捏造日記

電脳与太話

ラキムのリリック

ラキムの日本語wikiの誤訳(解説?)が中々に酷いと思った。

「ドント・スウェット・ザ・テクニック」のリリックには、『科学者たちは本質を見出そうとしている。哲学者たちは未来を予測しようとしている。そのために、連中は研究室に篭りっきりだ。しかしやつらは、それを呑み込めなかったし、そうする資格も持っていなかった。自分の思想は、自分の音楽を聴く者たちのためにある。さらに自分に反対する人々のためにある。すぐに受け入れられるようなものではない』

ラキム (2019年7月現在)

 

これが恐らく上の訳の箇所のリリック。

They wanna know how many rhymes have I ripped and wrecked

But researchers never found all the pieces yet

Scientists try to solve the context

Philosophers are wondering what's next

Pieces are took to labs to observe them

They couldn't absorb them, they didn't deserve them

My ideas are only for the audience's ears

 

上の日本語訳には「本質」という言葉が出てくるが、そのような表現はない。「連中は研究室に籠もりっきりだ」に対応する表現もない。全体を通して、安っぽい科学者叩きのような印象を受ける。

原文に対応した自分の解釈では、ラキムは、リリックを仔細に分析しようとする科学者を揶揄することで、自身の音楽に「科学的」には分析され得ない“何かが”隠されていることを仄めかしているのだと思う。

 

そうすると、上のリリックに続く部分を綺麗に解釈できる。

Letters put together from a key to chords

I'm also a sculpture, formed with structure

恐らく、この文脈のkey は鍵盤を意味している。鍵盤を同時に2つ以上叩くと和音が生まれる。それを比喩的に用いて、文字の組み合わせが生み出す和音について述べている。そして、それに続く「構造のもとに誕生した彫刻」という表現は、まるでプラトンイデア論を想起させる。言葉の和音がまるで人知を超えた存在であることを匂わせる。もしかすると、ラキムが科学者や哲学者を嘲笑った理由は、彼らが「神の創造物(=言葉の和音)」を強引に人間界の文脈に押し込んで理解しようとしているからなのかもしれない。示唆に富む非常に美しいリリックだと思う。

制限・自由・内田裕也

彼女との生存確認程度のLINEを除けば、ここ1週間~2週間くらいは無言で生活する日がほとんどだった。社会的には間違いなく「おしゃべりな人」という印象をもたれていると思うが、昔から過剰接続を忌避しているきらいはある。だから、高校生の頃と変わらず同じガラケーを使っている。連絡が必要などの特別な用事がない限り、外出時に携帯を持ち歩くこともない。

 

今は、自分の足場を固める作業に集中している。音楽に集中したい気持ちは山々だが、集中するための足場を確保する必要がある。そんな事情で現在は、批判意識の薄い知っている音楽を垂れ流すだけの音楽愛好家と化している。同時代的な「新しい」音楽の発見は明らかに減ったが、新しいもの探し競争に参加する気も起きないので、これで良いと思っている。音楽に限らず、人が何かを際限なく消費しようとする姿は美しくない。無限に等しいリソースが安価に手に入る時代だが、自分の感覚はそれと逆行していて、制限の多い時代の素晴らしさを感じている。

昔は「制限」と聞くと不自由さを連想していたが、制限と美しさの関係性に気付いてからは、制限を肯定的に捉えるようになった。例えば、丁寧に刈りそろえられた芝は長さの制限をかけられている。楽器は音程の制限をかけられている。ヒップホップは、韻という言語的制限と、サンプリングという音楽的制限に美を見出した。どちらかと言えば、モノ的な例をあげたが、それは観念的な対象に抱く美しさの根底にも確かに制限がある。自らの欲望に制限をかけることなく、次から次に肉体関係を結ぶ女性は「尻軽」として軽蔑される。逆に、一途、添い遂げるなど、強い愛情を表す表現の根底には強い制限がある。愛情を「“特定”の誰かに対する“特別”な想い」と定義すると、愛情の定義にふたつもの制限が隠れていることがわかる。つまり、制限のない愛情は存在しない。そのままでは混沌としている世界に補助線を引き、制限をかけることで美しさが立ち昇る。したがって、その観点からすれば、先に触れた「際限ない消費意欲」と「無限に等しいリソース」の組み合わせが無制限そのもので、美しさと対極にあることがよくわかる。

 

自由な時代を生きる人々は、「しぇけなべいべー」と前時代的な台詞を連呼する内田裕也の不自由さを笑ったが、その不自由さは、彼が自らの人生に課したロックンロールという制限の現れだった。晩年の内田裕也は、車椅子に座りながらロックンロールの不自由を謳歌してみせた。そこには「自由こそが至上の喜びである」と妄信する人々には理解できない制限の美しさがあった。今更ながら、大学生時代に私淑していた先生の「何でもありは自由ではない」という言葉の意味を噛み締めている。家族や友人が目の前にいるにもかかわらず無意識にスマホに手が伸び、SNSまとめサイトを逐一チェックする現代人と、ロックンロールの殉教者、どちらが真に自由だろうか。今の私の気分は、内田裕也に傾いている。

 

 

しぇけなべいべー!

最近のこと

SNSアカウントを消した。日々の発見をノートにまとめていて、そのアウトプットの場として活用していたが、負の面が多いと感じたので消した。改善可能な悪癖は可及的速やかに排除すべしの精神に従った。暇つぶしにしては退屈で、有益な情報を得るにはノイズが多すぎた。SNSをやめて、読書、勉強、楽器の練習ばかりしていると視野が狭まるかもしれないが、リアルで積極的に行動すれば解決すると思われる。勿論、全てが悪だったという訳ではなく、多言語を理解し、熱心に数学や古典文学を勉強している中学生には感銘を受けた。半可通や“出来てしまう人”に見られる衒学趣味なども全くなく、素朴な学びを途方もなく積み重ね続ける彼の姿勢には頭が下がる。ふと思い出したが、半年ほど前、彼もSNSアカウントを消していた。

 

主に音楽と数学の情報を得ていたが、音楽に関してはコミュニティ独特の空気感が肌に合わなかった。悪気はないとしても、調べたら明らかに誤りとわかることを(悪気はなくとも)事実であるかのようにツイートする人たちと、それを支持する人たちの構造を見ていられなかった。浅学な自分から見ても、まともに音楽を勉強したことがないであろうことがわかる人たちが、“それっぽく”振舞っていて、「違うだろjk(死語)」と思うことが多かった。それ系の人たちは色々な話題に噛み付いているのだが、健全な議論のために押さえておくべきことへの理解が不足していると感じた。

 

例えば、古い日本の曲の分析に対して「古い日本の音楽は平均律に基づいて分析しても意味がない」と批判している人がいたが、彼(彼女)は、「中全音律を用いて作曲されたモーツァルトの曲を平均律に基づいて分析することに意味がないのか」という問いに答えるべきだと思う。確かに完璧に分析するのであれば、モーツァルトの使用していた調律に合わせて分析をすることが必要だが、現状、そのような分析は一般的とは言えない。異なる調律も用いて分析することで失われるものはあるが、保たれる要素も多くある。例えば、異なる調律をベースとしたある音とその3度の関係は、確かにズレているが、それを“同じ音”と許容することで同じ理論のもとで扱うことが可能になる。

 

厳密さを求め始めると、基準音についても考えなければならない。A=440hzと定められたのは100年ほど前のことなので、それ以前の曲については440hzに基づかない何らかの理論が必要となる。しかしながら、440hzから1hzでもズレたらそれはAではないと定義する理論は厳密だが、実践的ではない。少なくともメロディの音型を分析するのであれば、基準音を440hzと設定し、平均律に基づいた分析でも“完璧ではないが十分に役に立つ”。

理論は厳密にしすぎると、適用範囲が狭まる。逆に、厳密さを犠牲にすることで“あそび”が生まれ、適用範囲を広げることができる。音楽理論もそれは同じで、“あそび”を持たせることでさまざまな音楽を現代的な音楽理論を使って分析することができるようになる。例えば、楽譜は、ある法則に従って実際の音楽を音符という記号に還元したものなので、実際の音を完全に再現してはいない。つまり、記号化に伴って情報が抜け落ちている。しかし、楽譜は今日でも“完璧ではないが十分に役に立つ”ツールとして絶大な威力を発揮している。

長くなり過ぎたが、“それっぽい”批判をした気になっていた彼(彼女)の発言からは、考察不足と衒学趣味が見て取れたので、とても残念な気持ちになったという話。恐らく、アナライズをした経験さえないと思う。「自分で手を動かしたことあるか」、「代案を出せ」と言いたい。彼(彼女)は、「古い日本の音楽は平均律に基づいていない」という情報をどこかで獲得したのだと思われるが、情報はじっくりと検証しなければ毒になることも多い。良くも悪くも情報は認知を歪める。確かに古い日本の音楽は完全に平均律ではないので、その情報は正しいのだが、そこから「既存の音楽理論の視座から古い日本の音楽を分析することに意味がない」という結論を導くことには論理の飛躍がある。しかしながら、こんな事に遭遇するたびに、その都度マジレスしていたら人生が終わる。謙遜などでは全くなく、自分もまだまだ浅学なので精進しなければ...。個人的に、hz、centレベルで厳密な楽曲分析ということには非常に興味があるが、生きている間に一般化するだろうか。ただ、一部存在していることは確かで、大正時代のある日本の歌手が歌唱の際にある音階のピッチが安定していなかったという論文を読んだ時はとても興奮した。勿論、その論文は現代的な西洋音楽理論をベースとした分析をしていて、それを補完する形でcentレベルの精度で分析していたことは付記しておく。

 

