ムッシュかまやつ 「Gauloise」
「あなたがいるなら」でチョーキングを解禁して話題となった(?)コーネリアスがチョーキングしながらブルースペンタを弾き散らかす非常に貴重な映像を発見した。キーはBm。
そういえば、巷で「Charが日本にマイナー9thを持ち込んだ初めてのギタリスト」のような扱いをされているようだが、ムッシュかまやつの方が早い。ムッシュかまやつは、日本語ロックの先駆者というだけではなく、Charより早くテンションコードを導入した人物でもある。Charの『Char』の発表は、1976年9月のこと。一方、ムッシュかまやつの「ゴロワーズ を吸ったことがあるかい」は、1975年2月に発表されている。
ムッシュかまやつは、スリーコード中心の快活なロックンロール曲だけではなく、ビートルズの「In My Life」ように陰影のある曲も書いた。それがすこぶる良い。
hide 「ピンクスパイダー」分析メモと感想など
最近は昔聴いたものを整理したい気分なのかもしれない。過去の自分の聴き返し作業は、何かと気恥ずかしく、思い入れで正当な評価が見えづらいという欠点もある。しかし、再評価で得られる恩恵はそれ以上に大きい。もちろん、聴き返して「これは駄目だ」と落胆することも多いが、「何の音楽知識も持たない当時中学生の自分を驚かせるだけの理由がある」と納得させられる作品もある。今回扱うhideの「ピンクスパイダー」は、後者に分類される作品である。
コード進行まとめ
Verse1
Bm
Verse2
F# - A
Verse3(サビA)
Bm
Verse4(サビB)
B - D#m on A# - A - E
B - D#m on A# - A - E
G - A - B
分析メモ
「ピンクスパイダー」は、hideの結成していたバンド、Zilchの経験がよく活きている。「Electric Cucumber」は一貫して、コード進行に頼らず、ワンコードのリフと音の抜き差しのみで、モーダルに曲を展開させている。「ピンクスパイダー」においてもそのモーダルな方法論が一部取り入れられている。より具体的に言うと、Verse1とVerse3(サビ)がモーダル。Nine Inch Nailsからの影響か?(いずれ、Nine Inch Nailsも分析してみようとは思う)。
しかし、「ピンクスパイダー」は、「Electric Cucumber」からの進化を感じさせる点が2つがある。1つは、日本語の導入。もう1つは、Nine Inch Nailsからの影響を強く感じさせる当時のアメリカロック最前線のサウンドをJ-Popと融合させたこと。面白いことに、「ピンクスパイダー」には、実質的にサビが2つある。1つは、「ピンクスパイダー」と繰り返すサビA。これは「Electric Cucumber」的な方法論に基づいている。一方、サビBは、B長調にモーダルインターチェンジし、豊富なコードチェンジで曲の展開感を作るJ-Pop的な方法論に基づいている。「ピンクスパイダー」の革新性は、異なる方法論に基づくサビを1つの曲中に共存させたことにあると思う。
J-Pop的な方法論に基づいていると指摘したVerse4は整っている。オンコードを使用し、ベースが半音で下れるように工夫されている。さらに、G - A - Bという進行はロックの定番の借用和音を用いたコード進行で、hideがロックをよく研究していたことが伺える。自分の知る限り、Oasisで頻繁に使用されている印象がある。例えば、「Champagne Supernova」、「Married With Children」、「She's Electric」が思い浮かんだ。Chapterhouseの曲でも使用されていたような気がする。
それにしても、hideの曲はまだ3曲しか耳コピしていないが、おかしなキーが多い。「Hurry Go Round」と「ピンクスパイダー」は両方キーがB。「Electric Cucumber」は、C#フリジアンモード。ロックギタリストとは思えない。いや、少なくとも、リフ主体のメタル界隈で、フリジアンモードは定番とされている可能性は考えられる。いずれにしても、キーBは稀。
