捏造日記

電脳与太話

経過観察20201102 東京

世界でも有数の情報集積地の東京で生活することは、様々な未知に囲まれることを意味する。文化的資本の少ない田舎とは異なり、街を歩けば未知に出会う。そこが画一化しつつある田舎との大きな違いだと思っている。しかし、実際の東京で出会う人のほとんどが流行りものにしか興味がないことに少々驚いている。流行りものが必ずしも悪ではないのだが、多様な未知に囲まれて生活しているにもかかわらず、自分が外に向けて開かれていないことを不思議に思う。

経過観察20201028 忙殺

何事も極端になりがちな自分の性格的問題が原因と思われるが、7月に働き始めて以来、趣味の時間をほとんど取れていない。リモートワーク中心の仕事で、出勤が必要となった際の電車移動でのわずかな時間が唯一のまとまった読書の時間である。側から見れば、完全にワーカホリックという自覚はある。土日祝日が休みにもかかわらず、日曜は別の部署にいる仲の良い上司をひとり巻き込んで勝手に出社して一緒に勉強していたりもする。

 

「趣味を捨て、このままの生活で良いのか」と考えてみたりもするが、自分の大学生時代のようなコンテンツの消費をベースとした趣味中心の生活に戻りたいとは全く思わない。大量購入・大量消費の根底にあるのはオタク的なアーカイブへの欲望に過ぎず、そこから「深み」が生じるのかについて甚だ疑問に思っている。とはいえ、趣味を捨て、仕事に忙殺されることが正解とも到底思えない。どうすれば良いかと頭をひねるが、考えなければならないパラメーターはあまりに多く、考えを広く深くしようとすればするほど、混沌は増し、最終的に呆然と立ち尽くす以外の選択はなくなる。そして、生活の維持という喫緊の目標が自分を駆り立てる。我ながら倒錯的とは思うが、それから逃れるように思考の全てを仕事で埋め尽くし、その場しのぎ的に雨風を凌ぐという選択をしている。

 

まるで病んでいるかのような文章を書いたが、最近は同僚の誕生日祝いをしたりと、全くもって「健全」な生活を送っている。彼らは、音楽はヨルシカやBTS、漫画は鬼滅の刃という典型的な一般人だが、そんな彼らを受け入れられるようになった自分を「成長した」と形容して良いものだろうか。

 

経過観察

環境音楽(Kankyo Ongaku)とラベリングされた日本音楽が次々に発掘されているようだが、ヒットソング、ディズニー、ジブリのジャズやハウスアレンジが評価される日も遠くない気がしてくる。

 

割と最近気に入っているもの(≠最近知ったもの)を思いつく順に幾つか。遠方の友人に向け。

 

日本の喜劇王こと、榎本健一。原曲は「A Gay Caballero」という当時のアメリカの流行歌だが、日本的な訛りが心地良い。


NINは基本的に全く好きではないが、『Hesitation Marks』というアルバムにだけは何曲か気に入る曲があり、その理由が昨日判明した。D-AnjeloやJohn Mayer Trioなどで短い音価を効果的に使用して異常にうねるグルーヴを出すベーシスト、Pino Paradinoが参加していた。機械的なリズム上であろうと、“あのグルーヴ”が出せるのだと脱帽。彼が参加している曲のみが気に入っている。


1940年代あたりの音楽。曲と歌が良いことは勿論だが、Les Paul氏のギターがあまりにも上手い。Mary Fordの歌唱に何度も合いの手を入れているが、毎回異なるフレーズを引いている。そして、それが音楽的に全く騒がしくない。奇跡に近いことだと思う。

 

アイヌの伝統を受け継ぐ女性グループ。国内の伝統音楽には掘っても掘り尽くせない魅力がある。


琉球音楽についての研究を少し読んだ時に知ったもの。


Michael Jacksonが参加したことでも有名なゲーム、『スペースチャンネル5』のサントラより。ゲームの世界観含め、トータルとして良くできたゲームだと思う。今年、作品のVR化を記念して、記念ライブが開催されるはずだったが、昨今の感染症騒ぎでどうなっただろうか。


音ゲーの元祖的存在ではないかと思う。サントラは高騰しているが、ツタヤ・ディスカスを使うと案外簡単に入手できる。


妄想代理人』のサントラより。ファットなビート、サンプリング、スクラッチと、素材単体を取り出せば完全にヒップホップだが、それらが有機的に結びついた途端、“ヒップホップでは無い何か”になるという全くもって平沢進らしい曲。御大はそろそろ、Bjorkに目をつけられても良いと思う。Bjorkの前作『Utopia』において、Arcaは完全に喰われていた。音楽的拮抗がなく、あの声を乗せた瞬間に全て彼女の曲になるという魔術に呑み込まれてしまっていた。そこで、平沢御大であればどうかと思うが、実現は難しいだろう。