SNS音楽コミュニティには、「××の新作が最高」や「〇〇と△△が友達」などの情報が多く、音楽自体に強く興味がある自分には物足りなかった。自分が求めている曲のアナライズは、主にジャズ界隈では空気レベルで当然に行われていることなのだが、ロックやニッチ音楽界隈となると途端にその情報が減る。「〇〇的なフレーズ」というのは、ジャズ界隈では音楽的語法に基づいて理解されているのだが、ロック界隈では「〇〇的なフレーズ」は印象に基づいた理解がほとんどだと思う。例えばロック界隈で言えば、自分はCocteau Twinsが好みなのだが、Cocteau Twins的なメロディは確かに存在している。Cocteau Twins的な流麗なメロディの鍵は、音の跳躍にある。一般的なメロディは隣り合った音(およそ2度)への跳躍が多いのだが、Cocteau Twinsのメロディは3度~6度の跳躍が多くみられる。それはジャズにも見られる特徴で、音の跳躍という点ではCocteau Twinsはジャズに近いとも言える。そうした分析が見られたらと思ったのだが、ほとんど視界に入ってこなかった。

 

以上のように、ジャンル問わず同じ理論で曲をアナライズできるというのが音楽理論の強みなのだが、ロックやニッチ音楽界隈ではそれがあまり活かされておらず勿体ないとは思う。勿論、アナライズが通用しない曲もある。例えば、原曲の速度を調節することで生成されるVaporwaveの曲は分析したところで、原曲のアナライズと大きな意味の違いがないので、アナライズが通用しない。Vaporwaveは、その手法に着目されるべき芸術様式なのかもしれない。このような例があるので、曲のアナライズで全てがわかる訳ではないのだが、アナライズをすることで見えてくるものがあることも確かなので、自分は「気になった曲はとりあえずアナライズしてみる」という姿勢をとっている。

 

さらっと、愚痴を書くつもりが長くなってしまった。

「杜撰な他人を気にしてると人生終わるから、自分は自分と思った」という話。

 

1週間ほど前にDavid BowieHeros」を分析した。 途中でミクソリディアンにモーダルインターチェンジしていて、「やっぱり彼はロックの人だな」と思った。Aメロがジザメリの「Darklands」は、ほぼ同じメロディで何度聴いても笑える。

 

「平成の音楽でも分析するか」と思って、最近分析したのがYUI。「Heros」と同じモーダルインターチェンジが登場する。YUIはロックに影響を受けたらようなので、自然に身につけたのだと思う。しかし、注目すべきは全くそこではなくて、暴力的な転調が潜んでいること。18歳の少女がカポなしで、キーがD♭で、サビでBに転調する曲を作っていたことに驚いた。Aメロでも部分転調を数回している。

スガシカオ「黄金の月」の解釈について

 先月辺りでしょうか。「黄金の月」を聴いている時、「結局これは何が言いたいのか」が気になって仕方がなくなりました。うんうんと頭を抱えていると、あるヒラメキがありました。家に帰ってそのアイデアを紙に書き出して整理すると、面白いことに気付きました。この記事では、その発見を共有したいと思います。

 スガシカオ(以下:スガ)の代表曲「黄金の月」は歌詞が難解なことで有名(?)です。「黄金の月」をググると、「黄金の月 解釈」が候補としてあがります。実際、明暗がはっきりとしない掴みどころのない歌詞をめぐって様々な解釈があるようです*1。例えば、スガを見出したことで知られるオフィス・オーガスタ社長の森川氏は、「黄金の月」について以下のように綴っています。

「純粋」は少しずつ僕との距離を広げつつあった。僕は自分がずっと否定してきた“あんな大人”ってやつに、実はなってしまったのだ。僕の心の「黄金の月」は消えうせてしまったのだ・・・そんなふうに言い当てられたまま終わるような気がして、歌詞の結末を聴く事を本気で恐れた。だが、「夜空に光る黄金の月などなくても」と締めくくられるフレーズは、そんな僕にとっては救いだった。
黄金の月・・難解な歌詞の解釈 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

「黄金の月」には、森川氏が恐れたような心の奥底をえぐる表現が含まれています。身近な人に聴かせても「難しい」「暗すぎ」といったあまり好意的とは言えない感想をもらうことが多いです。しかし、先の引用からわかるように森川氏は最後に救いを感じたようです。なぜでしょうか。実は、「黄金の月」は複雑に見えますが、その表層を丹念に剥がしてゆくと、意外なメッセージが浮かび上がります。それを理解すれば、森川氏が救いを感じた理由がよくわかると思います。この記事では、とりわけ「スガは『黄金の月』で何を言っているのか」に焦点を当てて、私なりの「黄金の月」の解釈を書きます。論を進めるにあたって、細かい確認が必要な箇所があり、その部分が長くなると思いますが、正確な解釈のためなので許してください。

  では、早速「黄金の月」を解釈に取り掛かります。全文を逐語的に分析することはせず、重要と思われる箇所のみを検討することにします。そうすると「どの部分が重要なのか」という話になりますが、ポップスの歌詞解釈にあたって最も重要な部分は、サビと結論(最後)です。サビと結論は、聴き手が最も惹きつけられる部分であり、作り手が重要なメッセージを込める部分です(勿論、全ての曲に当てはまるわけではない)。今回は、そこに着目して「黄金の月」を考察します。

 まず最初のサビです。極めて初期のスガらしい人間の本質的弱さについての描写です。

大事な言葉を 何度も言おうとして

すいこむ息は ムネの途中でつかえた

どんな言葉で 君に伝えればいい

吐き出す声は いつも途中で途切れた

「黄金の月」サビA  (『Clover』収録)

  2回目のサビも1回目のサビと同じくナイーヴですが、僅かに光を帯びます。しかしながら、「君の願いとぼくのウソをあわせて(中略)キスをしよう」というネガティヴにも取れる“強い”表現もあり、未だに掴みどころがありません。

君の願いと ぼくのウソをあわせて 6月の夜 

永遠をちかうキスをしよう

そして夜空に 黄金の月をえがこう

ぼくにできるだけの 光をあつめて 光をあつめて…

「黄金の月」サビB 

 ブリッジ(最後のサビ前の間奏)を挟んで、3回目(最後)のサビに入ります。2回目のサビで微かな光が差し込んだことから、3回目のサビは徐々に光が強くなることが期待されます。しかし、スガはそれを裏切り、耳を塞ぎたくなるほど非情な現実を躊躇なく羅列し、最後のサビを終えます。果たしてこれがスガの“言いたいこと”なのでしょうか。

ぼくの未来に 光などなくても

誰かがぼくのことを どこかでわらっていても

君のあしたが みにくくゆがんでも

ぼくらが二度と 純粋を手に入れられなくても

「黄金の月」サビC

 いいえ、まだ最後の一節が残っています。アウトロに入る直前、スガは一言だけ付け加えます。「黄金の月」の結論に当たる部分です。

夜空に光る 黄金の月などなくても

 しかし、「黄金の月などなくても」の後は省略されています。スガは、まさに省略のことを指していると思われる発言を残しています。

“こっからここまでは言うけど、こっからここまでは想像して考えてね” 

2枚目シングル「黄金の月」 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~ 

では、最後の省略にはどのようなメッセージが隠されているのかという話になりますが、そこに隠されたメッセージを読み解くには、作詞家としてのスガを知る必要があります。スガは、ヒトの弱さを徹底的に描写しますが、基本的に「明日死んでもいい」のような究極的にネガティヴなことは書きません*2。スガ作品の特徴とも言える極めて人間的でナイーヴな描写は、詩としてのリアリティを追求した結果に過ぎません。彼は一貫して“キズだらけの生”を肯定してきました。少し長いですがスガ本人の言葉を見てみましょう。

何かを変えようっていうつもりで音楽は作ってないですけど、でも誰かの人生を変えるだろうなとは思いますね。それは僕も変えられたし、別にその曲が僕の人生を変えてやろうと思って作られた訳じゃないんでしょうけど。でも誰かの人生に何かの影響を与えるんだろうなとは思ってるので、あんまり無責任なラブ&ピースとかを僕は歌いたくないなといつも思っていて。だから歌詞に関してはある意味すごく拘りをもって書いてはいますね。絶対に影響するから夢物語ばかりは歌えないし、キツイことばかり歌ってりゃいいってもんでもないし。

 黄金の言葉【音楽への向かい方】 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

本当に悲しんでいる人に、気持ちわかるよ・・とか言えないし、無責任に背中を押す事は出来ない。でも絶望だけではなく、光を与えられたらいいと思っている。

黄金の言葉【音楽への向かい方】 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

 以上を踏まえ、スガ作品史上最も暗く売れなかった『Time』の収録曲を例として、実際に歌詞を確認してみましょう。『Time』は本人の「グロエネルギーっていうんですか、もーねぇ……。気がついたらね、アルバムが『真ッ黒』になってました*3」というコメントからも分かる通り、本人公認の重い作品です(余談ですが、この作品の間口の狭さを反省して「午後のパレード」や「Progress」を書くことになります)。

途切れた願いは 消えてしまうのではなくて  

ぼくらはその痛みで 明日を知るのかもしれない   

 

「光の川」(『Time』収録)

   

ねぇ 今日僕たちは それぞれの光を探し 

当たり前のように 明日へと 歩き出します 

「風なぎ」(『Time』収録)

スガの歌詞がナイーヴながらも、究極的にネガティヴではないことが確認できたでしょうか。正直なところ、例が少ないので他の曲についても触れたいですが、長くなりすぎるので割愛します。

 

