、「not(not(A))ならばA」となります。この「任意の命題の否定の否定は肯定である」は、「二重否定除去則」という古典論理の公理です。そして、「『黄金の月』はその規則を使って解釈して欲しい」と言っています。では、スガの言う通り、「not(not(A))ならばA (二重否定除去則)」を使って、not(not(Q))ならばnot(not(P)) と変形された「黄金の月(補完ver.)」を整理します。難しく見えますが「裏の裏は表」のように考えれば簡単です。not(not(Q))はQと同値で、not(not(P))はPと同値です。したがって、「not(not(Q))ならばnot(not(P)) 」が正しいならば、「QならばP」も正しいことがわかります。

 

機械的操作はこれで終わりです。ここで「QならばP」という結論を得ました。次に記号の並びを読める状態に戻します。

  • 「悪いことがある」をQとします
  • 「黄金の月がある」をPとします

「悪いことがある ならば 黄金の月はある」となります。とても機械的なので多少詩的な表現に変換します。すると、「悪いことがあっても 黄金の月はある」という文が完成します。これが「黄金の月」でスガが“言いたいこと”だと思われます。つまり、「黄金の月」の「夜空に光る 黄金の月などなくても」という結論は決して絶望ではなく、とても遠回りなやり方ではありますが、絶望とは真逆の「黄金の月はある」という希望を歌っている訳です。これを念頭に置いて、最後のサビで見られた不可思議なナイーヴな表現の連続と補完(と変形)した結論をもう一度確認します。 

ぼくの未来に 光などなくても

誰かがぼくのことを どこかでわらっていても

君のあしたが みにくくゆがんでも

ぼくらが二度と 純粋を手に入れられなくても

「黄金の月」サビC

 「補完した結論」と“同じこと”を意味する結論

悪いことがあったとしても

夜空に光る 黄金の月はある

「黄金の月(補完ver.)」の変形

 このように整理すると、サビCの「悪いこと」の羅列は、「そうした悪いことがあっても、黄金の月はある」という結論を導くための伏線だったことがわかります。先に触れた『堕落論』と同じく、非情な現実を羅列した後、逆説的に生を肯定する構造です。

 スガは、夜空に輝く月をメタファーとして、良いことばかりが連続しない(≒時には辛いことがある)生を肯定しています。少し深読みすると、日中には太陽があります。したがって、「日中であるor日中ではない(夜)」のどちらの場合でも問題はない訳です*5。すると「黄金の月」を“生の全肯定”として解釈することもできますが、そこまで大きく解釈するかどうかは読み手次第でしょう。

ただ、「黄金の月」の根底に隠された「夜空に光る黄金の月は“ある”」という何にも代えがたい強烈な肯定が多くの人を惹き付けている、そこだけは確かな気がします。だからこそ、一度は絶望に震えた森川氏の心は救われたのだと思います。

 

この記事を読んでスガに興味を持った人には、最近発売されたこのベスト版をオススメしておきます。比較的良くまとまっています。

フリー・ソウル・スガシカオ

フリー・ソウル・スガシカオ

 

 

もう一枚、買い足すとすれば以下がオススメです。こちらもベスト版ですが、リマスターのおかげで音質が向上しています。「お別れにむけて」、「ぼくたちの日々」、「坂の途中」、「これからむかえにいくよ」など、スガを語る上で外せない曲が補完されます。これ以上求める人は、オリジナルアルバムを1枚ずつ集めるのが良いと思います。

BEST HIT!! SUGA SHIKAO-1997~2002-

BEST HIT!! SUGA SHIKAO-1997~2002-

  

おまけ

この記事ではスガの詩に触れたのみで、音楽に触れることができませんでした。罪滅ぼしにスガシカオの音楽の変遷ついて理解が進むプレイリストを作りました。リリースの時系列順です。いくつかを除いてほぼキーE(ギターとベースの開放弦が使えるファンクの基本!)の曲なのは(半音下げチューニングを使用したと思われるE♭の曲も含まれる)意図的です。理由は、スガのキーEの曲のAメロをワンコード一発で押し通すことが多く、その制約の中で聴かせる曲を作るため、スガが曲にバリエーションを持たせるためにサウンドプロデュースを工夫しているからです。キーEの曲のワンコード部分を比較することで、スガのサウンドプロデュースの変遷がよく掴めます。

 

彼の曲を100曲ほど分析した経験がありますが、詩、メロディ、ハーモニー、リズム、サウンドプロデュースまでを視野に入れた有機的なスガシカオ論を語るにはまだまだ熟成が足らず、しばらくは無理そうです。ただ、全く触れないのは面白くないと思うので少しだけ触れると、例えばスガは、Radioheadの「Creep」などで見られるⅠ-Ⅲのコード進行を極めて好むことが挙げられます。長調の世界には存在しない短調の響きを使用することでスガは長調の曲に陰影を付けます。これはスガの手癖です。

先に書いたように近日中には到底無理ですが、平成日本音楽界の巨人として評価されるべき存在のスガが十分に評価されていない(売れるという意味ではない)現状には多少の不満があるので、いずれ整理しようとは思っています。個人的には、椎名林檎宇多田ヒカルと同等の評価が妥当だと思っています。日本音楽界の巨匠、細野晴臣は、スガの「あまい果実」を以下のように評しています。

「え?5年前の曲?う~ん、世に出すのが早すぎたね・・。」

あまい果実 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

 

他にもバート・バカラック(神)がスガシカオ「正義の味方」を気に入ったという話があります(◎東京ジャズTokyo Jazz (Part 2) ~ルーファスとスガシカオとバカラックとの邂逅 | 吉岡正晴のソウル・サーチン)。巨匠に認められることが、直ちに音楽的に素晴らしいことを意味する訳ではありませんが、参考程度に...。

 

*1:事務所はその難解さを理由に歌詞の書き換えを要求したと言われています。しかし、スガが拒否したため現在の形のままリリースされることになりました「先のことを考えちゃいけないんですよ。」──スガ シカオ | BARKS

*2:勿論、例外はあります。例えば、「ぼくたちの日々」の歌詞は「すり減っていく」で終わります。他にも七夕をテーマにしたと思われる「7月7日」はかなり暗い印象を受けます。

*3:音楽的孤立 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

*4:当然のように待遇を使用しましたが、待遇は二重否定除去則から導くことができます。したがって、スガが「二重否定除去則を使用してほしい」との発言を認めた時点で、待遇の使用も認められます。本人が上の解釈で使用したような細かな規則を知っていたとは思いませんが、自然な論理的正しさを意識した結果、論理的に整理された美しい歌詞が生まれたのでしょう。

*5: (A or B)の論理式が仮定にある時、A->C かつ B->Cが演繹できるのであれば、(A or B) -> C は真。つまり、日中には太陽があるので、問題はない。日中でない時(夜)にも月があるので問題はない。日中or日中ではない ->(問題はない)が演繹できる