一切皆名盤

極めて退屈に感じる音楽であっても、それが形成される過程に思いを馳せた途端、相対する音に凝縮された人類の歴史が語りかけてくる。偉人伝の羅列的な音楽観からすれば名盤こそ至高であろうが、音楽的素養のない人々が鳴らす音にも、生物学的遺伝子と文化的遺伝子の両方からなる人間という生物の剥き出しの感性が等しく含まれている。その事実を受け入れると、清浄の世界、一切皆名盤の境地に至る。巨大な人類の歴史の産物としての音楽という観点からすれば、作品の良し悪しなど些末な問題に過ぎなくなる。

 

仕事の合間に全くもって余計なことを考えた。

 

趣味的活動再開

約半年ほど、趣味的なものを完全に排除して就職活動とその準備に集中していました。主にプログラミングをしてアプリを開発していました。就職活動に本腰を入れたのは、新型コロナが猛威を奮っていた先月のことです。正直、退屈極まりない自己分析なるもので「自分」を探し、「自分」で自分を染め上げる作業には何の面白味も感じられませんでした。就職活動とはもはや演劇です。しかし、結果として幸運にも望外の結果を得ることができました。これからは労働者の端くれとして社会の片隅で生きてゆきます。

 

兎にも角にも、色々と一段落したので音楽系書籍を読むことを再開しました。1冊目は以下です。

ストリートの精霊たち

ストリートの精霊たち

  • 作者:川瀬 慈
  • 発売日: 2018/04/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 上記書籍著者の川瀬慈は、国立民族学博物館に所属する映像人類学者で、ラリべロッチというエチオピアの物乞いが奏でる音楽と、彼らの生活を克明に記録した極めて素晴らしい映像を発表しています。公式の紹介文の抜粋は以下です。

エチオピア高原北部を広範に移動する“ラリベロッチ(単数:ラリベラ)”と呼ばれる唄い手たちは、早朝に家の軒先で唄い、乞い、金や食物を受け取ると、その見返りとして人々に祝詞を与え、次の家へと去っていく。ラリベロッチのこうした活動は、瞽女(ごぜ)や春駒など、農作物の豊穣や家族の平穏を祈って各地を回ったという、わが国の門付(かどづけ)芸能者や、托鉢の僧侶の姿を思い起こさせる。

無料で公開されているので興味がある方は是非。

 

読書以外の音楽活動としては、労働の対価を得たらウードを始めてみようと思っています。ウードは西洋のヴァイオリンやギターなどの祖先にあたると言われている楽器です。知らない方はこの動画がおすすめです。半音(semitone)を基礎とする西洋楽器と異なり、半音より細かい微分音(microtone)を鳴らせるように設計されているウードの魅力がわかります。

 

その他、聴く絶対量が全く足りていませんが、比較的最近聴いたものの感想を少し書きます。

H.E.RはコンテンポラリーR&Bに属する音楽だと思うのですが、私自身がその周辺に明るくないので彼女がどの程度革新的かどうかは正直わかりません。しかし、感覚的には非常に良いものだと感じています。また、ソースはwikiですが、彼女の音楽の発言がとても良いです。

 "I feel like this is the era of the anti-star. I really just wanted it to be about the music, and get away from, 'Who is she with?' and 'What is she wearing?'"

H.E.R. - Wikipedia

 

次は、ルーマニアのはずれにある極めて優れた演奏技術を持つ音楽家が育つ村として有名な(?)なクレジャニの住人によって構成されるバンドです。

私は、放浪の民ロマの奏でる音楽の源流を探る以下の番組で知りました。父親が息子にバイオリンを指導するシーンがあり、楽譜を全く使用せずに感覚的に指導していたことが印象的でした。彼らは楽譜を読めないようです。

 

次です。流し見していたThundercatのインタビューで知りました。Snoop Dogの「G'z And Hustalz」のリフに元ネタがあり、Marcus Millerがベースを弾いているとは全く知りませんでした。

 

紹介する必要さえないEdith Piafです。明るい曲に聞こえますが、Aメロのメロディで長3度と短3度を半音でうろうろする不思議な曲です。ただ、そんなことよりも、彼女が声を発した瞬間から、あまりの歌の上手さに引きます。