また、スガが坂口安吾から受けた影響についても少しだけ触れておきます。スガはしばしば『堕落論』からの強い影響を公言していますが、“リアリズムに立脚した地に足のついた優しさ”という点で安吾に影響を受けたのだと思います。もう少し後で述べますが、人間が本性的に堕落する生き物であることを認め、堕落から出発して逆説的に生を肯定する『堕落論』の構造は、「黄金の月」の構造と綺麗に重なります。スガの曲で頻繁に見られる構造です。

人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱ぜいじゃくであり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
「 堕落論」

 

 長くなりましたが下準備はこれで終わりです。 「黄金の月」の最後の省略に話を戻します。その部分を補完するには、先ほど確認した「スガは究極的にネガティヴな歌詞は書かない」という前提が必要になります。その前提に従うと、「夜空に光る 黄金の月などなくても 」の後に省略された言葉は決して“暗いなものではない”ことになります。スガ本人もそれを認めるような発言を残しています。

「ナントカではない」っていう〈否定〉文があったら その〈否定〉文を〈否定〉するからそれを〈肯定〉と取ってねっていうような歌詞の書き方なんですね。

2枚目シングル「黄金の月」 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

もし仮にネガティヴな言葉が隠されていたとすると、この曲のメッセージは極めてネガティヴになります。「夜空に光る 黄金の月などなくても」に続く言葉が、例えば「失ったものは二度と手に入らない」のようになります。非常に後味が悪く、文章としてもかなり不自然です。

 

以上の考察から、私は、最後の省略には「悪いことはない」というメッセージ(言葉)が隠れていると考えます。補完すると以下のようになります。

夜空に光る 黄金の月などなくても

悪いことはない ←補完部分

「黄金の月(補完ver.)」

これを正しいと認めた上で解釈を進めます。このままでも“わからないことはない”のですが、もう少し読みやすく変形します。

まずはじめに、「黄金の月(補完ver.)」を少し違った視点から見ます。「黄金の月がない」という仮定から「悪いことはない」という結論を導いている、つまり「AならばB」として解釈し、以下のように記号化して整理します。詩的な表現も簡明のために一度簡略化します。

  • 「黄金の月がある」をPとします
  • 「悪いことがある」をQとします

さらに、以上の記号を「黄金の月(補完ver.)」に合わせて変形します。

  • 「黄金の月がない」は、not(P)として表現します。
  • 「悪いことがない」は、not(Q)として表現します。

これらの記号を使って「黄金の月(補完ver.)」を表現するとnot(P)ならばnot(Q)となります。記号を言葉に戻すと、「黄金の月がない ならば 悪いことはない」です。言葉の意味が捉えづらいとは思いますが、この意味はさほど重要ではないので、単なる機械的操作として受け入れてください。

 

次に、「not(P)ならばnot(Q)」の待遇*4をとります。対偶は、「AならばB」 と「not(B)ならばnot(A)」は同値を意味します。念のため簡単な例を出しておくと、「ライオンならば動物である」の対偶は「動物でないならばライオンではない」です。見た目が複雑になりますが、対偶を使って「not(P)ならばnot(Q)」変換し、「not(not(Q))ならばnot(not(P))」を導きます。意味を考えると混乱してしまうので、意味を考えないのが大切です。

 

ここで上で引用した「〈否定〉文があったら その〈否定〉文を〈否定〉するからそれを〈肯定〉と取ってね」というスガの言葉を思い出してください。スガの言葉を記号化すると、「not(not(A))ならばA」となります。この「任意の命題の否定の否定は肯定である」は、「二重否定除去則」という古典論理の公理です。そして、「『黄金の月』はその規則を使って解釈して欲しい」と言っています。では、スガの言う通り、「not(not(A))ならばA (二重否定除去則)」を使って、not(not(Q))ならばnot(not(P)) と変形された「黄金の月(補完ver.)」を整理します。難しく見えますが「裏の裏は表」のように考えれば簡単です。not(not(Q))はQと同値で、not(not(P))はPと同値です。したがって、「not(not(Q))ならばnot(not(P)) 」が正しいならば、「QならばP」も正しいことがわかります。

 

機械的操作はこれで終わりです。ここで「QならばP」という結論を得ました。次に記号の並びを読める状態に戻します。

  • 「悪いことがある」をQとします
  • 「黄金の月がある」をPとします

「悪いことがある ならば 黄金の月はある」となります。とても機械的なので多少詩的な表現に変換します。すると、「悪いことがあっても 黄金の月はある」という文が完成します。これが「黄金の月」でスガが“言いたいこと”だと思われます。つまり、「黄金の月」の「夜空に光る 黄金の月などなくても」という結論は決して絶望ではなく、とても遠回りなやり方ではありますが、絶望とは真逆の「黄金の月はある」という希望を歌っている訳です。これを念頭に置いて、最後のサビで見られた不可思議なナイーヴな表現の連続と補完(と変形)した結論をもう一度確認します。 

ぼくの未来に 光などなくても

誰かがぼくのことを どこかでわらっていても

君のあしたが みにくくゆがんでも

ぼくらが二度と 純粋を手に入れられなくても

「黄金の月」サビC

 「補完した結論」と“同じこと”を意味する結論

悪いことがあったとしても

夜空に光る 黄金の月はある

「黄金の月(補完ver.)」の変形

 このように整理すると、サビCの「悪いこと」の羅列は、「そうした悪いことがあっても、黄金の月はある」という結論を導くための伏線だったことがわかります。先に触れた『堕落論』と同じく、非情な現実を羅列した後、逆説的に生を肯定する構造です。

 スガは、夜空に輝く月をメタファーとして、良いことばかりが連続しない(≒時には辛いことがある)生を肯定しています。少し深読みすると、日中には太陽があります。したがって、「日中であるor日中ではない(夜)」のどちらの場合でも問題はない訳です*5。すると「黄金の月」を“生の全肯定”として解釈することもできますが、そこまで大きく解釈するかどうかは読み手次第でしょう。

ただ、「黄金の月」の根底に隠された「夜空に光る黄金の月は“ある”」という何にも代えがたい強烈な肯定が多くの人を惹き付けている、そこだけは確かな気がします。だからこそ、一度は絶望に震えた森川氏の心は救われたのだと思います。

 

この記事を読んでスガに興味を持った人には、最近発売されたこのベスト版をオススメしておきます。比較的良くまとまっています。

フリー・ソウル・スガシカオ

フリー・ソウル・スガシカオ

 

 

もう一枚、買い足すとすれば以下がオススメです。こちらもベスト版ですが、リマスターのおかげで音質が向上しています。「お別れにむけて」、「ぼくたちの日々」、「坂の途中」、「これからむかえにいくよ」など、スガを語る上で外せない曲が補完されます。これ以上求める人は、オリジナルアルバムを1枚ずつ集めるのが良いと思います。

BEST HIT!! SUGA SHIKAO-1997~2002-

BEST HIT!! SUGA SHIKAO-1997~2002-

  

おまけ

この記事ではスガの詩に触れたのみで、音楽に触れることができませんでした。罪滅ぼしにスガシカオの音楽の変遷ついて理解が進むプレイリストを作りました。リリースの時系列順です。いくつかを除いてほぼキーE(ギターとベースの開放弦が使えるファンクの基本!)の曲なのは(半音下げチューニングを使用したと思われるE♭の曲も含まれる)意図的です。理由は、スガのキーEの曲のAメロをワンコード一発で押し通すことが多く、その制約の中で聴かせる曲を作るため、スガが曲にバリエーションを持たせるためにサウンドプロデュースを工夫しているからです。キーEの曲のワンコード部分を比較することで、スガのサウンドプロデュースの変遷がよく掴めます。

 

彼の曲を100曲ほど分析した経験がありますが、詩、メロディ、ハーモニー、リズム、サウンドプロデュースまでを視野に入れた有機的なスガシカオ論を語るにはまだまだ熟成が足らず、しばらくは無理そうです。ただ、全く触れないのは面白くないと思うので少しだけ触れると、例えばスガは、Radioheadの「Creep」などで見られるⅠ-Ⅲのコード進行を極めて好むことが挙げられます。長調の世界には存在しない短調の響きを使用することでスガは長調の曲に陰影を付けます。これはスガの手癖です。

先に書いたように近日中には到底無理ですが、平成日本音楽界の巨人として評価されるべき存在のスガが十分に評価されていない(売れるという意味ではない)現状には多少の不満があるので、いずれ整理しようとは思っています。個人的には、椎名林檎宇多田ヒカルと同等の評価が妥当だと思っています。日本音楽界の巨匠、細野晴臣は、スガの「あまい果実」を以下のように評しています。

「え?5年前の曲?う~ん、世に出すのが早すぎたね・・。」

あまい果実 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

 

他にもバート・バカラック(神)がスガシカオ「正義の味方」を気に入ったという話があります(◎東京ジャズTokyo Jazz (Part 2) ~ルーファスとスガシカオとバカラックとの邂逅 | 吉岡正晴のソウル・サーチン)。巨匠に認められることが、直ちに音楽的に素晴らしいことを意味する訳ではありませんが、参考程度に...。

 

*1:事務所はその難解さを理由に歌詞の書き換えを要求したと言われています。しかし、スガが拒否したため現在の形のままリリースされることになりました「先のことを考えちゃいけないんですよ。」──スガ シカオ | BARKS

*2:勿論、例外はあります。例えば、「ぼくたちの日々」の歌詞は「すり減っていく」で終わります。他にも七夕をテーマにしたと思われる「7月7日」はかなり暗い印象を受けます。

*3:音楽的孤立 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

*4:当然のように待遇を使用しましたが、待遇は二重否定除去則から導くことができます。したがって、スガが「二重否定除去則を使用してほしい」との発言を認めた時点で、待遇の使用も認められます。本人が上の解釈で使用したような細かな規則を知っていたとは思いませんが、自然な論理的正しさを意識した結果、論理的に整理された美しい歌詞が生まれたのでしょう。

