捏造日記

電脳与太話

趣味的活動再開

約半年ほど、趣味的なものを完全に排除して就職活動とその準備に集中していました。主にプログラミングをしてアプリを開発していました。就職活動に本腰を入れたのは、新型コロナが猛威を奮っていた先月のことです。正直、退屈極まりない自己分析なるもので「自分」を探し、「自分」で自分を染め上げる作業には何の面白味も感じられませんでした。就職活動とはもはや演劇です。しかし、結果として幸運にも望外の結果を得ることができました。これからは労働者の端くれとして社会の片隅で生きてゆきます。

 

兎にも角にも、色々と一段落したので音楽系書籍を読むことを再開しました。1冊目は以下です。

ストリートの精霊たち

ストリートの精霊たち

  • 作者:川瀬 慈
  • 発売日: 2018/04/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 上記書籍著者の川瀬慈は、国立民族学博物館に所属する映像人類学者で、ラリべロッチというエチオピアの物乞いが奏でる音楽と、彼らの生活を克明に記録した極めて素晴らしい映像を発表しています。公式の紹介文の抜粋は以下です。

エチオピア高原北部を広範に移動する“ラリベロッチ(単数:ラリベラ)”と呼ばれる唄い手たちは、早朝に家の軒先で唄い、乞い、金や食物を受け取ると、その見返りとして人々に祝詞を与え、次の家へと去っていく。ラリベロッチのこうした活動は、瞽女(ごぜ)や春駒など、農作物の豊穣や家族の平穏を祈って各地を回ったという、わが国の門付(かどづけ)芸能者や、托鉢の僧侶の姿を思い起こさせる。

無料で公開されているので興味がある方は是非。

 

読書以外の音楽活動としては、労働の対価を得たらウードを始めてみようと思っています。ウードは西洋のヴァイオリンやギターなどの祖先にあたると言われている楽器です。知らない方はこの動画がおすすめです。半音(semitone)を基礎とする西洋楽器と異なり、半音より細かい微分音(microtone)を鳴らせるように設計されているウードの魅力がわかります。

 

その他、聴く絶対量が全く足りていませんが、比較的最近聴いたものの感想を少し書きます。

H.E.RはコンテンポラリーR&Bに属する音楽だと思うのですが、私自身がその周辺に明るくないので彼女がどの程度革新的かどうかは正直わかりません。しかし、感覚的には非常に良いものだと感じています。また、ソースはwikiですが、彼女の音楽の発言がとても良いです。

 "I feel like this is the era of the anti-star. I really just wanted it to be about the music, and get away from, 'Who is she with?' and 'What is she wearing?'"

H.E.R. - Wikipedia

 

次は、ルーマニアのはずれにある極めて優れた演奏技術を持つ音楽家が育つ村として有名な(?)なクレジャニの住人によって構成されるバンドです。

私は、放浪の民ロマの奏でる音楽の源流を探る以下の番組で知りました。父親が息子にバイオリンを指導するシーンがあり、楽譜を全く使用せずに感覚的に指導していたことが印象的でした。彼らは楽譜を読めないようです。

 

次です。流し見していたThundercatのインタビューで知りました。Snoop Dogの「G'z And Hustalz」のリフに元ネタがあり、Marcus Millerがベースを弾いているとは全く知りませんでした。

 

紹介する必要さえないEdith Piafです。明るい曲に聞こえますが、Aメロのメロディで長3度と短3度を半音でうろうろする不思議な曲です。ただ、そんなことよりも、彼女が声を発した瞬間から、あまりの歌の上手さに引きます。

 

去年のフジロック出演からゆるキャラ的人気を博している(?)平沢進です。個人的には、アニメへの関心から今敏に出会い、今敏ブログ経由で平沢御大に入りました。「P-Modelの人」という月並な印象しかありませんでしたが、音楽を聴いて驚かされました。

