捏造日記

電脳与太話

コード進行・分析メモ Velvet Underground 「After Hours」

Velvet UndergroundAfter Hours



Velvet Underground は、音楽好き界隈の王様と言ってよい。

形式化された近年のロックにありがちな強烈なカタルシスを約束しない静謐な音楽は、飽きがくることがなく、噛むほどに味が染み出る。音楽好きの中で、果たして彼らを嫌いな人など存在するのだろうかとさえ思う。

 

骨となる部分はとてもシンプルな曲。Maureen Tuckerのヴォーカルが印象的な曲。

 非常に良い意味で、Verse 2のリズムが崩れる箇所に時代を感じる。DTMが曲のパルスを支配するようになった現代では、こうした崩し方は中々お目にかかれない。

 

Key In B♭

Verse 1

B♭ Gm Cm F

 

Ⅰ - Ⅵm - Ⅱ -  Ⅴ

言わずもがなのイチロクニーゴー。

ジャズとは違いトライアド中心なのでオシャレというよりは明るく、躍動感がある。

 

Ⅱ-Ⅴ-Ⅰ のみで完結できるメロディなので、繰り返すことができる。

エンディングの以下の盛り上がりはその手法

I'd never have to see the day again
I'd never have to see the day again,
Once more
I'd never have to see the day again

 

 

Verse 2  

Ⅰ- Ⅰ7- Ⅳ- Ⅳm

B♭ - B♭7  E♭ -E♭m

 

Ⅰ7が鳴る箇所はどこか何とも言えない不思議な感じがする。Ⅰ7だからと言って、全てがブルース進行的には響かない。

この進行は偶然、Mild High Club の「Skiptracing」でも見られた。彼らの場合は、Ⅳm をトニック ⅠM に解決せずに、Ⅲm に解決し、そのまま4度進行で下降していた。ちなみに、そのⅠ-Ⅳm - Ⅲm -Ⅵm- Ⅱm Ⅴ はフリッパーズギターの「Groove Tube」のサビの進行でもある。

 

Bridge

B♭から半音で下降したかと思えば、Dm と AM を繰り返す謎の進行。

あえて補足する必要もないとは思うけれど、ダイアトニックコード的に考えるのであればAMではなく、Am♭5が正解。

Dmの時は、♭6度 - ♭7度 - ♭3度

AM の時は、1度-2度-5度 のメロディ

AMはドミナントのように機能しているのかもしれない。

DmはⅥmのダイアトニックコードで、ダイアトニックスケール(この場合エオリアン)から外れた音は出てこないので、素直に調性内のコードと解釈してもよいかも。

 

 

後は、Ⅵm - Ⅱ - V を使ってB♭に戻ってくる力技。

このBridge こそがVelvet Undergroundが凡百のバンドとは異なるところかもしれない。マイナーコードをメジャー化することで調性を不安定にする手法はビートルズなど、「サイケデリックロック」と呼ばれるバンドの曲によく見られる。

 

まとめ・感想

原曲のみでは不安な箇所があったのでLive版などを参照しつつ分析した。楽しい雰囲気の曲なので家族で歌うと良いかもしれない。ただ、歌詞を読んでいないので恋人や子供と歌う内容かどうかはわからない。個人的には「Candy Says」、Who Loves The Sun」、「Pale Blue Eyes」など、彼らの歌モノが好み。

 

The Velvet Underground

The Velvet Underground

 

 

 

 

コード進行・分析メモ Mild High Club 「kokopelli」

 Mild High Club 「kokopelli」

 

何故かヒップホップの“当たりレーベル” Stone Throw に所属するサイケデリックなバンド Mild High Clubのお気に入りの曲。アルバム全体を覆うダルさを分析したくなった。

1曲目の「Skiptracing」も非常に良い曲で分析したけれど、何となくこの曲にした。

 


Key in D♭

Verse 1

D♭M7 - Cm7♭5- F7♭9 - B♭m7-Fm7

 

DbM7が鳴っている時のメロディが特徴的。

M7から始まるアルペジオはオクターブ上のM7まで上昇し、6度の音に半音で下降する。M7から始まるメロディは幻想的で優しく聞こえる。また、微妙な半音階が調性を曖昧にすることで独特の浮遊感がある。

