捏造日記

電脳与太話

Elizabeth Frazerのルーツを巡る

 

Elizabeth Fraser(以下:リズ)の声を初めて耳にした時の衝撃は強烈でした。「これは恐らく自分の全く知らない世界(ルーツ)から来たものだろう」と直感しましたが、その正体を掴めない状態が長く続きました。理由は簡単で、目につきやすいところに答えがないからだと思います。例えば、日本語と英語のウィキペディアを見てみるとしましょう。

 

バンドは、当時、ジョイ・ディヴィジョンバースデー・パーティーセックス・ピストルズスージー・アンド・ザ・バンシーズの影響を受けており、コクトー・ツインズというバンド名は、シンプル・マインズの初期の未発表曲に由来している。 コクトー・ツインズ - Wikipedia

 

 The band's influences at the time included The Birthday Party, Sex Pistols, Kate Bush and Siouxsie and the Banshees  
英語ウィキ Cocteau Twins - Wikipedia

 

この記述が多くのブログで拡散されているようですが、私は彼らの音楽を何度聴いても、リズのルーツがパンクやニューウェーヴであるという説明には納得できませんでした。代表作とされる『Treasure』収録曲を筆頭に、何曲も音楽的に分析しましたが、3拍子の曲が多いことからもわかるように、彼ら(とりわけ、リズ)のルーツに8ビートをベースとしたロックミュージックの文脈が最も大きな影響源とは到底思えませんでした。他にも、大胆なアルベジオ(つまり、音の跳躍が大きい)メロディなど、分析すればするほど「パンクやニューウェーヴとは違う」とばかり思いました。確かに、部分的には例えば、ゴスからの影響などが認められますが、やはりそれは決定的ではないと思いました。そして、音楽には必ず何かしらのルーツがあるにも関わらず、リズの場合に限って「大部分は天性に由来する」と考えることには常に違和感がありました。

 

しかし、その疑問を氷解させる記事を見つけました。彼女の決定的な影響を受けた音楽は、『Le Mystère Des Voix Bulgares』というブルガリア音楽です。そのことについて書いている記事から引用します。

 

she reveals that her vocal style was greatly influenced by the a cappella recordings of Bulgarian folk singers. After coming across the cassette of Le Mystère des Voix Bulgares, Fraser decided that she would learn it by heart and that it would be her “teacher and her home.”
John Grant and Elizabeth Fraser In Conversation at The Royal Albert Hall / In Depth // Drowned In Sound

 

リズの声に馴染みのある人であれば、聴いた瞬間にわかると思います。

 

ブルガリア唱歌を「天使の声」と称賛するコメントを頻繁に目にしますが、そこもリズと一致しています。

 

この音源の誕生には、ブルガリア人作曲家のフィリップ・クーテフ(Philip Kutev)と、マーセル(Marcel)とキャサリン(Cathrine)というスイス人の夫婦が大きく関係しています。それについて書きます。

 

クーテフは、政府から依頼で、ブルガリアの民謡のためのグループを創設しました。彼はブルガリアの伝統音楽に不協和音や印象派や12音技法を組み合わせる斬新なアレンジを施しました。その後、彼が率いていたFilip Kutev Ensembleというグループが、 Bulgarian State Television Female Vocal Choir (以下:BSTFVC)というグループになりました。そしてこのBSTFVCこそが、後にリズに絶大な影響を与えることとなる『Le Mystère Des Voix Bulgares』のほとんどの曲に参加したグループです。

 

美しい音楽が誕生したことは良いものの、時代は冷戦でした。したがって、録音に至るまでの道は平坦ではありませんでした。そこで登場するのが、先に少し触れたスイス人の夫婦、マーセル(Marcel)とキャサリン(Cathrine)です。夫のマーセルは、ラジオ曲で働いており、Disques Cellier,という伝統音楽のためのレーベル運営もしていました。彼らが、どこでブルガリア音楽を初めて耳にしたかは定かではないですが、その魅力に取り憑かれ、1950年代後半、彼らはなんとかしてブルガリアに定期的に訪れる許可を得ました。

 

その当時をマーセルはこう振り返ります。

It was the time of absolute Stalinism.You couldn't speak with people on the street.(They)were afraid of coming into contact with western travellers.

 

キャサリンはこう言います。

But the music  was so beautiful.The attraction was so strong.
in spite of all this , we couldn't resist travelling there.

