2ヶ月ほど前、偶々通りかかった台東区立隅田公園で、東京大空襲戦災犠牲者追悼碑を目にし、戦争のことが心に引っかかっていた。何かの運命だと受け入れて再上映企画で5月5日に『火垂るの墓』を観た。感想を文字に起こせる作品ではないことを承知しつつ、少しだけ記録しておきたいと思う。この作品は再び自分で意志して観ることになるだろう。
総務省|一般戦災死没者の追悼|東京大空襲戦災犠牲者追悼碑
丸の内 TOEI「昭和100年映画祭」
上映中に退出した人を目にしたが、作品のあまりの生々しさに生理的な拒否反応を示してしまったのであれば、少し共感できる。自分も観賞中、ストレスの許容量を超えそうな反応のためか脳がピキピキと鳴るような感覚を覚えた。*1泣くべきではないという鉄の意志で鑑賞に臨んだため、上映中こそ落涙しなかったが、家に帰ってから思い返して泣いた。戦争映画の観点から語られがちだが、純粋な映画表現としても極めて素晴らしかった。終戦後、家に戻ることに成功した家族が蓄音機で「埴生の宿」を流すところから始まる場面は完璧だった。多義的であり、鑑賞者の感情を過度に煽らず、アニメーションでしかできない表現であり、言葉を超えていた。
余談。「終戦直後に敵性音楽のレコードが流されることはあるのだろうか」という疑問が湧いたが、歴史的背景があった。また、『火垂るの墓』を集中して観たのは初めてのはずが、「埴生の宿」のメロディは自分の中に残っていた。高畑勲、おそるべし。
*1:
以前、目を背けそうになったのは、韓国のドキュメンタリーで整形外科医が悲鳴をあげる子供の下を切開するシーン