 

続くコードは、 Ⅵm に向かうツーファイヴ。F7はダイアトニック的に言えばマイナーになるところだが、続くコードのドミナントと考えて7th化されている。小難しい言葉で言えばセカンダリドミナント

 

 ツーファイブ、Fm7 - B♭7 を挟んで一気にE♭m7 に到達。

畳み掛けるように怒涛の4度進行。

 

ニーゴーサンロク(Ⅱm - Ⅴ7 -Ⅲm7- Ⅵm7)

E♭m7 A♭7  Fm7  B♭7

E♭m7 A♭7 -> Verse 1 に戻る

 

Ebm7 の4度から始まり短3度に着地し、次のコードのアルペジオ

同じくFm7の4度から始まり短3度に着地し、次のコードのアルペジオ

この繰り返しが非常に心地良い。また、セカンダリドミナント化したB♭7の長3度の音をなぞることでメロディのエモさが増していることにも着目。

 

 

まとめ

狙った訳ではないけれど、ミツメの「煙突」に引き続き4度進行の連発が出てきた。もしかすると、好みの進行なのかもしれない。

コード的にはとてもシンプルな曲だった。ただ、曲の顔となるメロディには少し捻りが加えてあり、そこが曲の印象を大きく変えているのだと思った。また、音色やリズムが与える印象の強さを再確認した。

 

「Skiptracing」のkey は B、今回分析したこの曲は D♭と、珍しいKey をよく使うバンドなのかもしれない。ギターやベースギターなどのロック的な楽器は勿論、管楽器的や鍵盤楽器などの楽器でも演奏しづらそうなkey なので、とても不思議な感じがする。

 

余談だが、ロックの曲は♯系のkeyが多く、ジャズの曲は♭系のキーが多い。

非常に単純な3コードの曲や半音下げチューニングを使用されている曲は例外として、ロックの花形楽器であるギターの開放弦を使ったコードを押さえやすく、それらのコードを鳴らしながら曲を作るので♯系のkeyが多くなるのだと思う。E G A C D などを適当に並べるだけでロックっぽくなる。Gとか、Cadd9 とかはロックギタリストが多用するコード。

 

一方ジャズは、顔となる管楽器に合わせた結果だと思う。(雑な理由づけで申し訳...)

 

 

 

コード進行・分析メモ  ミツメ「煙突」

 収録アルバムは以下。『eye』は、amazonで「入荷未定」となって価格が高騰しているのを見かけたので、欲しい人は早めに手に入れるのが良い。

eye

eye

 

 

Verse 1

A - C♯m - D - D on E

Ⅰ -Ⅲ- Ⅳ  Ⅳ/Vのよくある形

 

終始感を弱めるためにドミナントの音をベースにサブドミナントのコードを乗せるのは常套手段。ⅣのコードのところでM7th の音を上手く使っているのがポイント。

 

 

Verse 2

導入前に 主音A からの下降フレーズが入る。

A G♯ F♯ E 

 

D- E - C♯m - F♯m- Bm - E - A 

Ⅳ- Ⅴ - Ⅲm - Ⅵm - Ⅱ m - Ⅴ - Ⅰ

 

 

ジャズや渋谷系の曲で頻繁に見られるオシャレ進行。ドミナントからⅠに解決せずに、4度進行を連発するのはよくある手法。メロディは上手く3度の音を使いつつ綺麗に繋いでいる。Ⅲmのところのメロディは、フリジアンスケールをm3から7♭まで下降して次のm3に繋いでいるのはジャズのようなフレージング。

 

 

まとめ

音楽理論を知らない人でも聴いていて「アレ、変だな」と思う箇所には、ノンダイアトニックコード(キーから外れた音)が登場している。この曲は聴いていて引っかかる箇所はないので、綺麗にダイアトニックコードを使っている。

 

