捏造日記

電脳与太話

コード進行からの解放

 コード進行は、幾つかのコードを規則的に組み合わせるだけで、簡単に楽曲に表情を付加することのできる音楽表現を拡張する極めて強力な要素だ。

 

典型的な進行を機械的に組み合わせることで特定のイメージを喚起させる音楽を量産することも可能だ。例えば、サンロクニーゴーを含む4度進行は典型的なもので、聴き手に簡単に「オシャレ」なイメージを与えることができる。他にも、盛り上がりの一歩前にV7を挟むことで、ドラマチックな展開を演出することもできる。

 

一方、その強力な道具は、「進行」の概念から解放されたコードが本来的に含む豊潤な響きを収奪する存在でもある。

 

和音(二つ以上の音の組み合わせ)は、コード進行などという組み合わせの妙に頼らなくとも、それ自体で十分に美しく、傾聴に値するものだ。

 

コード進行の乱用から解放された、グレゴリオ聖歌アンビエント、ドローン、エスニックミュージック、などの音楽は、単調なコードが深奥な響きを含む事実を私に再認識させてくれる。

 

そのように進行が捏造する煩わしさから自由な音楽は、享楽的カタルシスを聴き手に強要せず、日常に寄り添う家具の一部として機能する。要素が少ないゆえに、程よく興味をそそり、思考の流れを促し、日常生活を阻害しない。

 

そして、その一見無味乾に思える単調性ゆえに、誰かの自己陶酔や依存の道具として消費され辛く、強引な解釈で特定の文脈に引き込まれ辛い。

 

しかしながら、一度目をつけられて終えば、不明瞭性ゆえに、何かを語る際の叩き台として利用され易くもあるのが問題だ(まさにこのようにして)。