捏造日記

電脳与太話

音楽との距離感と知覚の限界

300日近くブログを更新していなかったようですが、何やら今月のアクセス数が100を超えたというお知らせを見て驚きました。今は、世間との接点が少ない生活を送っているので、もし何らかの形で“誰か”に貢献できているのであれば、とても嬉しいことです。

 

今年は音楽からうまく距離を置くことができた一年でした。

数年ほど前までは音楽情報を追うことに必死になり過ぎていて、肝心の自分の生活が疎かになっていたように思います。人生を捧げて、「誰かの作品鑑賞」に終始することは、心中的美しさがありますが、私にはあまり馴染みませんでした。今のところ、私にとっての適切な距離感は、あくまで自分自身が中心にいて、その多少の刺激となる程度がちょうど良いようです。

音楽に限らず、趣味との距離感は大変難しい問題だと思いますが、多くの人が心地よいところを見つけられると少しだけ世界が平和になりそうな気がします。「オタク」界隈では知識量が尺度として幅を利かせていることが少なくないですが、そうした客観的に量りやすいもの以外の価値がもう少し認められるようになれば良いと思います。もう少し多様な尺度が共有され、それらを相互に認め合えるようになれば、色々な事柄がより面白くなるように思います。

 

話題は変わりますが、今年読んだ本の中では、ユクスキュルの『生物から見た世界』がとても面白かったです。人は、人との類似度から「知性」を測ろうとしがちですが、人以外の生物がどのように世界を認識しているかを知れば、人間中心の「知性」という言葉が如何に現実に即していないかを知ることができます。進化の末に生物が獲得したそれぞれの特徴・特性は、人間の知覚を遥かに超えたところで機能していることが多々あります。人は最大20kHzまでの音しか知覚できませんが、オオハチミツガは、最大300kHzまでの音を知覚することができます。一体、どのように音を聴いているのでしょうか。そんなことを考えると少しワクワクしませんか?

もし、我々が、オオハチミツガ並の聴覚を手に入れることができたならば、今賞賛されている作品群をより素晴らしく、場合によっては陳腐に感じたりするのでしょうか。それと同様に、より良い目を獲得したのであれば、「ピカソは塗りが甘い」と感じるのでしょうか。当然のように、備えた感覚器官を前提として物事を考えてきた自分を少し反省させられました。