余談だが、「 fly me to the mars !!!」のシングルB面ヴァージョンは、アルバムヴァージョンとアレンジが大きく違う。シングルB面ヴァージョンでは、ドラムマシーンを使用していて、大々的にギターが導入されている。しかし、個人的にはアルバムヴァージョンの方が圧倒的に良いと思う。シングルB面ヴァージョンは、ギターが鳴りすぎていて少しうるさく感じた。あと、ミツメはベース上手い。ギターポップバンドに足りていない黒い成分がとても良いスパイスになっている。

 

個人的な話だが、私にとってのミツメは『ささやき』で止まっている。理由は推して知るべし。

マイルス・デイヴィスの歌

インストゥルメンタルヒップホップの伝説、DJ Krush があるインタビューで、「マイルスは自分のしていたことをずっと昔にしていた」と語っていた。

 

マイルスとの出会いは高校生の時。初めて聴いた時の印象は、中高音が耳に刺さるようで痛いという感じだった。恐らく当時使用した安価なイヤホンが原因だと思う。しかし、音楽を聴く人間としてマイルスから逃れられるはずもなく、So What に行き着いた。あの独特のモーダルな空気に馴染むまで時間を要したが、毎年必ず何度か聴くアルバムになった。ただ、今となっては、楽器を演奏する能力の乏しかったあの頃の自分は、雰囲気を楽しんでいるに過ぎなかったと思う。*1

 

ここ最近、楽器を比較的真面目に練習するようになり、ジャズの名手と言われるプレイヤーの演奏を分析的に聴くことが多くなってマイルスを部分的に理解できるようになってきた。

多くのジャズ系のミュージシャンは、音数が多すぎると感じる。加えて、複雑なコード進行の上で歌うことすら困難な複雑なスケールを使用するので、演奏からメロディの輪郭が見えてこない。大衆を踊らせていたスウィング・ジャズが、ミュージシャン同士の競い合いへと変容したジャズの歴史を鑑みれば当然の帰結かもしれないが、歌を好む自分の肌には合わない。

 

他方、マイルスは、作曲的な方法論でアドリブを取るのがとにかく上手い。マイルスは、トランペットを持った“歌の人”だった。極めて優れたヴォーカリストが口を開いた瞬間に聴き手を圧倒的するようなそれをトランペットで再現する。

聴いてしまえば簡単に思えるそれは、コード進行全体がクリアに見えていることは勿論、コード間の音の関係性を深く理解していないとできない離れ業だと言える。トライアドの音を中心に据えてコード感の提示を求めるジャズで、少ない音数で、コード間を縫うように美しいメロディを奏でることは本当に難しい。まして、それをアドリブでするとなると、想像を絶する難しさだと思う。

言うまでもなく、マイルスはそれを得意としていた。だからこそ、マイルスの音楽は、曲を「アドリブの素材」としてではなく、アドリブ部分も含めて全体を退屈することなく歌のように聴くことができる。

 

その考えに基づくと、マイルスがモードジャズに行き着く理由がよくわかる。

モードであれば、コーダルなアプローチであればテンションと言われる音でさえも自由にロングトーンとしても自由に伸ばすことができる。必然的にコードの制約を受けてしまうコーダルなジャズでは、歌いづらかったのだと思う。

 

マイルスの歌い方は、コードに対して何度でアプローチをしているといった分析をするだけでは見えてこない。それでは所謂ジャズ的なアドリブになってしまう。もっと根本的な歌の捉え方が必要なのかもしれない。

 

マイルスはジャズの人という共通認識があるが、自分自身のことをジャズミュージシャンではないと考えていたらしい。実際、常に“ジャズではない何か”を追い求めていたように見える。現在、本人の思惑とは異なる結果となってしまったが、彼の音楽的功績そのものが「ジャズ」と呼ばれるようになったのだから仕方がない。

 

あまりにも偉大なマイルス。未だ足跡や影さえも見えそうもない。

 

 

*1:そのようなニワカにも圧倒的な説得力で聴かせてみせるのがマイルスの素晴らしさ

現代最高のベーシスト MonoNeon とは?