歌詞については言わずもがな、メロディについても、音楽的素養のない人でも口ずさめばその異様さに気付くのではないかと思います。従来の耳慣れた音楽のメロディと構造が根本的に異なるため、非常に歌いづらいはずです。多くの曲を分析したわけではありませんが、音楽的に少し踏み込んで言うと、調性を意図的に定位させないようにしているように思います。音程の跳躍が大きく、長調短調を複雑に織り交ぜ、半音を挟んだメロディが多い印象を受けます。平沢御大の音楽からは「従来とは違う何か」を模索する意志を感じます。

 

さて、趣味の充実は良いことですが、音楽は時間泥棒なので困ったものです。私生活では引越しに加え、仕事で使用するプログラミングで新しい言語の勉強も必要で、大忙しとなりそうです。どれも程々に細々と続けて行こうと思っています。

最近の読書と感想

たまには読書記録でも。

 

『ポピュラー音楽の世紀』中村とうよう

消化中。涵養にはもう少し時間がかかる。

「オリジナルとは何か」「文化とは何か」といった視点を揺さぶられる好著。宗主国に押し付けられた音楽を従属国が逞しく消化・アレンジし、新たな音楽を発明する流れがとても面白い。筆致は丁寧だが、その底流に怒りがあることは明らかで、著者が植民地主義や文化盗用に対して徹底して批判的で、アメリカを中心としたポピュラーミュージックの商売事情に鋭く切り込む様が印象的だった。理性的表現を通じて感情に訴えかける作品に外れはない。本書は紛れもなくその要件を満たしている。

ポピュラー音楽の世紀 (岩波新書)

ポピュラー音楽の世紀 (岩波新書)

 

 

『SPEED攻略10日間 国語 文学史

きっかけは忘れたが、源氏物語に興味が出たので、その流れで購入。浅学な私は文学史を勉強した経験がないので10日で終わらせることができなかった。世界文学史のようなものが無かったことが残念。『オデュッセイア 』や『ギルガメッシュ叙事詩』でも読んでみようかと考えている。紀伊国屋書店で『ギリシャ・ラテン文学 ——韻文の系譜をたどる15章』という本を見つけたのでそちらでも良い気がしている。ただ、かなり硬派な感じがしたので手を出すと火傷しそうではある。

SPEED攻略10日間 国語 文学史

SPEED攻略10日間 国語 文学史

 

 

 『壁』安部公房

積読となっていた。『砂の女』のようなものを予想したので驚いた。感想を言語化できる類の作品ではないと思う。夢のような展開のために捉えどころがなく、喜劇的にも悲劇的にも読むことができる。

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

 

 

『 創作の極意と掟』 筒井康隆

今敏に興味を持ったところからの繋がりで購入。著者の作品は読んだことがないが、想像以上に実験的な作家であることがよくわかった。

作品の迫力を生み出す「色気」の背景にあるものは「死」であるという考察には膝を打った。つまらない作品に共通する要素についても面白おかしく書いているので、その辺りも読んでいて痛快だった。

創作の極意と掟 (講談社文庫)

創作の極意と掟 (講談社文庫)

 

『着想の技術』 筒井康隆

同上。

着想の技術(新潮文庫)

着想の技術(新潮文庫)

 

 

 『出発点-1979-1996』宮崎駿

偶然目にした『千と千尋の神隠し』から興味を持って購入。動く絵の面白さから宮崎駿作品を享楽的に楽しんでいる人たちとは正反対とも言える宮崎の人生観・作品観が綴られている。宮崎駿作品は紙一重のところで世界を肯定しているが、その裏で現代的生活への懐疑と批判がたっぷりと込められている。

また、宮崎作品には、人類の肯定と否定という対立した二項の一方に与するのではなく、対立をそのままで共存させる特徴があると気付いた。一見肌触りの良い『魔女の宅急便』などの作品でも、宮崎が記した作品のテーマについて読めば、現実世界を観察する宮崎の眼差しがいかに厳しいかがわかる。その徹底した観察と懐疑の過程で微かに掬い上げられた「肯定的な何か」が宮崎作品の魅力である。そしてそれは、詳細は割愛するが、作風が全く異なる宮崎最大のライバル、高畑勲作品との共通項でもある。

出発点―1979~1996

出発点―1979~1996

 

 