カヴァーについて
「ピンクスパイダー」は幾つかのカヴァーがあるようなので軽く触れておく。まず、Rizeのカヴァーについてだが、下手なメロディラインの崩し方、特にヴォーカルがメロディのリズムを不自然に短く変更したことと、原曲にない「イェー」にかなりの不快感を覚えた。また、音色、アレンジなどの全てが原曲に近く、ほとんどコピーと言えるものが、MVまで作成して公式に発表されていることに驚いた。トリビュートとしてライヴで演奏するのであれば理解できるが、公式発表は理解に苦しむ。
倖田來未も「ピンクスパイダー」をカヴァーしている。Rize版と異なる点で極めて不快だが、原曲とは異なるアプローチを取っているため、カヴァーとして公式に発表するために必要な最低限の条件は満たしていると思う。
最近では、MIYAVIのカヴァーもある。しかし、ハイハットの入れ方、悪い意味で最近の打ち込みっぽいキックの音色、曲の盛り上げ方など、アレンジの全てが「海外」の流行りそのもので、全く好みではない。
やはり、コピーではなくカヴァーとして公式に発表するのであれば、Robert Glasper Experimentの「Smells Like Teen Spirit」のように、自らのフィルターを透過させたものが好ましい。ただ、自らのフィルターを透過させるとは言っても、“ジブリ名曲ジャズ”のようなアレンジでは曲は引き立たない。自らのオリジナリティを注入すると言う方が正しいかもしれない。
その意味では、カヴァーではなくRemixではあるが、「ピンクスパイダー」の解釈という点では、Corneliusの一人勝ちという印象。
余談だが、意図的かどうかは不明だが、1:27のあたりで、Corneliusの「Count five or six」と非常に似たフレーズがある。
実はhideは、思い出波止場、暴力温泉芸者、岡村靖幸、小西康陽、砂原良徳などと共に『96/69』というCorneliusのRemixアルバムに参加している。この面子を見ると「hideが生存していたならば、X Japanのリスナー層とは全く異なるコア層に好まれる音楽性により接近していたのではないか」と思わずにはいられない。
hideが好んでいた音楽リストを見ると、いかにもギターキッズ好みのKissやLed ZeppelinなどのHR/HM系音楽の中に、Bauhaus、Stranglers、Ultravox、Beck、Nine Inch Nailsなど、必ずしもギターがサウンドの要ではないパンク以降の音楽が混ざっていることがわかる*1。
雑な総評
私には、hideが神格化されるほどの存在なのかどうかはわからないが、幾つかの点では、確かに面白い試みをしていたと思う。1つは、平沢進に並ぶほど早期のインターネット進出。メジャーアーティストのMP3配信は平沢進が日本で最も早かったと言われているが、hideも生存していたならば、それに並ぶほど早期に音源のネット配信をしていたのではないかと思う。ウェブサイト作成は勿論のこと、彼の企画したフェスのライヴ映像をネットで配信するなど、ネット参入に極めて意欲的だった。余談だが、自分で調べた限りでは、日本における最初のライヴ映像のネット配信は、1995年の坂本龍一であった(YMOメンバーは何かにつけて早すぎる)。
2つは、hideはX Japanのギタリストとしては、様式化された「ピロピロ(=HR/HM的ギターソロ)」を受け入れていたが、ソロ活動においてはそれに拘泥しなかったこと。説明には、少々ギターソロの歴史を振り返る必要がある。
70年代後半のパンク以降のバンドは、「ピロピロ」を徹底して嫌ったが、時を同じくしてVan Halenが登場し、ピロピロは廃れるどころか勢いを増した。しかし、90年代は「エレキギター=ピロピロ」という考えが完全に陳腐化した時代だと思う。例えば、Radiohead、Oasis、Nirbanaなど、「ピロピロ」どころか、もはやギターソロさえほとんど必要としないバンドが脚光を浴びた。Rage Against The Mashine、Red Hot Chilli Peppersなど、HR/HMの影響を色濃く残すバンドに「ピロピロ」は残ったが、80年代のようにひたすらにピロピロし続けるようなアプローチは少なく、全体的にファンキーなリフを演奏するための道具としての性格が強い。