MonoNeon の衝撃

 

MonoNeonは、ベースの歴史を変える可能性のある存在です*1Jimi Hendrix や Jaco Pastorious などの稀代の天才と同様、好きなジャンルに関係なく一聴の価値はあると思います。しかし、日本語で書かれた情報があまりにも少ないので、この記事を書こうと思いました。幸いにもアメリカでは既に注目され始めているようで、Wikipediaやインタビューが充実しています。この記事は、それらを参考にして書きました。最下部に参考資料としてまとめたので興味を持ったオタクは是非読んでみてください。

 

今年アルバムが出ましたが、ベストアルバム入り間違いなしです。(←入れました

今年聴いた音楽ベスト+ベストアルバム2018 - 捏造日記

I Don't Care Today (Angels & Demons in Lo?-?fi) [Explicit]

I Don't Care Today (Angels & Demons in Lo?-?fi) [Explicit]

 

 

まず始めにMonoNeon の面白さを箇条書きにします。

 

・名前の通り全身蛍光色

・コード進行が激ムズで有名なSteely Danの曲を平気で弾きこなす

・D'Anjelo や J Dilla が開発した現代的な“ヨレたビート”を出せる

・変態系ジャズ・フュージョン系ギタリストの大家David Fiuczynski*2と活動

微分音(以下で解説)を鳴らせるベースを使った演奏をする

・Princeの生前最後のベーシストとして選ばれていた

シュールレアリスムダダイズムミニマリズムアメリカ抽象表現主義など、芸術から大きな影響を受けている(Ellsworth Kelly・Frank Stella ・René François Ghislain Magritte・Marcel Duchamp・Mark Rothko・ Jackson Pollock・ Salvador Dali・Max Ernst などを好むようです)

 

最後に彼のインタビューからの抜粋です。

 

One of my primary goals is to possibly combine the sounds of John Cage and Mavis Staples, Iannis Xenakis and Bobby Womack, and Stockhausen and Albert King, etc. in my bass playing and compositions.

MonoNeon 

僕の最重要目標の一つは、作曲やベースの演奏の中で、ジョン・ケージ(現代音楽の伝説)、メイヴィス・ステイプルズ(R&B・ゴスペル歌手)、クセナキス(著名な現代音楽家)、ボビーウーマック(ソウル・R&Bの凄い人)、シュトックハウゼン(世界初の電子音楽作曲家)、アルバート・キング(伝説のブルースギタリスト)の音を可能な限り組み合わせることだ。

Interview with Dywane ‘Mononeon’ Thomas Jr by Kilian Duarte

 

 上に名前が出てきたミュージシャンや芸術家を知っていれば知っているほど、ワクワクすると思います。これで面白くないミュージシャンであるはずがないです。

 

経歴 +小話

 以下にWikiやインタビューから得た彼の情報を箇条書きにします。

 

・MonoNeonの本名は、Dywane Thomas Jr.

・1990年の8月にメンフィスで生まれた。

・Ne-Yo の4枚目のアルバム『Libra Scale』に参加している。(どの曲かは不明)

 ・音楽家の家庭に育ち、4歳からベースを弾いている。父親はベーシスト、祖父はジャズピアニスト

 ・小さい頃は、音楽のレッスンとは無縁だった。

・教会のピアニスト(オルガニスト)から音楽的に多くのことを学んだ

 ・11歳〜12歳頃 The Bar-Kays と共に、14歳の頃には、South Soul Rhythm Section で演奏活動をしていた。South Soul というのは、メンフィスにある Stax Music Academy という夏期講習などを通じて音楽教育を行っている学校に通う若者たちで結成されたグループ。

 ・Berklee音楽学校 に入学し、そこに勤めるDavid Fiuczynskiと共演。Berkleeを出た(恐らく自主退学)2010年には、David FiuczynskiとロサンゼルスのBaked Potato*3で活動。

・若過ぎてあまり輪に入れず、Berkleeでの生活は楽しくなかったらしい。本人曰く、人間を磨く時期だったとのこと(音楽的に学ぶことはなかったということか…?)。この時期に蛍光色の服を着るようになった。

・右利きだが、右利き用のベースを逆さに持って左手でベースを弾く。特に意識することなく4歳の頃からこのスタイルで弾き始めたらしく、普通には弾けない。強いベンド(チョーキング)ができるため本人は気に入っている様子。

