捏造日記

電脳与太話

最近の読書と感想

たまには読書記録でも。

 

『ポピュラー音楽の世紀』中村とうよう

消化中。涵養にはもう少し時間がかかる。

「オリジナルとは何か」「文化とは何か」といった視点を揺さぶられる好著。宗主国に押し付けられた音楽を従属国が逞しく消化・アレンジし、新たな音楽を発明する流れがとても面白い。筆致は丁寧だが、その底流に怒りがあることは明らかで、著者が植民地主義や文化盗用に対して徹底して批判的で、アメリカを中心としたポピュラーミュージックの商売事情に鋭く切り込む様が印象的だった。理性的表現を通じて感情に訴えかける作品に外れはない。本書は紛れもなくその要件を満たしている。

ポピュラー音楽の世紀 (岩波新書)

ポピュラー音楽の世紀 (岩波新書)

 

 

『SPEED攻略10日間 国語 文学史

きっかけは忘れたが、源氏物語に興味が出たので、その流れで購入。浅学な私は文学史を勉強した経験がないので10日で終わらせることができなかった。世界文学史のようなものが無かったことが残念。『オデュッセイア 』や『ギルガメッシュ叙事詩』でも読んでみようかと考えている。紀伊国屋書店で『ギリシャ・ラテン文学 ——韻文の系譜をたどる15章』という本を見つけたのでそちらでも良い気がしている。ただ、かなり硬派な感じがしたので手を出すと火傷しそうではある。

SPEED攻略10日間 国語 文学史

SPEED攻略10日間 国語 文学史

 

 

 『壁』安部公房

積読となっていた。『砂の女』のようなものを予想したので驚いた。感想を言語化できる類の作品ではないと思う。夢のような展開のために捉えどころがなく、喜劇的にも悲劇的にも読むことができる。

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

 

 

『 創作の極意と掟』 筒井康隆

今敏に興味を持ったところからの繋がりで購入。著者の作品は読んだことがないが、想像以上に実験的な作家であることがよくわかった。

作品の迫力を生み出す「色気」の背景にあるものは「死」であるという考察には膝を打った。つまらない作品に共通する要素についても面白おかしく書いているので、その辺りも読んでいて痛快だった。

創作の極意と掟 (講談社文庫)

創作の極意と掟 (講談社文庫)

 

『着想の技術』 筒井康隆

同上。

着想の技術(新潮文庫)

着想の技術(新潮文庫)

 

 

 『出発点-1979-1996』宮崎駿

偶然目にした『千と千尋の神隠し』から興味を持って購入。動く絵の面白さから宮崎駿作品を享楽的に楽しんでいる人たちとは正反対とも言える宮崎の人生観・作品観が綴られている。宮崎駿作品は紙一重のところで世界を肯定しているが、その裏で現代的生活への懐疑と批判がたっぷりと込められている。

また、宮崎作品には、人類の肯定と否定という対立した二項の一方に与するのではなく、対立をそのままで共存させる特徴があると気付いた。一見肌触りの良い『魔女の宅急便』などの作品でも、宮崎が記した作品のテーマについて読めば、現実世界を観察する宮崎の眼差しがいかに厳しいかがわかる。その徹底した観察と懐疑の過程で微かに掬い上げられた「肯定的な何か」が宮崎作品の魅力である。そしてそれは、詳細は割愛するが、作風が全く異なる宮崎最大のライバル、高畑勲作品との共通項でもある。

出発点―1979~1996

出発点―1979~1996

 

 

『木を植えた男を読む』高畑勲

宮崎駿を知るとなると、高畑勲の存在を無視できなかった。稀代の大天才として知られる宮崎と比較して高畑の評価は低いと言わざるを得ない。その高畑勲に非常に大きな影響を与えたのが『木を植えた男』*1のアニメーションを制作したフレデリック・バックである。当初、その影響は精神的なものにとどまっていたが、『ホーホケキョ となりの山田くん』以降の作品においては描法についても絶大な影響を与えるに至った。輪郭のはっきりした線を残す実線主義を脱却し、生き生きとしたスケッチ風の描法を用いた新たな表現方法を確立した。高畑の遺作『かぐや姫の物語』の予告編をみるだけでも十分にその革新性がわかる。