*5: (A or B)の論理式が仮定にある時、A->C かつ B->Cが演繹できるのであれば、(A or B) -> C は真。つまり、日中には太陽があるので、問題はない。日中でない時(夜)にも月があるので問題はない。日中or日中ではない ->(問題はない)が演繹できる

Elizabeth Frazerのルーツを巡る

 

Elizabeth Fraser(以下:リズ)の声を初めて耳にした時の衝撃は強烈でした。「これは恐らく自分の全く知らない世界(ルーツ)から来たものだろう」と直感しましたが、その正体を掴めない状態が長く続きました。理由は簡単で、目につきやすいところに答えがないからだと思います。例えば、日本語と英語のウィキペディアを見てみるとしましょう。

 

バンドは、当時、ジョイ・ディヴィジョンバースデー・パーティーセックス・ピストルズスージー・アンド・ザ・バンシーズの影響を受けており、コクトー・ツインズというバンド名は、シンプル・マインズの初期の未発表曲に由来している。 コクトー・ツインズ - Wikipedia

 

 The band's influences at the time included The Birthday Party, Sex Pistols, Kate Bush and Siouxsie and the Banshees  
英語ウィキ Cocteau Twins - Wikipedia

 

この記述が多くのブログで拡散されているようですが、私は彼らの音楽を何度聴いても、リズのルーツがパンクやニューウェーヴであるという説明には納得できませんでした。代表作とされる『Treasure』収録曲を筆頭に、何曲も音楽的に分析しましたが、3拍子の曲が多いことからもわかるように、彼ら(とりわけ、リズ)のルーツに8ビートをベースとしたロックミュージックの文脈が最も大きな影響源とは到底思えませんでした。他にも、大胆なアルベジオ(つまり、音の跳躍が大きい)メロディなど、分析すればするほど「パンクやニューウェーヴとは違う」とばかり思いました。確かに、部分的には例えば、ゴスからの影響などが認められますが、やはりそれは決定的ではないと思いました。そして、音楽には必ず何かしらのルーツがあるにも関わらず、リズの場合に限って「大部分は天性に由来する」と考えることには常に違和感がありました。

 

しかし、その疑問を氷解させる記事を見つけました。彼女の決定的な影響を受けた音楽は、『Le Mystère Des Voix Bulgares』というブルガリア音楽です。そのことについて書いている記事から引用します。

 

she reveals that her vocal style was greatly influenced by the a cappella recordings of Bulgarian folk singers. After coming across the cassette of Le Mystère des Voix Bulgares, Fraser decided that she would learn it by heart and that it would be her “teacher and her home.”
John Grant and Elizabeth Fraser In Conversation at The Royal Albert Hall / In Depth // Drowned In Sound

 

リズの声に馴染みのある人であれば、聴いた瞬間にわかると思います。

 

ブルガリア唱歌を「天使の声」と称賛するコメントを頻繁に目にしますが、そこもリズと一致しています。

 

この音源の誕生には、ブルガリア人作曲家のフィリップ・クーテフ(Philip Kutev)と、マーセル(Marcel)とキャサリン(Cathrine)というスイス人の夫婦が大きく関係しています。それについて書きます。

 

クーテフは、政府から依頼で、ブルガリアの民謡のためのグループを創設しました。彼はブルガリアの伝統音楽に不協和音や印象派や12音技法を組み合わせる斬新なアレンジを施しました。その後、彼が率いていたFilip Kutev Ensembleというグループが、 Bulgarian State Television Female Vocal Choir (以下:BSTFVC)というグループになりました。そしてこのBSTFVCこそが、後にリズに絶大な影響を与えることとなる『Le Mystère Des Voix Bulgares』のほとんどの曲に参加したグループです。

 

美しい音楽が誕生したことは良いものの、時代は冷戦でした。したがって、録音に至るまでの道は平坦ではありませんでした。そこで登場するのが、先に少し触れたスイス人の夫婦、マーセル(Marcel)とキャサリン(Cathrine)です。夫のマーセルは、ラジオ曲で働いており、Disques Cellier,という伝統音楽のためのレーベル運営もしていました。彼らが、どこでブルガリア音楽を初めて耳にしたかは定かではないですが、その魅力に取り憑かれ、1950年代後半、彼らはなんとかしてブルガリアに定期的に訪れる許可を得ました。

 

その当時をマーセルはこう振り返ります。

It was the time of absolute Stalinism.You couldn't speak with people on the street.(They)were afraid of coming into contact with western travellers.

 

キャサリンはこう言います。

But the music  was so beautiful.The attraction was so strong.
in spite of all this , we couldn't resist travelling there.

 

彼らは、35kgもある大きな録音機器を持ち運びながら首都ソフィアから地方までを移動し、ブルガリアの伝統音楽のレコーディングを行いました。そして、彼らが録音したものとRadio Sofia(ブルガリアのラジオ曲?)のアーカイブを組み合わせれて誕生したのが、『Le Mystère Des Voix Bulgares』です。1975年のことでした。この音源が、どこかを巡り、エリザベス・フレイザーの手元に届いたのだと思います。リズの話はここでお終わりです。この記事でリズのルーツと同じくらいに書きたかったことを以下に続けます。音楽の伝わり方についてです。

 

当時は、一部の音楽愛好家の間でしか広まりませんでした。しかし、その音源が、偶然オーストラリア人のダンサーの友人から手渡されたBauhausのヴォーカリストのPeter John Murphyの手に渡り、続いて4ADの創設者のひとりであるIvo Watts-Russel(以下:アイヴォ)のもとに届きました。アイヴォはその音を非常に感銘を受け、マーセルを突き止め、彼から許可を取り、1986年に4ADから『Le Mystère Des Voix Bulgares』を再リリースしています。彼はこの作品を自身のキャリアにおいて非常に重要なものだと考えているようです。彼の発言が含まれる部分を引用します。

“It was timeless, it is timeless and it always will be timeless.” Watts-Russell calls the album “a highlight of my life, my career.”

How Le Mystère Des Voix Bulgares became a timeless cult phenomenon

余談ですが、Frank Zappaブルガリア音楽を愛好していたそうです。アイヴォは彼に『Le Mystère Des Voix Bulgares』を送ったと言っています。

 

リズの話からさらに外れますが、作曲家クーテフについて少し書きます。面白いことに彼は、実は芸能山城組の創設に間接的に関わっています。小泉文夫という民族音楽学者が、クーテフに接触しています。彼はクーテフと会った際、「西洋音楽教育を受けた人は使わない」というクーテフの方針に大きな共感を覚えたようです*1。小泉は帰国後、個人的に親交のあった芸能山城組の創設者となる山城祥二の手元にブルガリア音楽を届けました。その後、山城がどのように動いたかは芸能山城組の公式HPに書かれています。彼は、芸能山城組の前身グループで、1968年にブルガリアン・ポリフォニーの演奏を世界で初めて成功させています。

この話題の最後に、芸能山城組の参加資格について触れておきましょう。公式HPから引用します。

2.芸能山城組は、アマチュアの集団で音楽・芸能をなりわいとはしておりません。そのため原則として音楽・芸能を職業とされている方はご遠慮いただいております。ご不明な点はご相談ください。
芸能山城組の活動への参加 | 芸能山城組

 これ以上の詳細は述べませんが、果たしてこれは偶然と言えるでしょうか。

 

ブルガリアの美しき伝統音楽に始まり、偉大なるアマチュアリズムを実践するPhilip Kutev、命がけで素晴らしい音楽を追い求めたマーセルとキャサリンシューゲイザーやドリームポップに絶大なる影響を与えたElizabeth Frazer、今現在でも一貫したレーベルコンセプトを維持し続ける稀有なレーベル4ADとその創設者Ivo Watts-Russel、坂本龍一西洋音楽から解放した民族音楽学者の小泉文夫Akiraの音楽を全面的に担当した芸能山城組にまで至る大きな物語ができました。どこで何がどのように作用し、影響を与えてゆくかは本当に我々の想像を簡単に超えてしまいます。以前このブログで「日本音楽とはいったい」という記事で少し触れたことですが、多様性が音楽、延いては文化の発展に極めて重要だということに改めて気付かされます。

 

終わりに、キャサリンの素晴らしい言葉をここに置いておきます。彼女は、2013年に最愛の夫を亡くしました。そしてその1年後、彼女は、ブルガリア国営放送からの表彰のためにブルガリアを再訪しました。式後のインタビューで彼女は「冷戦時代に夫婦で東ヨーロッパを旅して、5000回ものレコーディングしたのは本当ですか?」と質問を受けた際、以下のように答えました。

 “When one works with love, one does not necessarily keep strict statistics.”
「人は愛をもって働くとき、必ずしも数字を守るとは限らない」


キャサリンとマーセルの名は、音楽の歴史の底に静かに刻まれています。

 

参考資料

 

How Le Mystère Des Voix Bulgares became a timeless cult phenomenon

この記事を書くにあたって最も参考にした記事。読めるのであれば、こちらを読んでもらった方がいい気もします。サイトの中身がなく、キャッシュのみになっていたので、この情報が消失してしまうことを恐れてこの記事を書きました。

The Quietus | Features | Anniversary | 4AD Founder Ivo Watts-Russell On Le Mystère Des Voix Bulgares

アイヴォとブルガリア音楽の関わりについて参考にしました。

 

 

*1:実は、Pete Seegerも同様のことを言っていたと言われています。

愛×アキバ×桃井はるこ

 

桃井はるこの自伝的作品『アキハバLOVE』を読んだ。最近興味のある電波ソングについての情報目的で購入した本だったが、「まえがき」を読んだ時点で、予想をはるかに超える素晴らしい本だと確信した。この本に初めて触れる人の感動を奪いたくないので詳細は割愛するけれど、優しさに溢れていることだけは伝えておきたい。 