 

去年のフジロック出演からゆるキャラ的人気を博している(?)平沢進です。個人的には、アニメへの関心から今敏に出会い、今敏ブログ経由で平沢御大に入りました。「P-Modelの人」という月並な印象しかありませんでしたが、音楽を聴いて驚かされました。

歌詞については言わずもがな、メロディについても、音楽的素養のない人でも口ずさめばその異様さに気付くのではないかと思います。従来の耳慣れた音楽のメロディと構造が根本的に異なるため、非常に歌いづらいはずです。多くの曲を分析したわけではありませんが、音楽的に少し踏み込んで言うと、調性を意図的に定位させないようにしているように思います。音程の跳躍が大きく、長調短調を複雑に織り交ぜ、半音を挟んだメロディが多い印象を受けます。平沢御大の音楽からは「従来とは違う何か」を模索する意志を感じます。

 

さて、趣味の充実は良いことですが、音楽は時間泥棒なので困ったものです。私生活では引越しに加え、仕事で使用するプログラミングで新しい言語の勉強も必要で、大忙しとなりそうです。どれも程々に細々と続けて行こうと思っています。

最近の読書と感想

たまには読書記録でも。

 

『ポピュラー音楽の世紀』中村とうよう

消化中。涵養にはもう少し時間がかかる。

「オリジナルとは何か」「文化とは何か」といった視点を揺さぶられる好著。宗主国に押し付けられた音楽を従属国が逞しく消化・アレンジし、新たな音楽を発明する流れがとても面白い。筆致は丁寧だが、その底流に怒りがあることは明らかで、著者が植民地主義や文化盗用に対して徹底して批判的で、アメリカを中心としたポピュラーミュージックの商売事情に鋭く切り込む様が印象的だった。理性的表現を通じて感情に訴えかける作品に外れはない。本書は紛れもなくその要件を満たしている。

ポピュラー音楽の世紀 (岩波新書)

ポピュラー音楽の世紀 (岩波新書)

 

 

『SPEED攻略10日間 国語 文学史

きっかけは忘れたが、源氏物語に興味が出たので、その流れで購入。浅学な私は文学史を勉強した経験がないので10日で終わらせることができなかった。世界文学史のようなものが無かったことが残念。『オデュッセイア 』や『ギルガメッシュ叙事詩』でも読んでみようかと考えている。紀伊国屋書店で『ギリシャ・ラテン文学 ——韻文の系譜をたどる15章』という本を見つけたのでそちらでも良い気がしている。ただ、かなり硬派な感じがしたので手を出すと火傷しそうではある。

SPEED攻略10日間 国語 文学史

SPEED攻略10日間 国語 文学史

 

 

 『壁』安部公房

積読となっていた。『砂の女』のようなものを予想したので驚いた。感想を言語化できる類の作品ではないと思う。夢のような展開のために捉えどころがなく、喜劇的にも悲劇的にも読むことができる。

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

 

 

『 創作の極意と掟』 筒井康隆

今敏に興味を持ったところからの繋がりで購入。著者の作品は読んだことがないが、想像以上に実験的な作家であることがよくわかった。

作品の迫力を生み出す「色気」の背景にあるものは「死」であるという考察には膝を打った。つまらない作品に共通する要素についても面白おかしく書いているので、その辺りも読んでいて痛快だった。

創作の極意と掟 (講談社文庫)

創作の極意と掟 (講談社文庫)

 

『着想の技術』 筒井康隆

同上。

着想の技術(新潮文庫)

着想の技術(新潮文庫)

 

 

 『出発点-1979-1996』宮崎駿

偶然目にした『千と千尋の神隠し』から興味を持って購入。動く絵の面白さから宮崎駿作品を享楽的に楽しんでいる人たちとは正反対とも言える宮崎の人生観・作品観が綴られている。宮崎駿作品は紙一重のところで世界を肯定しているが、その裏で現代的生活への懐疑と批判がたっぷりと込められている。

また、宮崎作品には、人類の肯定と否定という対立した二項の一方に与するのではなく、対立をそのままで共存させる特徴があると気付いた。一見肌触りの良い『魔女の宅急便』などの作品でも、宮崎が記した作品のテーマについて読めば、現実世界を観察する宮崎の眼差しがいかに厳しいかがわかる。その徹底した観察と懐疑の過程で微かに掬い上げられた「肯定的な何か」が宮崎作品の魅力である。そしてそれは、詳細は割愛するが、作風が全く異なる宮崎最大のライバル、高畑勲作品との共通項でもある。