 ・Marcus Miller はベースマガジンでのインタビューで、MonoNeonのベースは、サザンソウル・ブルース・ファンクの影響があると指摘。

 ・Microtonalityに興味を持ったきっかけはDavid Fiuczynski。

 ・ギターも弾ける。微分音の鳴らせるギターも弾く。

 ・2015年にPrinceがMonoNeonをネットで発見し、Paisley Parkに誘った。そして、Judith Hill*4のために作ったバンドのベーシストとしてMonoNeonは働き始め、後にPrinceのバンドでもベースを弾くようになった。

・Prince との面白いエピソードは、ある日スタジオで、MonoNeonが携帯触っているとPrinceに「僕は携帯アレルギーだからそれを外に置いてきてくれないか」と言われたこと。

・Princeとのセッションでリリースされているものはこれのみ。

Ruff Enuff / MonoNeon


Pete Rock は、MonoNeonのファン。ニューヨークのBlueNoteで共演したらしい。

 

MonoNeonの音楽

これを聴けば彼の凄まじさがわかります。

収録されているのはこちらのアルバム。ブラックミュージックと現代音楽を融合させたいという彼の意思が端的に現れた衝撃的なタイトルです。

John Cage On Soul Train

John Cage On Soul Train

 

解説するまでもなく“なんか凄い”と伝わったはずです。彼は、半音をさらに細かくした音(微分音)に対応したベースを弾いています。簡単に説明すると、一般的な五線譜の記譜法では表記できない音の出せるベースです。12平均律という西洋ポピュラーミュージックの根本の破壊と拡張を試みています。余談ですが、これは稀代の天才Jacob Collier にも共通する点です。

 

徹底してMonoNeon です。奇怪なイントロは、微分音のせいでしょう。

再生数が4万回程度と少なすぎます。人類の損失です。(2018年4月27日現在)

 

収録アルバムはこれです。

Selfie Quickie 2wooo

Selfie Quickie 2wooo

 

 音源は挙げて行くとキリがないのでこのあたりにしておきます。

 

彼のライフワークも紹介しておきます。

この動画のように人の声に楽器音を当てる動画をMonoNeonはよくあげています(大量で飽きる)。音楽的ではない話し声からメロディやグルーヴを見つけ出すのは難しく、何テイクも録り直すらしいです。

 

 

MonoNeonを初めて聴いた時、Chris Dave、Mark Juliana、Jacob Collier を聴いた時と似た衝撃を受けました。「ああ、人類はここまで到達したのか…」という感じです。 上に挙げたミュージシャンと同様に、MonoNeon も既存の手法に頼るだけではなく、自分で音楽の可能性を拡張しようとしていることがよくわかります。その方法のひとつが微分音なのでしょう。MonoNeonと同じく新世代で、彼に負けず劣らずの才能を持つJacob Collierも微分音の使い手です。ポップに聞こえる音の中に微分音を混ぜる手法が巧みです。5分30秒あたりからゾクゾクしませんか?

楽譜に落とし込んだ人はいかれてる。

偶然にも同時期に現れたMonoNeonやJacob Collierという西洋音楽界きっての2人の天才が、12平均律の呪縛を打破しようとしていることは非常に興味深いです。シェーンベルクの12音技法のような難解な手法は一般化しませんでしたが、微分音が一般化する時代が到来すればとても面白そうです。

そういえば、少し前に、西洋音楽DTMの普及の影響で世界中の音楽が12平均律化しているという記述を目にしました。それを思うと、今こそ、非12平均律に基づく音楽の魅力が発見されるべき時代なのかもしれません。

 

 

参考資料

Dywane Thomas Jr. - Wikipedia

 

Interview with Dywane ‘Mononeon’ Thomas Jr by Kilian Duarte

 

http://blog.kexp.org/2016/05/06/interview-with-bassist-mononeon-one-of-the-last-people-to-play-with-prince/

 

Guitarist MonoNeon On Missing Prince, Being Inspired By Cardi B & More [Interview]