アキハバLOVE

(絶版になっているので入手する人はお早めに)

 

さて、前書きもほどほどに、この“ネ申本”の話を進めたい。

この本には、桃井はるこの目から見た秋葉原という街と、「好き」を理由にそこに集った人々の物語が綴られている。秋葉原という場で、格闘ゲーム美少女ゲーム、コンピューター、アイドル、アニメなど、種々様々なオタ(ここではオタクとは書かない)が交流し、「アキバ」という一つの物語を紡ぐ。「アキバ」が、歩くだけで、延いてはその場にいるだけでスリルや魅力を感じられる特別な場所であったことが手に取るように伝わってきた。桃井は、その街とそこに集う人々を誰よりも愛していたのだと思う。 この本は、オタへの深い愛で溢れている。彼女は、世間の目に屈することなく“好き”への欲求に従うはみ出し者たちに肯定の眼差しを注ぐ。それは彼女自身が、小学生の頃のプレゼント交換会で、レア物のミニ四駆を用意し、サンリオ製品を期待していた友達の女の子を引かせた経験のある生粋のオタだからこそ出来ることなのかもしれない。桃井はるこは、どこまでもオタの味方なのだと思った。

ただ、彼女は「アキバ」のインサイダーにも関わらず、「アキバ」で起こる現象を熱っぽくも冷静に観察しているので、オタ特有の「キモさ」とは無縁で、私のようなアウトサイダーにも「アキバ」の特異性と魅力が大いに伝わってきた。男性が大多数を占めるオタ文化において、女性だからこそ保てる距離感があるのかもしれない。今でいうところの「オタサーの姫」的な香りも全くしない。逆に、アイドル的な芸能活動の軌道に乗っていることが本意ではなく、自らの理想とする「オタ的」な音楽活動を求めてアイドル活動を休止する彼女の誠実さに心を打たれた。

 

彼女のオタとしての守備範囲は広く、例えば音楽であれば本職はアイドル歌謡だが、当時からKraftwerkPixiesNirvanaなどを愛好する洋楽オタでもあった。しかし、そうした知識以上に注視すべきは、彼女が自分なりの考えを表明するというオタとして最も基本的かつ重要な態度で一貫していることだと思う。彼女は自分の考えを持っている。例えば、西洋アーティストの来日公演で観客が海外的に振る舞う様子について疑問を投げかけ、それと正反対とも言える純日本産のオタ文化の魅力を説く。彼女はその考えを、内輪ノリの安っぽい「オタ文化擁護」としてではなく、「日本らしい文化」の結論として導く。彼女は「萌え」について、「ドジっ娘」の例を挙げ、過程を愛でることだと考察している。面白いことに、過程への愛着は、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で書いていることでもある。年功序列、甲子園の人気、育てるアイドルグループAKB48など、現代の様々な日本文化も過程への愛着という点で繋がっている。「萌え」は日本で生まれるべくして生まれたのだと思う。

 

上述の萌えの考察からもわかる通り、彼女は慧眼だった。彼女の先見の明には何度も驚かされた。女性の自撮りが主体となるSNSの登場、カジュアルにネットに接続できるゲーム端末の登場、オタク的アイドルの登場、Perfumeの成功など、様々なことを予見していた。

 

私は東京在住ではないけれど、この本に書かれていた桃井お気に入りの喫茶店に行きたいと思った。しかし、残念ながら、店名の「コロナ」をググると、『アキハバLOVE』出版の1年後(約10年前)に閉店していたことがわかった。望むことに限って上手くいかない人生の仕様に嫌気がした。諸行無常とはいえ、「アキバ」の変化は早すぎる。「一見さんお断り」と暗に書かれていたかつての「アキバ」は、もうリアルには存在しない。美少女アニメ、ゲーム、コンピューターなどを好きと言うだけで後ろ指を指される時代は終わった。その潮流を桃井はるこは、「日本がアキバに近付いている」と説明する。当時の「アキバ」は本当に最先端だった。それは時代が証明している。

 

行ったこともない街の変遷に一抹の寂しさを覚えながら、本でしか読んだことがない街と、その街にあったとされる魅力的な喫茶店の姿を夢想していると、どこか2次元と3次元の隙間に入り込むようなヴァーチャルな感覚がした。

 

 

あとがき

この記事の本文では触れないことにしたが、 『アキハバLOVE』出版の1年後の2008年6月8日、前代未聞の事件が秋葉原を襲った。凶行の理由は、ネット上の居場所を奪われたから。私は当時まだ10代だったけれど、ネット社会の負の面が表面化した事件だったと記憶している。幸か不幸かの判断はしかねるが、『アキハバLOVE』は、この事件を逃れた。結果、夢の街としての「アキバ」の香りで満ちた内容となっている。本に書かれていないことなので直接は触れないことにしたけれども、全く触れないことにも違和感があるので、このような形を取って最後で触れることにした。当時を知らない私の語りより、桃井はるこが事件の2日後に書いた記事があるので、是非そちらを読んでもらいたい。

 

今年聴いた音楽ベスト+ベストアルバム2018

 

今年は、現行ものはほとんど聴きませんでした。 つまみ食い的にMitski、BTS、Snail Mail、Lotic、Objektなどの流行り物(?)に手を出したりしてみたものの、どうにもしっくりこない。いつのまにか耳が慣れてしまった海外インディものより、エーチャン(E.Yazawa)が新鮮で胸に刺さる。そんな1年でした。

 

Spotifyを活用して、記事と連動したプレイリストを作成しておきました。

2018 My Favorite Songs

https://open.spotify.com/user/parappathe/playlist/22KorXQi2dSge88XldiaDy?si=1KRBO8FnQUeEiUlCXjUe_g  

これを聴いてもらえると色々わかると思います。 今年追加したものの中から適当に放り込んだのでリスト外の曲もあります。正直、「この曲リストに入れ忘れてた」みたいなものが大量にあって困りました。

 

ふと気付いたことですが、自分は、音楽を選ぶにあたって、なにかと仮想敵を想定する癖があるようです。例えば、アンチ邦楽、アンチメジャー、アンチインディーズ至上主義、アンチ新しい至上主義、アンチ名盤主義、アンチ洋楽などが挙げられます。そうした否定(アンチ)をエネルギー源にしてきたような気がします。理由はおそらく、意識の根底に「自分が気持ちがいいと感じるものばかり選んでいると音楽の幅が狭まる」という考えがあって、かつての自分を意識的に否定して新たなものを入れるためのスペースを用意しているからだと思います。

 

自己精神分析もほどほどにして本題に移ります。 

今年は、適当な理由を付けて後回しにしてきた日本の音楽を柱に据えて音楽を聴きました。自分が知らない作品を聴くことは勿論、自分が過去に聴いていた作品の洗い直しもしました。結果、「オールジャンルなんでも聴きますよ」的なことを言う中高生が作りそうな散らかったリストが出来上がりました。大変に恥ずかしいです。

しかし、「これを聴いてる俺って趣味良くない?」といった自惚れは、音楽自体の価値とは関係のないことです。有名どころのJ-Popなんぞは早めに卒業して、David Bowie、Can、Brian EnoVelvet Underground*1や、海外インディとその周辺から影響を受けたような音楽を聴いていたら「趣味・センスがいい」といった価値観や風潮に抗って「J-Pop最高です!」と高らかに宣言したいです。今となってはどことなくオシャレアイテム感の漂うシティポップのように、J-Popにオシャレウェーヴが到来する日もそう遠くないはずです。最先端を先取りしていきましょう。

 

冗談はさておき、日本の音楽を再考するために「今年注目のおすすめ邦ロック100選」のようなものをひたすら聴く作業をしたりもしました。心理的負担は大きく、理解することができなかったものも多数ありましたが、日本の音楽に対する理解は深まりました。文字にすると当たり前に思えますが、多くの場合、“折衷的”に海外の音楽を取り入れようとしたところに日本音楽固有の魅力が生まれることを再確認できたことは大きな収穫でした。“折衷”は大きなポイントです。その意味で、海外音楽に強く影響されたにも関わらず、その影響を直接的に表現(英語で歌うなど)することなく自らの表現を模索し、日本語で歌うことを選択したゆらゆら帝国はっぴいえんど、2枚目以降のフリッパーズギター*2フィッシュマンズ*3などの偉大さが身に沁みました。彼らの音楽は“海外の何か”で代替することのできない日本の音楽です。

ちなみに「ファ ファ ファ ファ ミンゴ*4」は全然悪くないと思いました。今風のJ-Popにスパニッシュの要素を上手く加えていることもそうですし、歌詞もありがちな表現の羅列ということもなく、声ネタの使い方にも嫌味がなく、3コーラス目のAメロでの演歌的歌い回し(こぶし)も見事だと思いました*5

全く理解できない音楽は、なにかとハイハットの裏打ちを入れたがるサブカルの香りを漂わせたマイナー風メジャー系バンドや、薄っぺらい仲間意識を共有していそうな元気と感謝の押し売り系バンドに多かったです。ジャンルは様々でしたが、それらに共通していたのは、悪い意味でルーツが見えないことでした(良い意味でのルーツが見えないは最高の褒め言葉)。音に深みが感じられないとも言えます。過去を参照することなく、ただ己から出る音を鳴らしたと言えば聞こえは良いですが、それで上手くいくのは青葉市子*6ほどに並外れた才能がないと難しいでしょう。ただ、ルーツが見えていたら良いというほど単純な話でもなく、ルーツからの影響があからさまで「お前はそれをオリジナルと言い張るのか?」と感じる場面も多々あるので難しいところです。月並みですが、ルーツと自分の表現のバランスが重要なのでしょう。