出発点―1979~1996

出発点―1979~1996

 

 

『木を植えた男を読む』高畑勲

宮崎駿を知るとなると、高畑勲の存在を無視できなかった。稀代の大天才として知られる宮崎と比較して高畑の評価は低いと言わざるを得ない。その高畑勲に非常に大きな影響を与えたのが『木を植えた男』*1のアニメーションを制作したフレデリック・バックである。当初、その影響は精神的なものにとどまっていたが、『ホーホケキョ となりの山田くん』以降の作品においては描法についても絶大な影響を与えるに至った。輪郭のはっきりした線を残す実線主義を脱却し、生き生きとしたスケッチ風の描法を用いた新たな表現方法を確立した。高畑の遺作『かぐや姫の物語』の予告編をみるだけでも十分にその革新性がわかる。

木を植えた男を読む

木を植えた男を読む

 

 


『映画を作りながら考えたこと』高畑勲

まず、高畑勲東京大学在学中に執筆した映画音楽評で度肝を抜かれる。黒澤明作品であろうと、世間の目ではなく、自分の観察眼を第一に冷静に評価しようとする姿勢に共感を覚えた。今やジブリ作品の音楽の代名詞とも言える久石譲だが、ジブリ以前に目立った活躍があったわけではなかった。高畑はその久石を見出した。ジブリ作品の音楽の質は高畑勲によって担保されていたと言っても過言ではない。

優れたクリエイターに完璧主義的性格はつきものだが、高畑の完璧主義は群を抜いている。徹底した時代考証は当然のように行う。さらに、「その作品が表現するに足りうるものであるか」を常に自問し、古今東西の芸術作品のリサーチを参考にしながら自らの作品に相応しい表現方法を模索する。当然、スケジュールに間に合うはずがない。高畑は、関わった作品のほとんど全てのスケジュールを遅らせたという。現代のピラミッド建築とも言えるような途方も無い作業である。その過程では、稀代の天才たちも奴隷のような労働を強いられる。その末に作品が出来上がるのだから、完成度は言うまでもない。高畑は仕事に関しては非人間的だが、彼の描く作品像が引く手数多の天才たちを惹きつけるだけの魅力を持っていたのは確かだろう。

極めて高いレベルの評論家気質と芸術家気質を併せ持つクリエイターは極めて稀だが、高畑勲は間違いなくその1人だろう。評論家気質のみが強いクリエイターは自らの厳しい評論眼に自作を酷評されて自信喪失する。一方、芸術家気質のみが強いクリエイターは、ごく稀に独自の表現を確立することもあるが、評論家気質の不足による自己批判の不足により凡庸になりがちである。 

映画を作りながら考えたこと

映画を作りながら考えたこと

 

 

 『地球環境の事件簿』石弘之

「このまま行けば地球、少なくとも人類はもう終わるな」ということを客観的に示してくれる本。ソマリアの海賊について書かれた章が特に印象に残った。まともに漁をするよりも海賊をする方が儲かるので海賊が幅を効かせるようになり、それに伴う人質解放交渉ビジネスの誕生、無法地帯と化した領海で他国の漁船による乱獲など、混沌としている模様。やはり原因は貧困にあるのだが、「先進国」からの支援で船が与えられても海賊船に魔改造するため全く意味をなしていないどころか状況を悪化させるだけとのこと。さらに、ソマリアは「先進国」との間に有毒化学物質を含む産業廃棄物の投棄契約を結んでいるらしく、海に投棄されたそれら廃棄物のせいで海の汚染が加速している。あ、ちなみに違法に乱獲された水産物は当然のごとく日本にも輸出されている。どこを切り取っても絶望的で読んでいると厭世的な気分になる。

地球環境の事件簿 (岩波科学ライブラリー 170)

地球環境の事件簿 (岩波科学ライブラリー 170)

 

 

 『雨の科学』 武田 喬男

講談社Twitterを見てメモしていたもの。講談社学術文庫ではよくあることだが、適当に流し読みできる類の本ではない。著者が晩年に病床でしたためた著書らしく、無菌室に入れられた著者が消毒された原稿用紙1枚1枚丁寧に書き記したとのこと。それを思い出すたびに流し読みの抵抗感が増して非常に困っている。

雨の科学 (講談社学術文庫)

雨の科学 (講談社学術文庫)

 

 

 

*1:原作はジャン・ジオノ