さて、hideの話に戻る。hideの遺作『Ja, Zoo』を聴くと、hideの死後に手を加えて制作された「Hurry Go Round」に「ピロピロ」があるのみで、他の曲にはほとんどギターソロらしきパートさえ存在しない。HR/HM系バンド所属のギタリストのソロアルバムにピロピロがないことがどれほど異質であるかは、他のHR/HM系ギタリストのソロアルバムを聴けばよくわかる。
90年代以降、Mr.Children、スピッツ、BUMP OF CHIKEN、ASIAN KUNG-FU GENERATIONなどのピロピロしない(≒ギターヒーローのいない)ロックバンドが活躍し始めたこと思うと、HR/HM系バンドのリードギタリストでありながらも、90年代の非ピロピロの潮流に喰らい付こうとしたhideは、慧眼だったと言えるのではないだろうか。
Venus Peter 「Every Planets Son」コード進行 曲メモと感想
昔聴いていたものをふと思い出し、せっかくなのでコピーした。まさに渋谷系のサウンド。ベースラインが結構動く。オリジナルアルバムは廃盤っぽいので入手したい人はこちらから。「Every Planets Son」は、オリジナルアルバムでもベスト盤でも1曲目なので、作曲者にとっても会心の出来だったと思われる。
Deluxe Edition (The Best of V.P)
- アーティスト: VENUS PETER
- 出版社/メーカー: PSC
- 発売日: 2006/09/06
- メディア: CD
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Venus Peterを聴いてわかることは、フリッパーズギターが突然変異ではなく、やはり渋谷を中心とするコミュニティから誕生したことだろう。いかにバッハがバロック音楽に重要であろうとも、バッハを語ることがバロック音楽を語ることとイコールで結ばれないように、フリッパーズギターを語るだけで渋谷系は語れない。
特に記載していないが、A や Dの箇所でadd9やsus4にするとUKロック感が増すので、各自演奏の際は適当に混ぜると良い。
Verse1
A - F#m - D - A
Verse 2
D - G - A A onG# A on F#
D - A
※以降、半音上に転調して同様のコード進行。
イントロのフレーズはVerse1のコード進行のアルペジオ。ギターでは幾つかのポジションの可能性がある。Aを5フレット付近、F#mを2フレット付近、Dを5フレット付近で弾く方法もあるが、9~12フレット周辺で弾ききることもできる。色々な可能性が考えられるが、一応、自分の考えたポジショニングは、5フレットのAポジション、2フレットのF#mポジション、10フレットのDポジション。移動は多いがフィンガリングが簡単。
Verse2のポイントは、Gが登場する箇所でのAミクソリディアンへのモーダルインターチェンジ。Gリディアンを豪快に下降するベースラインが聞ける。キーセンターをミクソリディアンに変化させる手法は、60年代のBeatlesから、70年代のDavid Bowie、80年代のStone Roses、90年代のOasisに到るまで、ロックの基本中の基本。
個人的に、Verse2の2段目のDをDmに変化させると哀愁が増してよいと思った。 ファ#がファになることで、続くミに半音で接続することができる。声部を滑らかに繋げることで甘美な響きがする。
バークリーメソッドに従ってコードに対応するアヴァイラヴルノートスケールで記述しているが、実際のロックミュージシャンの多くは、スケールを中心に考えている気がする。スケールを1個飛ばしでコードを作って、コードの隙間はスケール残りの音で埋める。あまり上手く言語化できていない部分だが、コード進行をナンバーシステム的に捉え、アヴァイラヴルノートスケールを当てはめるという方法論は便利なのだが、音の内容を無視しがちなのであまりよろしくない。しかし、それ以外に上手く示す方法を知らないので、どうしてもバークリーメソッドに頼った記述になってしまう。