 

前置きが長くなりすぎました。 2018年によく聴いた音楽リストは以下です。

 先ず注意事項をざっと書きます。

 

  • リストは、2018年リリース以外のアルバムも含みますが、リスト上部に2018年リリースでまとめました。実質それが2018年のベストアルバムです。
  • 表記は基本的に、アーティスト名『アルバム名』「曲名」で統一してあります。
  • 順序による重み付けはありません(順不同)。
  • アルバム名を書いてないアーティストは、基本的に曲単位では良かったことを意味しています。その他の場合は雰囲気で察してください。 
  • 特に気に入っている作品には「☆」を付けてあります。
  • リストの最後に、今年のベスト中のベストを選びました(2018年縛りなし)
  • 選考理由を言語化できている作品には脚注を使ってコメントを付記しました。長いものから短いものまで色々。思いつく限りの余計なことも書きました。

 

2018年ベスト

Altin Gun ☆『On』「Goca Dünya 」*7

Thought Gang ☆「A Real Indication*8

呂布カルマ 『SUPERSALTY』☆「ヤングたかじん」*9

安東ウメ子『Ihunke』(再発)

空中泥棒 ☆『Crumbling』*10

Michael Seyer『Bad Bonez』「 Show Me How You Feel (Eros)」

 IU(아이유) _ 「BBIBBI(삐삐) 」*11

Cornelius ☆「Audio Check Music」*12

Scott Gilmore ☆「Two Roomed Motel」(アルバムは来年リリース)

Janelle Monáe 「Make Me Feel 」*13

Ekiti Sound 「 Ife 」

Spiritualized  「I’m Your Man

Blood Orange & Yves Tumor  「Smoke (feat. Ian Isiah) (Remix) 」

Viagra Boys  「Sports」 *14

ENDRECHERI(堂本剛)☆「HYBRID FUNK」*15

 

歴史系

※この区切りは、情報を書かないと理解できないと思うので、脚注ではなく、そのまま簡単な解説を付記します。

 

Miss Kittin & The Hacker 「Frank Sinatra」(1982)

Electroclash というジャンルの代表曲。シンセの入った地下系インディポップの一つの源流と感じました。

 

The Last Poets 『At Last』 「The Courtroom」

初期ヒップホップグループ。1973年にこの音が鳴らされていたことに衝撃を受けました。。The Sugarhill Gang は1979年です。

 

John Field『Field:Piano Music Vol.1』「Nocturne No.5 in B-Flat Major」

ノクターン夜想曲)の創始者でもある19世紀の作曲家です。ショパンが巨匠中の巨匠であることは論を俟たないですが、音楽にはルーツがあることを改めて感じました。

 

Judus Priest 「Let Us Prey/ Call For The Priest (1977年)」

※選考理由がやたらに長くなったので別記事にすることにしました。

概要だけ述べておきます。

1977年、音楽的な意味では、Judus PriestはSex Pistolsなどのパンクロック(とりわけUKパンク)よりも「ロックの破壊者」でした。“ブルースからの脱却”を基調として、ロックンロールとそこから派生したロックを検証します。そして、パンクロックよりもヘヴィメタルの方が遥かに「ロックの破壊者」だったという結論を導きます。

 

1960~2017年

Howie Lee 『Mù Chè Shān Chū 』Cloud Lamps 」

Shye Ben Tzur Jonny Greenwood and The Rajasthan Express  ☆『Junun』 「Hu」*16

Stella Jang ☆「 (소녀시대) Girl's Generation 」☆「Dumped Yesterday」 *17

BANE'S WORLD 「you say i'm in love」*18

Audrey Hepburn「Moon River」*19

PREGNANT 「How Does It End? 」*20

☆60年代以前

*21

Léo Marjane 『Léo Marjane』

Blossom DearieBlossom Dearie

Lulu Jackson

Julie London『Julie Is Her Name(1955)』「I'm In The Mood For Love」

Danai 「 Htes To Vrady」

 

日本の音楽

松浦雅也パラッパラッパー2 オリジナルサウンドトラック』「 Toasty Buns」*22

Satoh Ryoko 「風まかせ(1973)」 詳細不明(discogsにも情報なし)

矢沢永吉 『EIKICHI YAZAWA LIVE DECADE 1990-1999』

☆「時間よ止まれ」「アリよさらば*23

☆河名伸江『のぶえの海』*24

SUPER BUTTER DOG 「FUNKY ウーロン茶」*25

椎名林檎 『無罪モラトリアム』『勝訴ストリップ

東京事変 『娯楽』*26

美空ひばり 『美空ひばり特選集』「みだれ髪」港町十三番地

☆喜納昌吉&チャンプルーズ 「 ハイサイおじさん」*27

花澤香菜 「恋愛サーキュレーション」(作曲者:神前暁)*28

神前暁  「もってけ!セーラーふく*29

細野晴臣 『TROPICAL DANDY』『HOSONO HOUSE*30

LAMP 『ランプ幻想』*31

hide with Spread Beaver  ☆「ピンク スパイダー」*32

Fishmans 『Neo Yankees'Holiday』「Smilin'Days Summer Holiday」

田中秀和 「Punch☆Mind☆Happiness*33

ストレイテナー  「KILLER TUNE」*34

Seira Mirror 「 Prince don't doubt」 *35

☆OORUTAICHI   「FUTURELINA」

☆ウリチパン郡   『ジャイアント・クラブ』「アトランティス」

坂本慎太郎 「死者より」

☆Plus-Tech Squeeze Box 『cartooom!』Dough-nut's Town's Map」*36

☆DJみそしるとMCごはん 『ジャスタジスイ』「缶詰ロワイヤル」「冷凍まんじゅう」*37

☆加山雄三 feat. PUNPEE「お嫁においで 2015」*38

☆FLYING KIDS 「毎日の日々」*39

面白いと感じたが、今の自分の耳では評価ができないと感じた人

INO HIDEFUMI 「奇蹟のランデヴ」

John Natsuki 「全部大嫌いだな」

星野源全般 「Pop Virus」  Snow Men」*40

Jacob Collier 「 With The Love In My Heart 」*41

 

今年のベスト

 

1. Danai 『As Erhosoun Gia Ligo (Authentic 78 rpm Recordings 1946-1957), Vol. 2』

「Htes To Vrady」

Danaiはギリシア出身の女性で不思議な経歴の持ち主です。音楽活動と並行して、チリの大学でギリシア民俗学や音声学の講師として働いていたり、チリ人のノーベル文学賞受賞作家、パブロ・ネルーダ*42と個人的な交友関係にあり、スペイン語で書かれた彼の詩をギリシア語に翻訳する作業を担当したなど、音楽よりも翻訳者としての仕事の方が有名だったようです。音楽的には、ギリシアの伝統音楽に凝っていたとのことです。どことなくシャンソンの香りが漂うのは、彼女がフランスで育ったからでしょうか。アルバムに収録されている「Misirlou」は聞き覚えがあると思うのですが、東地中海の伝統的な歌らしいです。Dick Daleにカヴァーされたヴァージョンが、Black Eyed Peasの「Pump It」にサンプリングされています。

 

 

2. Dywane "MonoNeon" Thomas Jr.『I Don't Care Today (Angels & Demons in Lo-Fi) 』 

動画の曲はアルバムで唯一の箸休め的な曲です。

年に数枚あるかないかの「一度に全部聴くの勿体ないから置いておこう」と思わされた1枚です。大半が1分〜2分程度の曲で構成されたビート集のようなアルバムで、Robert Glasper以降のジャズ、J Dilla以降のヒップホップ、D Anjelo以降のR&Bフュージョン、現代音楽が交雑し、音質はローファイ志向という強烈なニオイを発する音楽ばかりが収録されています。一貫してMonoNeonとしか形容できない音の洪水に最初はかなり面食らいました。今でも通しで聴くと相当疲れます。しかし、初めて口にした時は「リピートはないかな…」と思ったにも関わらず、クセが強く代替となりうるものが存在しないため、その強いクセを求めて再び足を運んでしまう二郎系のラーメンのようなアルバムです。

彼の複雑な音楽を聴く度に、ノイズミュージックの創始者、Luigi Russoloの言葉を思い出します。大意は「音楽の複雑化は、ノイズへの接近である」です。

Today music, as it becomes continually more complicated, strives to amalgamate the most dissonant, strange and harsh sounds. In this way we come ever closer to noise-sound. — Luigi Russolo The Art of Noises (1913)

(amalgamate は、「 2つ以上の物を混ぜ合わせて一つにする」を意味する動詞)

 

 

3.椎名林檎無罪モラトリアム』+「すべりだい(デビューシングルB面)」

 

周囲を見ていて、この手の有名どころは、音楽の知識量に比例して「卒業」する人が増える傾向があるように思います。自分にも確かにそのようなきらいはありましたが、ポップスにおける実験性を理解してからは、真っ直ぐに受け止められるようになりました。

椎名林檎は今年大きく評価を改めた1人です。『無罪モラトリアム』初めて聴いたのは中高生の頃だと思いますが、その頃とは全く異なる音楽として耳に入ってきました。彼女の音楽からは、オルタナティヴロック、シャンソン、ジャズ、歌謡曲など、とても豊かな音楽的背景を感じます。そして、そうした多様な音楽を自分のフィルターを通し、すべて“椎名林檎の音楽”の材料にしています。月並みですが、信じられない才能だと思います。特に彼女の曲は和声への拘りが見られるのですが、煩雑になるので分析はしません。代わりに彼女の発言を引用します。

