捏造日記

電脳与太話

経過観察 20210616 hideと散髪

行きつけの美容室は無い。近場で予約の取れるほとんど個人経営のような小さな店に行くと決めている。先日行った美容室の店長はhideのファンだった。店の一角にはhideグッズのコーナーが用意されていて、トレードマークであったイエローハートまで飾られていた。何より、hideを「ヒデちゃん」と呼んでいたことが彼が筋金入りであることを物語っていた。

 

自分が本当に大切にしている人や作品を知っている人に出会った時、純粋に共有できて嬉しいと思う人もいるが、半端な情熱で自分の聖域に触れられたくないと思う人もいる。店長は明らかに後者だったが、自分がzilchの話をすると、想像以上にhideを知っていることに驚き、饒舌になった。彼は毎年お墓参りに行っているとのことだった。霊園付近の花屋は未だにそれで潤っていると、嬉しそうに語ってくれた。

 

店を出る時、再び店内を見回すと先日BUNKAMURAで開催されていた「ドアノーと音楽、パリ」の本が飾られていることに気付き、「あの写真展良かったですよね。hide以外にもエディット・ピアフとかも結構聴きますよ」と伝えると目を丸くしていた。

 

私が引っ越しをしてしまったので、もうあの店に足を運ぶことはないと思うが、筋金入りのhideのファンと出会ったという記憶は残り続けると思う。

経過観察20210615 時には趣味の話を

あまりに不定期なブログだが、遠方にいる数少ない友人たちに向けた生存報告としてもこのブログは継続しようと思っている。とはいえ、何を書くかは決まっておらず、思うままに書いてみようと思う。

 

自分は人と仲良くすることに関しては、天賦の才に恵まれたと思っているが、自分から仲良くしたい人はほとんどいないという状態が長く続いている(いた?)。少なくとも趣味の話ができない友人というのは全くいない。しかし、就職と上京に際してオープンな自分に挑戦しようと思ったこともあってか、今まで自分が仲良くしてきた人たちとは全く異なるタイプの知り合い(友人?)が3人ほどできた。とても良い人たちで、プライベートで旅行に誘われる程度には仲良くしているのだが、趣味の話はほとんどしない。いや、したくないと言った方が正しい。時折、彼らと一緒にいる時の自分がまるで自分でないかのように感じることがある。それを「これも自分」と肯定的に捉えるか、それとも典型的な社会への迎合と否定的に捉えるかは悩みどころではあるが、「自分探し」に耽溺することほどの害悪はないので、流れに委ねてみようと思っている。

 

2週間ほど前に印象的な出来事があった。先述の3人のうちの1人と、偶然2人で過ごす時間があった。彼女は「社会的」にとても目立った特徴を幾つも持っている。これから少し書くが、「嘘を書いている」と思われても仕方がないと思う。彼女は、すれ違う人たちが振り返るレベル美人(今まで見てきた人のなかで一番かもしれない)で、姿勢は美しく、服装にもとても気を使っている。また、性格は控えめで言葉使いも美しく、誰かの悪口は言わない。それだけでもお腹いっぱいなのだが、某超高層マンションの最上階で生活している富豪でもある。しかし、彼女はそれら全てを鼻にかけることは決してない。

彼女の特徴は程々に話を戻す。彼女と2人で話す時間があった。突然、「どうして〇〇君は趣味の話をしないんですか?」と聞かれた。少し困惑したが、「趣味へのこだわりが強くなるに連れて人と共有できる部分が少なくなり、日常的に趣味の話がしづらくなったから」と返答した。そこで話が終わるかと思ったが、「それでも何か好きなものを教えてもらえますか」とのことだった。

とはいえ、『鬼滅の刃』を読み、やYOASOBIを聴いている彼女に自分の趣味を一方的に押し付けるわけにもいかず、一先ず、聞きやすそうなCornelius「あなたがいるなら」を紹介してみた。彼女の感想は「これ好きです」だった。

 

続いて、シンガーソングライターが好きとのことだったので、青葉市子を紹介した。「休日にお風呂で聴きたいです」とのことだった。


他にファッションが好きな彼女に合わせてSt.Vincentを紹介したが、反応はとても良く、後日「この曲、気に入りました^^」(原文ママ)と連絡があり、このリンクが併記されていた。

過度に趣味の話を避ける必要はなかったのかもしれない。ごく限られた知人・友人に対してくらいは、思うままに話をしてみても良いだろうか。優しさを前面に押し出せばそれで問題ない。しかし、ぬるい相互肯定をするだけのコミュニケーションには全く興味がない。「自分如きが」という思いはあるものの、音楽はある種の自分にとっての聖域なので、全く好きではないものを「良いですね」と口にすることは許されない。この非社会的でおかしなこだわりは捨てた方が良いのかもしれないが、聖域のある人生とない人生のどちらかを選べと言われれば、迷いなく前者を選ぶ。自分にとっての趣味の話は、もっとチリチリとしたもので、安易な肯定は御法度である。

 

思考がまとまらない。「心がきれい」であることは確かに素晴らしいのだが、

経過観察20201102 東京

世界でも有数の情報集積地の東京で生活することは、様々な未知に囲まれることを意味する。文化的資本の少ない田舎とは異なり、街を歩けば未知に出会う。そこが画一化しつつある田舎との大きな違いだと思っている。しかし、実際の東京で出会う人のほとんどが流行りものにしか興味がないことに少々驚いている。流行りものが必ずしも悪ではないのだが、多様な未知に囲まれて生活しているにもかかわらず、自分が外に向けて開かれていないことを不思議に思う。