テニスコーツ 「Baibaba Bimba」コード進行・分析メモ(+インディポップの過去話)
普段これ系のインディポップはコピーしないが、手慰みに。
以下の循環を繰り返すシンプルな曲。昇るコード進行は神聖な響き。
Dadd9 - Dadd9 on F# - G - A7
そういえば、これ系を聴いていた時もあった。今は心が汚れてしまったので、過去のモノ全てに共通して見られる郷愁以上の何かを見出すことはできないけれども。「インディポップ」というジャンルを知らず、出会うもの全てが新鮮に見えた。Sarah Recordsとか、Rocketshipとかその周辺の再評価が進んだ辺り。
コード進行は、B♭ - E♭ の繰り返し。
やはり、add9の響きからインディポップの香りがする。
私がインディポップへの興味が薄れた理由は、音楽的には、sus4やadd9を使ったギターリフ、ガールズバンド、コーラスワークなどがパターン化されていることに気付き、面白みを感じなくなったことが大きい。また、音楽以外には、MVや歌詞で描写される「雑貨屋にいる女の子」的な価値観に馴染めなかったこともある。色あせたフィルム、自転車、風船、砂浜などが頻出だったように思う。
この曲のAメロも、Aadd9 - Dadd9 を繰り返すもの。
悪口になる手前でおしまい
Bjork「Human Behaviour」 分析メモ
一聴してわかる通り、Bjorkの曲は普通ではない。専門的な音楽知識がない人でも明らかに何かが違うことに気付くと思う。その直感は確かで、実際に分析をしててみると、不可思議な箇所が浮かび上がってくる。
最近、「Human Behaviour」を分析した。
ベースのループは、Am7(A、E、C、G)提示している。
曲のメロディは4度(D)を中心に据えて、♭6度の音が登場することから、現在のモードがAエオリアンであることがわかる。
しかし、 カウベルのような楽器がメジャーの音(C#)の音を鳴っているので、全体でエオリアン+M3度という奇妙なモードを構成している。M3度とm3度の共存はブルースの常套句だが、ブルース以外のジャンルではあまりお目にかかれない珍しい音使いである。
更に、サビでは次にB♭モードに移行する。
ベースは、Am7のベースラインをB♭に平行移動させたものをループする。マイナー系のループと考えれば良い。一方、メロディは明らかにメジャー系のそれで、M3度とM7度を含んでいる。つまり、複数のモードが同時に走る構造、ポリモーダルとなっている。さらに、そこにカウベルのような音でm3度とM3度のフレーズが重なる。M7度と♭7度、m3度とM3度の共存は非常に珍しい。いや、珍しいというより、自分はこの曲以外に知らないと言った方が正しい。
もう降参だよ...
コード進行メモ 山本精一「ラプソディア」
前衛音楽愛好家の作るポップスは、格別の味わい。名曲。
ギターを所持andコード譜が読めるandこの曲が弾きたい、という3つの条件を満たす日本人がきっと1000人くらいいるはずなので、その人たちの助けのために。
Verse 1
Gsus4
Verse 2
C - C#dim - Dm9 - C on G
C - A7 - Dm9 - C on G
ブリッジは放置。
前衛音楽家という印象が強いが、綺麗なコード進行で曲を書いていて意外だった。コード理論に通じた人は、単なる音楽の1要素に過ぎないコード進行の複雑性に過度に注目して音楽の良し悪しを語ることが多い。しかし、コード進行の複雑性とは無縁のよくあるパターン(進行)を使用しても個性が滲むものこそが本物。
20190823 電脳スクラップブック
タイトル通り、ここ最近で興味を持ったことを切り貼りするスクラップブックのようなものを作ってみました。見る人が見れば面白いかもしれません。
・『夜の木』
全てがハンドメイドという画期的な絵本。手漉き紙に、シルクスクリーンで一枚ずつ刷られ、製本は手製本。インドのチェンナイ郊外の工房で、一冊ずつ丁寧に仕上げられました、まさに工芸品とも言うべき絵本(シリアル・ナンバー入り)。ずっと手元においていつまでも眺めていたい一冊です。