木を植えた男を読む

木を植えた男を読む

 

 


『映画を作りながら考えたこと』高畑勲

まず、高畑勲東京大学在学中に執筆した映画音楽評で度肝を抜かれる。黒澤明作品であろうと、世間の目ではなく、自分の観察眼を第一に冷静に評価しようとする姿勢に共感を覚えた。今やジブリ作品の音楽の代名詞とも言える久石譲だが、ジブリ以前に目立った活躍があったわけではなかった。高畑はその久石を見出した。ジブリ作品の音楽の質は高畑勲によって担保されていたと言っても過言ではない。

優れたクリエイターに完璧主義的性格はつきものだが、高畑の完璧主義は群を抜いている。徹底した時代考証は当然のように行う。さらに、「その作品が表現するに足りうるものであるか」を常に自問し、古今東西の芸術作品のリサーチを参考にしながら自らの作品に相応しい表現方法を模索する。当然、スケジュールに間に合うはずがない。高畑は、関わった作品のほとんど全てのスケジュールを遅らせたという。現代のピラミッド建築とも言えるような途方も無い作業である。その過程では、稀代の天才たちも奴隷のような労働を強いられる。その末に作品が出来上がるのだから、完成度は言うまでもない。高畑は仕事に関しては非人間的だが、彼の描く作品像が引く手数多の天才たちを惹きつけるだけの魅力を持っていたのは確かだろう。

極めて高いレベルの評論家気質と芸術家気質を併せ持つクリエイターは極めて稀だが、高畑勲は間違いなくその1人だろう。評論家気質のみが強いクリエイターは自らの厳しい評論眼に自作を酷評されて自信喪失する。一方、芸術家気質のみが強いクリエイターは、ごく稀に独自の表現を確立することもあるが、評論家気質の不足による自己批判の不足により凡庸になりがちである。 

映画を作りながら考えたこと

映画を作りながら考えたこと

 

 

 『地球環境の事件簿』石弘之

「このまま行けば地球、少なくとも人類はもう終わるな」ということを客観的に示してくれる本。ソマリアの海賊について書かれた章が特に印象に残った。まともに漁をするよりも海賊をする方が儲かるので海賊が幅を効かせるようになり、それに伴う人質解放交渉ビジネスの誕生、無法地帯と化した領海で他国の漁船による乱獲など、混沌としている模様。やはり原因は貧困にあるのだが、「先進国」からの支援で船が与えられても海賊船に魔改造するため全く意味をなしていないどころか状況を悪化させるだけとのこと。さらに、ソマリアは「先進国」との間に有毒化学物質を含む産業廃棄物の投棄契約を結んでいるらしく、海に投棄されたそれら廃棄物のせいで海の汚染が加速している。あ、ちなみに違法に乱獲された水産物は当然のごとく日本にも輸出されている。どこを切り取っても絶望的で読んでいると厭世的な気分になる。

地球環境の事件簿 (岩波科学ライブラリー 170)

地球環境の事件簿 (岩波科学ライブラリー 170)

 

 

 『雨の科学』 武田 喬男

講談社Twitterを見てメモしていたもの。講談社学術文庫ではよくあることだが、適当に流し読みできる類の本ではない。著者が晩年に病床でしたためた著書らしく、無菌室に入れられた著者が消毒された原稿用紙1枚1枚丁寧に書き記したとのこと。それを思い出すたびに流し読みの抵抗感が増して非常に困っている。

雨の科学 (講談社学術文庫)

雨の科学 (講談社学術文庫)

 

 

 

*1:原作はジャン・ジオノ