自分は旋律(メロディ)と和声(ハーモニー)の関係性にこそ常に関心を持つべきだと思っている。アレンジが違っても成立するよう、例えばスーパーなどでかかるMIDI音源のインストのようにまっさらな状態で聴いた時にいかに光るものを書いておくかが自分にとっては大事だと思っているので、ビート音色に触発されてサウンドの方から組み立てていくアプローチは極力しないようにしている。

 

意味不明な歌詞の多い彼女ですが、デビューシングルB面(本人はA面を希望ていた)「すべりだい」では、日常的題材を少し違った角度からフレームに収める優れた詩人としての一面を感じさせます。交際している(していた?)男性に対する恨み節を歌い、曲の最後をこう締めくくります。

許されるなら本当はせめて すぐにでも泣き喚きたいけど
こだわっていると 思われない様に右眼で 滑り台を見送って
記憶が薄れるのを 待っている Ah… Ah… Ah… 

 

 

4.美空ひばり美空ひばり特選集』

美空ひばりは、生前最後の歌唱映像の冒頭で、今一番愛しているものについて話しをします。当然、息子のカズヤと言うと思いましたが、予想は外れました。彼女は「もちろん、それは歌ですね」と即答しました。笑えるような笑えないような話です。

美空ひばりはとにかく歌が上手いです。ピッチ、リズム、ビブラートが完璧であることは当然として、多彩な声色の全てが美空ひばりという歌い手の下で統合され、曲中で一片の無駄なく機能していることに驚かされました。

リンクの「みだれ髪」は、日本歌謡界の伝説、船村徹による作曲です。この曲には、特別な逸話があるので簡単に紹介しようと思います。

美空ひばりは当時入院中であり、彼女の体調は限界に近付きつつありましたが、船村徹に「先生、次の曲は手加減なしでお願いします」という主旨の手紙を送りました。そして、その手紙が「彼女の体調を考慮して歌いやすい曲を提供しよう」と考えていた船村徹を一変させました。結果、船村徹は「日本の歌の粋を結集させた曲を書こう」という決心に至り「みだれ髪」は誕生しました。実際、「みだれ髪」は曲の一番の盛り上がり(サビ)の部分で、美空ひばりが苦手としていた裏声が躊躇なく使われている挑戦的な曲です。また、レコーディングも少し特殊で、歌とオケの同時録音でした。当時の常識では何度も歌い直せるようにオケと歌は別録音が基本だったようですが、「歌は真剣勝負」という美空ひばりの考えのもと同時録音に変更されました。レコーディング本番は、わずか2テイクで終わりました。

 

5.Lulu Jackson  『Before The Blues, Volume 2 (1996)」「You're Going to Leave the Old Home, Jim! (1928年)」 

1950年代以前の音楽を掘っていた時、コンピレーションに収録されていて出会いました。声、演奏、曲、歌詞、音質など、文句の付けどころがないです。息子を想う母の気持ちが綴られた歌詞が印象的で、読むたびに感傷的な気持ちにさせられます。

彼女の情報は検索してもほとんど出てこないのでわかりませんでした。
歌詞の冒頭の抜粋だけ置いておきます。

There you're going to leave the old home Jim, today you're going away
You're going among the city folks to dwell

Said an old grey haired dead mother told her boy one summer day
If your mind made up that way I wish you well

Your old home will be lonely, we'll miss you when you're gone
The birds were singing sweetly where you're not nigh

 

 

6. Léo Marjane 『Léo Marjane』「En Septembre Sous La Pluie」


Léo Marjaneは、30年代~40年代にフランスで活躍した歌手です。当時のフランスはドイツとの関係が厳しく、ドイツ人の頻繁に出入りする場所でよくライヴをしていた彼女は、国民からの反感を買い、隠遁生活を余儀なくされたこともありました。その後、歌手活動を再開することはできたようですが、かつての輝きを取り戻すことはなかったとのことです。

 

7.安東ウメ子『Ihunke』



後輩に「最近日本の音楽を掘っている」という話をした時、“押し売り”されました。あまり詳しくは調べていませんが、アイヌの音楽家として著名な方のようです。略歴はウィキがあるのでそちらを参照してください。ウィキ情報ですが、タイトルになっているInunkeという単語は、アイヌ語で子守唄を意味する言葉で、その時々の気持ちを即興的に歌うことが多いようです。また、安東ウメ子は、伊福部昭(ゴジラの作曲で有名)とも交友があったようです。他には、坂本龍一が、「記憶に残る世界のミュージシャンを 2 人あげるなら、そ の 1 人は日本の安東ウメ子である」とラジオで発言していたとの記録を目にしました。*43

こういった音楽を文化から切り離してただ音として消費することには抵抗があるので、個人的に少し勉強しようと思っています。


8.松平頼則 『日本の作曲家 21』「 南部子守歌を主題とするピアノとオルケストルの為の変奏曲から」

日本の音楽を調べている際に出会いました。

無調の混沌を感じさせたかと思えば、日本的情景を喚起させる美しいメロディラインが浮かび上がってきます。その調性の外し方も特徴的で、大きく外すこともあれば、メロディラインだけを僅かに外すこともあります。その緊張と緩和のバランスは、今まで自分が知っていたクラシックとは全く異なるものでした。そしてなにより、伝統的な日本の音楽とクラシックと現代音楽(狭義の)の融合に思わずうならされました。

 

あるブログに松平頼則の素晴らしい紹介文があったので引用します。

 「日本を代表する作曲家」と問われれば勿論私も武満徹であると答えるだろう。しかし、真に西洋音楽と日本の伝統音楽を高度な作曲技法で模索した作曲家という点では松平頼則が相応しいであろう。その存在は孤高である。チェレプニン、ドナトーニ、ベリオ、ブーレーズルトスワフスキ、ランドフスキといった錚々たる作曲家から激賞され、カラヤンが振った唯一の日本人作曲家であり、ロリオ、高橋アキ、野平一郎(ピアノ)、ガッツェローニ(フルート)、奈良ゆみ(声楽)といった名演奏家が演奏録音したにも関わらず松平の名を今演奏会に見つける事はほとんどない。戦前の新古典派的な作品ですら演奏される機会は稀である。
「松平頼則」 より

 

ベストは以上です。

 

冒頭で書いた通り今年は主に日本の音楽に寄せて色々と聴きましたが、質も量もまだまだ足りていないことを実感しています。どのような人が歌っても等しく美しく、それでいて固有の民族性を感じさせる岡野貞一の「故郷(Frusato)」のように圧倒的な強度のある作品、そんな音楽を来年は探していきたいです。童謡、長唄、追分、謡曲とかになるのかな?


 

 

 

*1:どれも好きだよ!

*2:『ヘッド博士の世界塔』は神

*3:このいかにもな並びを見るだけでも恥ずかしい

*4:元ネタわからずの人は、この文字列をyoutubeで検索すると出てくるよ!

*5:ここまで褒めたけど好みかどうかは別。アイデアを面白いと思っても好きになるかは別

*6:ジブリ音楽とV系をかつては好んでいたと聞いたことがある

*7:中東の香りのするバンド。人生を捨てて音楽を掘り続ける後輩からのおすすめで知りました。簡単に因数分解できない音楽を聴くのは良いものです。アルバム通して良かったです。KEXPに出演していて驚きました。

*8:Sacred Bones Recordsには、毎年何かしらやられてます。色々と混ざったような音が気に入りました。アルバムの後半が弱かったことと、この手の音楽は体力を必要とすることが理由でアルバム通しで聴くことは少なかったです。

*9:呂布カルマは、反ヒップホップ的で派手な柄シャツに身を包み、ギャングスタまがいのワル自慢をすることもなく、USヒップホップの流行りに流されることもなく「俺は若い頃のたかじんになりたい黒人よりもi wanna be a たかじん」と宣言してみせます。なんとも痛快です。彼は日本中の流行り物になる以前からヒップホップに人生を捧げて来たラッパーで、現在はフリースタイルダンジョンでの活躍などもあり、ヘッズから絶大な評価を得ましたが、同曲のリリックでこのように綴っています。「下手打った奴から順に居なくなる 仕事や家庭も理由になる 俺は音楽でそろそろ自由になるが 飛んでいかないようにキツく縛る」。彼の音楽への告白は、この上なく“リアル”です。

*10:Lamp主宰レーベル、Botanical Houseから

*11:アイドルかと思えば、シンガーソングライター志望で芸能界入りし、今年でキャリア10周年ということでした。「BBIBBI」という意味不明な文字列は、韓国語でポケベルを意味するらしいです。それを知った時、彼女の全てを許せる気がしました。

*12:Corneliusの得意とするアート(遊び)とポップを融合させるというコンセプトを音楽として完璧な形で実現させている。アウトロ付近で聞ける無限音階の使用など、Cornelius作品からは常に遊び心が感じられる

*13:故Princeからの協力を受けて完成した曲。各所で指摘されている通り、現代版「Kiss」のような肌触りです。死してなおも完全に現役として音を投下するPrinceという怪物の力量は未だ計り知れません。

*14:MVも込みでの評価。スポーツからは程遠いと思われる腹の出たタトゥーまみれの男が「Sports」と絶叫する“異物感”はクセになります。音楽的にもテンポを変える部分が良いアクセントになっていて良いと思いました。ただ、アルバムを通しで聴くと中弛みする印象です。

*15:いつの日かのGuitar Magazineで堂本剛のページがあり、冷やかし半分で目を通したことがあります。細かな内容は覚えていないですが、ジャニーズとは思えないほど音楽的内容について話していて、「Sly Stone やPrinceのことが好き」と言っていたことに強烈な違和感を覚えたことが印象に残っています。その後、彼の制作した音楽を少しだけ聴いたのですが“アイドルのアレ”という感じで興味を失いました。しかし、今年偶然に再開した彼は以前とはまるで違っていました。ジャニーズには“場違い”なマッチョで硬派なMVを初めて観た時、「アイドルファンはこれに着いてこられるのか?」と困惑しました。その音楽は、堂本剛という男がGuitar Magazineで語っていたブラックミュージックへの憧憬が事実であったことを証明していました。