・音痴に関する短いドキュメンタリー
一般向けのドキュメンタリーだと思うのですが、「音痴」は存在するが絶対的ではなく、相対的に決定されることにまで踏み込んでいて驚きました。1953年に440ヘルツの標準A音が制定されたものの、フランスが442ヘルツ、ドイツが444ヘルツを基準とすることがあるなどは面白い指摘でした。そして、マイルス・デイヴィスの発言が引用されていたことからあることを思い出しました。ハーヴィー・ハンコックが伴奏で致命的なミスをした際、マイルスがそれに機敏に反応し、まるで魔法のようにハーヴィーのミスを「正しい音」にしてしまったという逸話です。
・ガスリー・ゴーヴァン
様式化されたギターソロに飽き飽きしている自分が再びギターソロで驚くことになるとは想像していませんでした。ガスリー・ゴーヴァンはフュージョン界隈で神格化されている近年では絶滅危惧種のギターヒーローですが、正直自分にとっては、彼の微分音への関心以外にはあまり興味がありませんでした。伝統的なヴァイオリンやチェロは勿論、ジャコが70年代にエレキベースにフレットレスを大々的に導入しているにも関わらず、ギターにもフレットレスの波が到来しないのは長年の不思議です。
余談もほどほどに驚かされたのはこの映像です。トム・モレロの代名詞的なスクラッチ奏法をしていないにも関わらず、スクラッチのような音が鳴っている謎です。また、グライム界の神ことディジー・ラスカルが、ガスリーを取り上げたことにも驚きです。
そういえば、マイケル・ジャクソンのライヴにグレッグ・ハウが参加していたこともありましたね。早弾き新世代の彼にとって、「エディのソロは簡単過ぎる」と言わんばかりに「Beat It」のソロを軽々と弾きこなしていたのが印象的です。ちなみに、私はグレッグ・ハウのこの映像を観て、「ギターの達人を目指すのはやめよう」と思いました。ジャズ・フュージョン界隈はパット・マルティーノ、ジョンスコなど、超人だらけで恐ろしいです。マイナーコンヴァージョンなど、「発想は理解できるけど、一体どのように練習し、どれだけの時間をかけて血肉化したか」を考えるだけで目眩がします。
・ 日本語ヒップホップ
特に2000年代以降顕著に感じることなのですが、日本ではロックが個人の感情の発露としての機能を失い、良くも悪くも大衆に取り込まれた印象を受けます。様式化された世間からの逸脱はもはや「悪の文化」ではなく、いわゆる「ロック的」なものを求めるリスナーと「ロック的」なものを演奏するアーティストの間の共犯関係によって「ロック的」なものが生産・消費され続けている光景は自分には少々退屈です。
一方、最近の日本語(≠日本のヒップホップ)のヒップホップは面白いと思います。かつての日本のロックが誇っていた大衆迎合よりもアーティストが自己表現を優先する態度が見て取れます。そして、その価値観がyoutubeのコメント欄のような市井でも共有されることが見て取れます。勿論、ヒップホップシーンの全員がそうだとは思いませんが、「アンダーグラウンドで認められてこそ本物」という価値観はヒップホップに携わる多くの人が共有しているような印象を受けます。MCバトルの動画を見ていても思うことで、リスナーが熟練のMCと素人MCの試合を大量に視聴することで、定型的な表現を繰り返す没個性なMCの存在に気付き、そうした人たちが自然淘汰されやすい仕組みができているのは面白いです。サンプリング音源やリリックなどの知識が豊富にある人が「ヒップホップIQが高い」と持て囃されています。オタク文化の香りが残っていて好感が持てます。
・宮崎駿
先日、偶然テレビで『千と千尋』流れているのを目にした際、宮崎作品には、人間が本性的に孕む矛盾に厳しい眼差しを向けながらも、最終的には「人が生きること」を肯定する作風に大きな魅力を感じました。私は「一人じゃない」とか「みんな違ってそれで良い」といった標語が肌に合わないへそまがりなので、リアリズムに立脚したロマンチストという宮崎イズムに感銘を受けました。