経過観察20201028 忙殺

何事も極端になりがちな自分の性格的問題が原因と思われるが、7月に働き始めて以来、趣味の時間をほとんど取れていない。リモートワーク中心の仕事で、出勤が必要となった際の電車移動でのわずかな時間が唯一のまとまった読書の時間である。側から見れば、完全にワーカホリックという自覚はある。土日祝日が休みにもかかわらず、日曜は別の部署にいる仲の良い上司をひとり巻き込んで勝手に出社して一緒に勉強していたりもする。

 

「趣味を捨て、このままの生活で良いのか」と考えてみたりもするが、自分の大学生時代のようなコンテンツの消費をベースとした趣味中心の生活に戻りたいとは全く思わない。大量購入・大量消費の根底にあるのはオタク的なアーカイブへの欲望に過ぎず、そこから「深み」が生じるのかについて甚だ疑問に思っている。とはいえ、趣味を捨て、仕事に忙殺されることが正解とも到底思えない。どうすれば良いかと頭をひねるが、考えなければならないパラメーターはあまりに多く、考えを広く深くしようとすればするほど、混沌は増し、最終的に呆然と立ち尽くす以外の選択はなくなる。そして、生活の維持という喫緊の目標が自分を駆り立てる。我ながら倒錯的とは思うが、それから逃れるように思考の全てを仕事で埋め尽くし、その場しのぎ的に雨風を凌ぐという選択をしている。

 

まるで病んでいるかのような文章を書いたが、最近は同僚の誕生日祝いをしたりと、全くもって「健全」な生活を送っている。彼らは、音楽はヨルシカやBTS、漫画は鬼滅の刃という典型的な一般人だが、そんな彼らを受け入れられるようになった自分を「成長した」と形容して良いものだろうか。

 

経過観察0909

最近読んだ文章の中でも白眉。自分が「一般」ではないことを自覚しながらも、それとの接点を探そうとする心の機微は、純文学的薫りさえする。門外漢による解釈やべき論は無用で、ただひとつの現実として見つめたい。

経過観察

環境音楽(Kankyo Ongaku)とラベリングされた日本音楽が次々に発掘されているようだが、ヒットソング、ディズニー、ジブリのジャズやハウスアレンジが評価される日も遠くない気がしてくる。

 

割と最近気に入っているもの(≠最近知ったもの)を思いつく順に幾つか。遠方の友人に向け。

 

日本の喜劇王こと、榎本健一。原曲は「A Gay Caballero」という当時のアメリカの流行歌だが、日本的な訛りが心地良い。


NINは基本的に全く好きではないが、『Hesitation Marks』というアルバムにだけは何曲か気に入る曲があり、その理由が昨日判明した。D-AnjeloやJohn Mayer Trioなどで短い音価を効果的に使用して異常にうねるグルーヴを出すベーシスト、Pino Paradinoが参加していた。機械的なリズム上であろうと、“あのグルーヴ”が出せるのだと脱帽。彼が参加している曲のみが気に入っている。


1940年代あたりの音楽。曲と歌が良いことは勿論だが、Les Paul氏のギターがあまりにも上手い。Mary Fordの歌唱に何度も合いの手を入れているが、毎回異なるフレーズを引いている。そして、それが音楽的に全く騒がしくない。奇跡に近いことだと思う。

 

アイヌの伝統を受け継ぐ女性グループ。国内の伝統音楽には掘っても掘り尽くせない魅力がある。


琉球音楽についての研究を少し読んだ時に知ったもの。


Michael Jacksonが参加したことでも有名なゲーム、『スペースチャンネル5』のサントラより。ゲームの世界観含め、トータルとして良くできたゲームだと思う。今年、作品のVR化を記念して、記念ライブが開催されるはずだったが、昨今の感染症騒ぎでどうなっただろうか。


音ゲーの元祖的存在ではないかと思う。サントラは高騰しているが、ツタヤ・ディスカスを使うと案外簡単に入手できる。


妄想代理人』のサントラより。ファットなビート、サンプリング、スクラッチと、素材単体を取り出せば完全にヒップホップだが、それらが有機的に結びついた途端、“ヒップホップでは無い何か”になるという全くもって平沢進らしい曲。御大はそろそろ、Bjorkに目をつけられても良いと思う。Bjorkの前作『Utopia』において、Arcaは完全に喰われていた。音楽的拮抗がなく、あの声を乗せた瞬間に全て彼女の曲になるという魔術に呑み込まれてしまっていた。そこで、平沢御大であればどうかと思うが、実現は難しいだろう。


一切皆名盤

極めて退屈に感じる音楽であっても、それが形成される過程に思いを馳せた途端、相対する音に凝縮された人類の歴史が語りかけてくる。偉人伝の羅列的な音楽観からすれば名盤こそ至高であろうが、音楽的素養のない人々が鳴らす音にも、生物学的遺伝子と文化的遺伝子の両方からなる人間という生物の剥き出しの感性が等しく含まれている。その事実を受け入れると、清浄の世界、一切皆名盤の境地に至る。巨大な人類の歴史の産物としての音楽という観点からすれば、作品の良し悪しなど些末な問題に過ぎなくなる。

 

仕事の合間に全くもって余計なことを考えた。