 

彼らは、35kgもある大きな録音機器を持ち運びながら首都ソフィアから地方までを移動し、ブルガリアの伝統音楽のレコーディングを行いました。そして、彼らが録音したものとRadio Sofia(ブルガリアのラジオ曲?)のアーカイブを組み合わせれて誕生したのが、『Le Mystère Des Voix Bulgares』です。1975年のことでした。この音源が、どこかを巡り、エリザベス・フレイザーの手元に届いたのだと思います。リズの話はここでお終わりです。この記事でリズのルーツと同じくらいに書きたかったことを以下に続けます。音楽の伝わり方についてです。

 

当時は、一部の音楽愛好家の間でしか広まりませんでした。しかし、その音源が、偶然オーストラリア人のダンサーの友人から手渡されたBauhausのヴォーカリストのPeter John Murphyの手に渡り、続いて4ADの創設者のひとりであるIvo Watts-Russel(以下:アイヴォ)のもとに届きました。アイヴォはその音を非常に感銘を受け、マーセルを突き止め、彼から許可を取り、1986年に4ADから『Le Mystère Des Voix Bulgares』を再リリースしています。彼はこの作品を自身のキャリアにおいて非常に重要なものだと考えているようです。彼の発言が含まれる部分を引用します。

“It was timeless, it is timeless and it always will be timeless.” Watts-Russell calls the album “a highlight of my life, my career.”

How Le Mystère Des Voix Bulgares became a timeless cult phenomenon

余談ですが、Frank Zappaブルガリア音楽を愛好していたそうです。アイヴォは彼に『Le Mystère Des Voix Bulgares』を送ったと言っています。

 

リズの話からさらに外れますが、作曲家クーテフについて少し書きます。面白いことに彼は、実は芸能山城組の創設に間接的に関わっています。小泉文夫という民族音楽学者が、クーテフに接触しています。彼はクーテフと会った際、「西洋音楽教育を受けた人は使わない」というクーテフの方針に大きな共感を覚えたようです*1。小泉は帰国後、個人的に親交のあった芸能山城組の創設者となる山城祥二の手元にブルガリア音楽を届けました。その後、山城がどのように動いたかは芸能山城組の公式HPに書かれています。彼は、芸能山城組の前身グループで、1968年にブルガリアン・ポリフォニーの演奏を世界で初めて成功させています。

この話題の最後に、芸能山城組の参加資格について触れておきましょう。公式HPから引用します。

2.芸能山城組は、アマチュアの集団で音楽・芸能をなりわいとはしておりません。そのため原則として音楽・芸能を職業とされている方はご遠慮いただいております。ご不明な点はご相談ください。
芸能山城組の活動への参加 | 芸能山城組

 これ以上の詳細は述べませんが、果たしてこれは偶然と言えるでしょうか。

 

ブルガリアの美しき伝統音楽に始まり、偉大なるアマチュアリズムを実践するPhilip Kutev、命がけで素晴らしい音楽を追い求めたマーセルとキャサリンシューゲイザーやドリームポップに絶大なる影響を与えたElizabeth Frazer、今現在でも一貫したレーベルコンセプトを維持し続ける稀有なレーベル4ADとその創設者Ivo Watts-Russel、坂本龍一西洋音楽から解放した民族音楽学者の小泉文夫Akiraの音楽を全面的に担当した芸能山城組にまで至る大きな物語ができました。どこで何がどのように作用し、影響を与えてゆくかは本当に我々の想像を簡単に超えてしまいます。以前このブログで「日本音楽とはいったい」という記事で少し触れたことですが、多様性が音楽、延いては文化の発展に極めて重要だということに改めて気付かされます。

 

終わりに、キャサリンの素晴らしい言葉をここに置いておきます。彼女は、2013年に最愛の夫を亡くしました。そしてその1年後、彼女は、ブルガリア国営放送からの表彰のためにブルガリアを再訪しました。式後のインタビューで彼女は「冷戦時代に夫婦で東ヨーロッパを旅して、5000回ものレコーディングしたのは本当ですか?」と質問を受けた際、以下のように答えました。

 “When one works with love, one does not necessarily keep strict statistics.”
「人は愛をもって働くとき、必ずしも数字を守るとは限らない」


キャサリンとマーセルの名は、音楽の歴史の底に静かに刻まれています。

 

参考資料

 

How Le Mystère Des Voix Bulgares became a timeless cult phenomenon

この記事を書くにあたって最も参考にした記事。読めるのであれば、こちらを読んでもらった方がいい気もします。サイトの中身がなく、キャッシュのみになっていたので、この情報が消失してしまうことを恐れてこの記事を書きました。

The Quietus | Features | Anniversary | 4AD Founder Ivo Watts-Russell On Le Mystère Des Voix Bulgares

アイヴォとブルガリア音楽の関わりについて参考にしました。

 

 

*1:実は、Pete Seegerも同様のことを言っていたと言われています。