曖昧に混沌と一緒に話しているうちに方針が決まる。相手の考え方が間違えてるよとか、そういうことを僕らはしません。これは昔の村のやり方です。それでなんとなく行くんです
「ジブリの全ての作品に通底するメッセージはありますか」という質問に対する回答。
僕は児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入ったものでして、基本的に子供達に「この世は生きるに値するんだ」と伝えるのが自分たちの仕事の根幹になければいけないという風に思ってきました。 そして、今でもそれは変わっていません
・細野晴臣と藤幡正樹の対談
https://www.yebizo.com/jp/archive/forum/dialogue/03/dialogue7.html
今あらためて本を書く必要はない。それでも書く意味があるのは、すでに知られているはずの事柄同士にリンクを貼ることなのだと思ったのです。「僕はこれとこれがこういう関係にあると思う」と。先ほどの話はまったくそのとおりで、今はとにかくリンク切れだらけの世界。だからある程度経験を積み、伝承することに意味を感じる人間は、リンクを貼り直すということをしなければならないのかもしれません。
・『ジョアン・ジルベルトを探して』
隠遁していたボサノバの王様ジョアンを求め、彼の大ファンであるドイツ人ジャーナリストのマーク・フィッシャー*1はブラジルを奔走したが天運に恵まれず、その旅の体験を本に認めた後に自殺した。そして、そのマークの本を読んだ監督がジョアンを探す映画を撮影するという作品。これが悪い映画なはずがないでしょう!
・ほくさい音楽博
奏者と聴衆という境界線が非常に曖昧な「民族音楽」というのは非常に良いものだと改めて思います。私は民族音楽に限らず、ローファイなどのような「上手くない」音楽がとても好みです。音楽という文化を奏者or聴衆という二分法で区切るのは非常に勿体無いことだと思います。その点では、まるで演奏に参加しているかのように掛け合いや踊りのある日本のアイドル文化は良いものだと思います。そこに美男美女が歌って踊るというコンテンツ性に加えられるのですから、ファンが熱狂する理由がよくわかります。そんな彼らの踊りに「ケチャ」という民族音楽から取られた名前付けられているのは果たして偶然なのでしょうか。
ジャワ舞踊的な静的な踊りも魅力的です。
こんなにも素晴らしいイベントがあるとは知りませんでした。ヴァーチャルな世界の魅力が増す中、肉体的経験の得られるイベントは貴重です。「みんぱく」には何度も通っていますが、実際の楽器に触れられずに非常に歯がゆい思いをしてきたので、とても羨ましいです。機会があれば(という人の行動力は極めて怪しいが...)、是非参加したいと思います。
学校教育の体育(=運動)や音楽にも通ずる問題だと思うのですが、音楽や体育において明確な「上手さ」が定義されてしまうと、大半の「上手くない」人たちがそれらから距離を置いてしまうという問題があるように思います。しかしながら、音楽や体育(=運動)はヒトの歴史から見て、人間的生活から切り離すことができない重要な要素です。種々様々な表現手段が存在する現代社会のあらゆる場面で音楽が未だに重用されていることは現代の不思議です。またそれはヒトに限った話ではなく、一見音を扱う必要がないように思えるアシカがリズムをビートを知覚するという能力を見せていることからして、動物にとって音楽は何らかの重要な役割を果たしているのでしょう。
・どうぶつの森
どうぶつの森シリーズはBGMが非常良いのですが、公式サントラが充実していないのが残念です。様々な雰囲気を演出するために様々な音階が使われていて面白いです。
リンクの曲をはじめて耳にした時、「ジョンケージに似てる」と思いました。任天堂所属の片岡真央と朝日温子がメインコンポーザーという情報はありましたが、どの曲を誰が作ったのかまでは不明です。ゲームミュージックは広大な沃野と思いつつ、まだまだ手をつけられていない悲しい状態です。例えばマリオのメインテーマなど、一体どこに由来するのか不思議で仕方ないです。
*1:界隈で盛り上がっている思想家とは別