*1:個人的にはもう既に変えたと思ってます

*2:上原ひろみの『Time Control』のギタリストと言えば馴染みがあるかも

*3:LAで非常に有名なジャズやフュージョン系の人がライヴをするクラブ

*4:This is it』 でMichael とデュエットしてる女性、『バックコーラスの歌姫たち』にも出演してる。

アニソンとの格闘と出会い

 

音楽オタクを自称するのであれば、安易な洋楽オタクに堕落するのではなく、洋楽・邦楽・時代などの要素に左右されず、あらゆる素晴らしき音楽を探求し愛でるのが正しい音楽オタクの正しい姿勢だと思っています。

 

ただ、正直言ってアニソンには抵抗があったことは確かです。深夜アニメでよく目にする露骨なパンチラ的描写に抵抗を感じたからかもしれません。さらに、「アニソンは作品と関連させて楽しまなければならない」という強烈な思い込みも働いて、アニソンをいわば食わず嫌いするような状態が続いていました。(一応、渋谷系のミュージシャンが最近のアニソン界隈で活躍している程度の知識はありました)

 

そんな私のアニソンに対する誤解が完全に解いてくれたのは「もってけ!セーラーふく」です。サビで合唱することから日本のアイドル文化的な要素を感じることができましたが、曲のルーツが見えませんでした。後に電波ソングの文脈に位置付けられることを知りましたが、当時はMOSAIC.WAVの名前くらいしか知りませんでした。ちなみに、この場合の「ルーツが見えない」は最高の褒め言葉です。

 

 

ヒップホップとは異なる文脈のラップ、意味不明な歌詞、強烈なスラップベース、やたらに早いテンポ、Stutterを使ってエディットされたような声、30秒近い混沌とした間奏など、あまりにも型破りだと思いました。この作品が売れたのは、奇跡だと思います。「もってけ!セーラーふく」は邦楽史上屈指の名曲と確信しました。オリジナリティと作品の質を高いレベルで両立させることは本当に難しいことです。

 

自分が今まで避けてきたアニソンの実態は、作品の世界観という制限を受けながら強烈な個性を発揮する職業作曲家の戦場でした。アニソンというジャンルの中では、もはやサビをポップにしさえすれば何でもありかのような異種格闘技的ミュータントが次々に生産されていたことに気付きました。アニソンは既存のポップ・ミュージックとは違う文脈に位置しており、それ自体で十分注目されるべき音楽だと実感しました。もし自分が日本の音楽の教科書を作ることになれば、2000年代の代表曲として間違いなく「もってけ!セーラーふく」を収録します。

 

少しだけ個人的な話。

色々と聴いてきた方だとは思いますが、メジャーな邦楽どころではBUMP OF CHICKENアジアンカンフージェネレーションなど、メジャー洋楽どころではニルヴァーナレッチリ、マイナーな洋楽どころでは海外インディやビートミュージックを模倣したような音楽を聴くのには飽き飽きしていました。(もちろん、全てが粗悪だとは思っていません)そんな状態に思えたので、最近の日本のミュージシャンを避けてきました。

 

閑話休題

 

聴けばわかるとは思いますが、アニソンはポップ・ミュージックの限界に挑戦している曲がいくつもあります。アニソンは一つの曲の中に必ずいくつかのギミックがあります。フュージョンのようなキメは勿論、同一曲内で意図的にBPMを動かしているものもあります。複雑怪奇なコード進行も頻繁に耳にします。アニソン界隈では、常識はずれのカオスが個性として認められている感じがします。もはや、ポップ・ミュージックのフォーマットでいかに型を破るかを競っているような気さえします。

 

アニソンに関してはニワカ中のニワカですが、気に入ったものをいくつか紹介します。

 

ハレ晴レユカイ」は、代表的なアニソンだと思います。ファンクでよく耳にするダサい(褒め言葉)キーボードにポップなメロディと侮っていたらコード進行の難しさに泣かされます。サビ終わりの「でしょ でしょ」のキメが楽曲のフック。


 

アニソン界の伝説、神前暁御大の作品です。

恋愛サーキュレーション」は代表曲のひとつと言っても良いはずです。

歌うようにラップすることをヒップホップ界隈ではフロウと呼びますが、Aメロは見事なフロウと言って良いでしょう。神前暁の職業作曲家としての作曲の幅には感心させられます。

