経過観察20210615 時には趣味の話を
あまりに不定期なブログだが、遠方にいる数少ない友人たちに向けた生存報告としてもこのブログは継続しようと思っている。
我ながら人と仲良くすることに関しては、天賦の才に恵まれたと思っているが、積極的に仲良くしたい人はほとんどいない状態が長く続いていた。しかし、就職と上京に際してオープンな自分に挑戦してみたところ、今まで自分が仲良くしてきた人たちとは全く毛色の違う知り合い(友人?)が3人ほどできた。性格的にはとても良い人たちで、プライベートで旅行に誘われる程度には仲良くしているが、趣味の話はほとんどしない。いや、したくないと言った方が正しい。時折、彼らと一緒にいる時の自分がまるで自分でないかのように感じることがある。それを「これも自分」と肯定的に捉えるか、それとも典型的な社会への迎合と否定的に捉えるかは悩みどころだが、「自分探し」に耽溺することほどの害悪はないので、しばらくは流れに委ねてみようと思っている。
2週間ほど前に印象的な出来事があった。先述の3人のうちの1人と、偶然2人で過ごす時間があった。彼女は社会的にとても目立った特徴を幾つ持っている。これからその特徴を少し書いてみようと思うが、嘘と思われても仕方がないと思う。それほどまでに彼女は目立っている。彼女は、すれ違う人たちが性別に関係なく振り返るレベル美人(今まで自分てが見てきた人のなかで一番かもしれない)で、幼少期のバレエ経験から姿勢は常に美しく、日本伝統文化にも通じており、先鋭的なファッションに身を包んでいる。さらに、性格は控えめで言葉使いも美しく、泣き言や悪口は決して口にしない。属性的には、それだけでもお腹いっぱいなのだが、某超高層マンションの最上階で生活している令嬢でもある。それらに加え、本人は自分が特別であることを自覚しておらず、常に謙遜ばかりするというおまけまで付いている。とにかく実在感のない人だ。
彼女の特徴は程々に話を戻す。2人で話す時間があった。突然、「どうして〇〇君は趣味の話をしないんですか?」と聞かれた。少し困惑したものの「趣味へのこだわりが強くなり、日常的に趣味の話がしづらくなったから」と素直に返答した。そこで話が終わるかと思ったが、「それでも何か好きなものを教えてもらえますか」とのことだった。
とはいえ、『鬼滅の刃』を読み、YOASOBIを聴いている人に自分の趣味を一方的に押し付けるわけにもいかず、一先ず、聞きやすそうなCornelius「あなたがいるなら」を紹介してみた。意外にも彼女の反応は「これ好きです」だった。
続いて、シンガーソングライターが好きとのことだったので青葉市子を紹介した。「休日にお風呂で聴きたいです」とのことだった。
他にファッションが好きな彼女に合わせてSt.Vincentを紹介したが、反応はとても良く、後日「この曲、気に入りました^^」(原文ママ)と連絡があり、このリンクが併記されていた。
他人の反応は全く予想できない。自分は、趣味の話を避ける必要はなかったのかもしれない。ごく限られた知人・友人に対してくらいは、思うままに話をしてみても良いだろうか。しかし、ぬるい相互承認を目的としたコミュニケーションには興味がない。「自分如きが」という思いはあるものの、趣味は自分にとってある種の聖域なので、全く好きではないものを「良いですね」と口にするようなことは許されない。この反社会的で非建設的なこだわりは捨てた方が良いのかもしれないが、聖域のある人生とない人生のどちらかを選べと言われれば、迷いなく前者を選ぶ。そして、その聖域における自分の全ての振る舞いは、聖か俗のどちらかに分類されることになるため、当然嘘は許されない。とはいえ、聖域を守りながら趣味の合わない「友人」と友好的な関係を維持することは可能なのだろうか。
思考がまとまりそうもない。ただ、文章化してみて思うが、全くもって窮屈な考え方だとは思う。