山下達郎がギターで参加したディスコ調の曲「HYBRID ALIEN」も良いです。概ね好意的ですが、アルバムには味付けがしつこ過ぎる“アイドルのアレ”が何曲か含まれていたため、総合点としては控えめです

*16:Radioheadのジョニグリがイスラエル出身でインドで修行した音楽家と共作した作品。ドキュメンタリーが映画化されています

*17:彼女はEd Sheeranなど、超メジャーどころを好むようです。あまり好きではない今風の流行曲のようなものも多いのですが、一部このような曲が混ざっています。個人的に歌唱とラップの中間のような歌い方には弱いです。K-Popに疎いのでこの音楽が斬新か否かはわかりません。したがって、斬新さに惹かれたというよりは音楽が好みだったという理由です。2曲目のライヴ映像の第一声で音を外しているのがかわいい。生演奏している証拠ですね

*18:この手の音楽成分は定期的に摂取したくなります。MVは音源とBPMが違います。うろ覚えですがBOYSAGEと交友があるらしい

*19:例の映画を観ました。どうしようもない女性が自分を発見する物語よりも、曲の良さで泣きました。音楽とは全く関係ない話ですが、元職場にいた控えめ系トラブルメイカーの超美人が「この映画大好きなんです」と言っていて、どの視点からこの映画を楽しんでいたのかが気になりました。

*20:形容しがたい音です。どのようにして出会ったか全く覚えていません。ストリーミングの弊害ですね。ライヴ映像がありますが、演奏がかなり荒れているせいで原曲崩壊していて少し面白かったです。

*21:日常的にはこの辺りを聴くことが最も多いですが、この年代は素晴らしい作品が多すぎて、選びきれませんでした

*22:ゲーム音楽を掘っていた時に一目惚れ。キャラクターの移動中の曲とかとかも面白いので入手してよかったです。知ったのは数年前。プレミア化していたものを気合いで入手。ファンキーでポップなヒップホップという感じ。

*23:日本の歌謡曲とロックの融合。ロックの本場が英語圏にあることを認識しながらも日本語によるロックンロールを模索した野心的な作品。矢沢永吉の代表アルバムには高橋幸宏坂本龍一が参加している。はっぴいえんど解散の年(1972年)に活動を開始したキャロルは、はっぴいえんどとは別に日本語ロックに多大なる影響を与えた極めて重要なバンド。

*24:夭逝の女性SSWの作品。

*25:彼らの代表曲とされている「サヨナラCOLOR」の良さは理解できませんでした。彼らの真髄はファンクとJ-Popの融合にあると思います。日本語詞、中華風フレーズ、長大なギターソロ、タイトなグルーブ、キャッチーなメロディの組み合わせは、文字通り彼らにしかできない音楽です。MVは4分30秒ほどの長さですが、アルバムでは8分32秒とプログレ並みの長さ。間奏は明らかにFunkadelicの「Maggot Brain」を意識しているはずです。

*26:東京事変は、“椎名林檎とバックバンド”ではないです。特に『娯楽』は椎名林檎が作曲に関与していないアルバムなので、椎名林檎のソロ活動の延長ではない東京事変の音が聞けます。3拍子と4拍子を行き来してみたり、1曲のヴォーカルを3人で分けてみたりと曲のヴァリエーションも豊かです。ただ一点、「私生活」と「復習が」平凡に感じましたが、6曲目「某都民」以降の完璧な流れを考えれば些細なことです。余談ですが、 「月極姫」で、Doorsの「Light My Fire」 からの引用らしきフレーズが聞けます

*27:日本のロックンロールの一つの完成系。喜納昌一の父、昌永も琉球音楽と別の音楽の融合を試みていたとのこと。息子の代でそれが結実したと思うと感慨深いです。後で知ったことですが、この曲は久保田真琴の手を通じて細野晴臣の手に渡り、『トロピカル・ダンディ』制作に決定的な影響を与えています。憶測ですが、御大のルーツ(ロック)と民族音楽の調和が可能であることに気付いたのではないかと思います

*28:サントラをツタヤディスカスで入手したけれど、他の曲であまり気にいるものはなかったです

*29:どの側面から見ても斬新な闇鍋サウンド。冗談ではなく、その先駆性から日本音楽史に刻まれるべき作品。サントラをツタヤディスカスで手に入れましたが、劇伴だからか期待したほどではなかったです

*30:選考理由を述べるまでもなく音楽史に残されるべき大名盤。『TROPICAL DANDY』の7割程度の曲と、その他最近の御大の曲を耳コピして分析したところ、御大の曲はコード的にはシンプルで、グルーヴ、音質、使用楽器の選択などで作品の空気を演出していることが判明しました。

*31:ほどほどに音楽に関心のあるGFに聴かせた時、「キリンジみたいでだね。でも、女の人の声が苦手」と言われました。

*32:hideの没プロジェクトZilchで模索した洋楽的インダストリアルロックの手法をJ-Popに落とし込むことに成功しています。現在ネット社会の弊害を風刺しているかのような歌詞もとても印象的です。本人のインタビュー映像を確認したところ、自らの吐いた「糸(=Web)」に引っ掛った情報しか得られないことを自覚しておらず、世界を知ったつもりになって得意になっている「ピンク(=妄想)」に取り憑かれた哀れなスパイダーを歌っているとのことです。

幾つかのカヴァーを聴きましたが、ロックと電子音楽を過激に融合させたインダストリアルロックとJ-Popの組み合わせが斬新だったにも関わらず、そのコンセプトを無視し、洋楽ヘヴィメタルに寄せていたり、流行りのEDMに寄せていたりと残念でした。ただ、唯一CorneliusによるRemixは、インダストリアルロックの精神に則りながらも、Corneliusサウンドを炸裂させていて面白かったです。生前、hideはCorneliusを好んで聴いていたらしいです。

*33:最も大切なことは、この曲が、田中秀和以外の誰にも作ることのできない事実です。

*34:単純なリフで押し通す邦楽ロックとしては別格でリズムが良い。しかしながら、他の曲はホーロック(邦ロック)な感じでイマイチでした。

*35:音楽性強迫性障害の後輩に「大阪のインディーズで若くていい感じの人探そう」と提案して一緒に探していた時、彼が掘り当てました。どうやって探したか聞くと、日本中のインディ系のレコ屋で「大阪」をキーワードで検索して片っ端から聴きまくったらしいです。あほです。ちなみに、この方は、Jesus Weekendのメンバーとのことです。

*36:明らかに過小評価な気がするグループ。打ち込みやサンプリングを駆使し、支離滅裂に思えるほど次々に展開する曲をポップに仕上げる手法に脱帽。Wikiに「2ndアルバムでは4500種類以上のサンプリングソースを盛り込んだ」と書いてありました。狂気。ちなみにネオ渋谷系と呼ばれるジャンルの音楽らしい。

*37:奇抜な名前や外見を理由に彼女の音楽を「サブカル」的に消費したり、「サブカルラッパー」と揶揄することは懸命な判断ではないと思います。全てがUSヒップホップに右へ倣えの「本格派」より、独自の表現を模索する彼女のような存在に惹かれます。DJ KRUSHの「俺は“ヒップホップの伝統”よりも“ヒップホップの自由”を選んだんだ」という言葉を思い出させられます。DJ Krush:ヒップホップの自由

押韻やキャップ着用など、最低限のヒップホップマナーに従いつつも、従来のヒップホップ的文脈とは全く異なる世界観を打ち出し、ヒップホップの可能性を再確認させると同時に、その限界を拡張していると感じます。全体をポップに仕上げることは勿論、ガムラン音階を使った曲などバライティに富んでいて面白いです。

*38:DJみそしるMCごはんに近い理由です。PUNPEEは十分に評価されているので説明は不要とは思いますが、極めてクセの強い加山雄三という素材を大体的に活用し、懐メロとしてではなく現代の若者にも通用する曲として蘇らせています。その上で、加山雄三が素晴らしい音楽家であることも再認識させてくれるこれ以上ないほど理想的なRemix。色々な人が加山雄三を素材に再構築するというテーマのアルバムなのですが、PUNPEE並みのクオリティを全体が保てておらず残念でした。

*39:Go-Goのリズムに乗せて語られる庶民的日常の憂鬱。冒頭の歌詞はこのような感じ。「生きてることに感謝してるけど そんなこと毎日思ってられないし いつの日にか目頭を熱くして たくさんの苦しみをはきだすこともある」 

*40:ハマ・オカモトとカースケ(紅白でも見かける日本を代表するスタジオミュージシャン)のリズム隊が上手すぎる。

*41:「ソウルに欠く」や「テクニカル過ぎる」などの批判コメントが散見されますが、天賦の才を持って生まれた20代そこそこの究極音楽生命体が“シンプルに逃げる”ことなく、彼の持つ難解な音楽理論、音楽的経験、音楽的感覚を全力で活用してポップスにおける複雑性の限界に挑戦していると思えば、感謝の焼き土下座レベルでも足りないくらいです。今後、彼は一体どこへ到達するのでしょう?

「駄目だ!! そんな!!」
   「もうこれ以上そんな力!!」
   「一体!!この先!!どれ程の・・・!!」

*42:ガルシア・マルケスは、ネルーダを「いかなる言語においても20世紀最大の詩人」と激賞

*43:「ウメ子フチに学ぶ」小助川勝義 https://www.frpac.or.jp/about/files/sem1901.pdf