 

 

 

田中秀和は、神前暁に憧れてアニソンの作曲家を志したそうです。「PUNCH☆MIND☆HAPPINESS」は完全にイかれてます。(褒めてます)

ここまでBPMを早くする必要があるのでしょうか?(褒めてます)

 

 

サビでBPMが落ちる変態的な曲。

BPMを落とすこと自体は無理ではないとは思いますが、元のBPMに戻す過程が変態的です。間奏のギターも変態です。

作曲者の広川恵一は、神前暁の弟子らしいです。

 

 

変わり種では「めざせポケモンマスター」も名曲。

幼い頃の記憶とは違ってきこえると思います。

イントロのカッティング、ギターのワウ、8分裏のアクセントを意識したメロディなど、ファンキーで良質なポップです。加えて、間奏後のコーラスワークが謎です。

これが正しいJ-Popの姿だと思います。

 

 

アニソンは、作品から切り離したとしても純粋に音楽としても鑑賞に十分耐え得るものばかりなので、アニメオタクに専有させるには非常に惜しい宝の山です。

 

個人的な話を少しすると、アニソンを収集するためにツタヤディスカスに登録しました。SpotifyApple Music にはアニソンがほとんどないからです。とりあえず、神前暁が手がけた作品のいくつか、『あんハピ♪』、『這いよれ! ニャル子さん』、『灼熱の卓球娘』などを予約しました。

 

アニメには疎いので良いものがあれば教えて欲しいです。 

日々の色々1

最近、とても尊敬している方に「いろいろと発信してみると良いよ?」と言われたので、もう少し積極的にブログを更新する気になりました。

 

最近は、飯田先生の『言語哲学大全1』を読んでいます。

門外漢でも安心して現代哲学の議論を追体験できる(ような気がする?)のでどんな方にもオススメです。比較的硬めの文章ですが、飯田先生がユーモアをいかんなく発揮されていて笑える箇所も多いです。最初は1冊の予定だった本が、3分冊になってしまった話の辺りはニヤニヤしながら読みました。

 

せっかくなので少し中身の話をしましょう。

言語哲学大全1』の導入部分で、現代哲学と言語哲学の関係を簡単に説明してくれます。ざっくり言うと、哲学は様々な概念を用いて議論を進める中で「概念とはそもそも何か?」という問題に直面したようです。そして、概念について深掘りした結果、概念を規定する機能をもつ「言語とは何か?」を考えることが必要となり、その言語を熱心に研究したのがフレーゲラッセルでしたというような具合です。それに続くかたちで、実際の言語を分析する為に統語論や意味論の話に移行していきますが、長くなるので割愛します。

 

言語という極めて身近な対象を科学的に分析することが哲学に繋がる言語哲学は何とも魅力的です。

 

今まで幾つかの哲学書を読んできましたが「哲学と文学の違いは?」と考えた結果、あまり良い考えには至れませんでした。「それの証拠は何?」と追求してゆくと容易に哲学における理論のようなものが瓦解してしまうように見えたからです。例えば、デカルトの『方法序説』はとても良い本で何度も読み返しましたが、有名な「我思うゆえに我あり」の根拠となる部分は“神頼み”のようで消化不良の感が否めませんでした。

所謂フランス現代思想の文章を読んだ時にも「こんな文学的に哲学ができるのか…」と感動しましたが、「でも、それは哲学の領域においてすべきことなのか?」と考えると、何とも言えない気持ちになりました。

 

他方、言語哲学は“言語分析を通じて科学的に哲学できる”と言えば良いでしょうか、研究対象が明確かつ研究結果の真偽判定可能なように思います。なので、従来の哲学にいかがわしさを感じている人への処方箋として言語哲学は良いのかもしれません。

 

 

全く関係ありませんが上手い落とし所を見つけられないので、昨日見かけたWilliam James の発言の抜粋で今回は終わりです。

 

the greatest discovery of my generation is that a human being can alter his life by altering his attitudes.William James