『木を植えた男を読む』高畑勲

宮崎駿を知るとなると、高畑勲の存在を無視できなかった。稀代の大天才として知られる宮崎と比較して高畑の評価は低いと言わざるを得ない。その高畑勲に非常に大きな影響を与えたのが『木を植えた男』*1のアニメーションを制作したフレデリック・バックである。当初、その影響は精神的なものにとどまっていたが、『ホーホケキョ となりの山田くん』以降の作品においては描法についても絶大な影響を与えるに至った。輪郭のはっきりした線を残す実線主義を脱却し、生き生きとしたスケッチ風の描法を用いた新たな表現方法を確立した。高畑の遺作『かぐや姫の物語』の予告編をみるだけでも十分にその革新性がわかる。

木を植えた男を読む

木を植えた男を読む

 

 


『映画を作りながら考えたこと』高畑勲

まず、高畑勲東京大学在学中に執筆した映画音楽評で度肝を抜かれる。黒澤明作品であろうと、世間の目ではなく、自分の観察眼を第一に冷静に評価しようとする姿勢に共感を覚えた。今やジブリ作品の音楽の代名詞とも言える久石譲だが、ジブリ以前に目立った活躍があったわけではなかった。高畑はその久石を見出した。ジブリ作品の音楽の質は高畑勲によって担保されていたと言っても過言ではない。

優れたクリエイターに完璧主義的性格はつきものだが、高畑の完璧主義は群を抜いている。徹底した時代考証は当然のように行う。さらに、「その作品が表現するに足りうるものであるか」を常に自問し、古今東西の芸術作品のリサーチを参考にしながら自らの作品に相応しい表現方法を模索する。当然、スケジュールに間に合うはずがない。高畑は、関わった作品のほとんど全てのスケジュールを遅らせたという。現代のピラミッド建築とも言えるような途方も無い作業である。その過程では、稀代の天才たちも奴隷のような労働を強いられる。その末に作品が出来上がるのだから、完成度は言うまでもない。高畑は仕事に関しては非人間的だが、彼の描く作品像が引く手数多の天才たちを惹きつけるだけの魅力を持っていたのは確かだろう。

極めて高いレベルの評論家気質と芸術家気質を併せ持つクリエイターは極めて稀だが、高畑勲は間違いなくその1人だろう。評論家気質のみが強いクリエイターは自らの厳しい評論眼に自作を酷評されて自信喪失する。一方、芸術家気質のみが強いクリエイターは、ごく稀に独自の表現を確立することもあるが、評論家気質の不足による自己批判の不足により凡庸になりがちである。 

映画を作りながら考えたこと

映画を作りながら考えたこと

 

 

 『地球環境の事件簿』石弘之

「このまま行けば地球、少なくとも人類はもう終わるな」ということを客観的に示してくれる本。ソマリアの海賊について書かれた章が特に印象に残った。まともに漁をするよりも海賊をする方が儲かるので海賊が幅を効かせるようになり、それに伴う人質解放交渉ビジネスの誕生、無法地帯と化した領海で他国の漁船による乱獲など、混沌としている模様。やはり原因は貧困にあるのだが、「先進国」からの支援で船が与えられても海賊船に魔改造するため全く意味をなしていないどころか状況を悪化させるだけとのこと。さらに、ソマリアは「先進国」との間に有毒化学物質を含む産業廃棄物の投棄契約を結んでいるらしく、海に投棄されたそれら廃棄物のせいで海の汚染が加速している。あ、ちなみに違法に乱獲された水産物は当然のごとく日本にも輸出されている。どこを切り取っても絶望的で読んでいると厭世的な気分になる。

地球環境の事件簿 (岩波科学ライブラリー 170)

地球環境の事件簿 (岩波科学ライブラリー 170)

 

 

 『雨の科学』 武田 喬男

講談社Twitterを見てメモしていたもの。講談社学術文庫ではよくあることだが、適当に流し読みできる類の本ではない。著者が晩年に病床でしたためた著書らしく、無菌室に入れられた著者が消毒された原稿用紙1枚1枚丁寧に書き記したとのこと。それを思い出すたびに流し読みの抵抗感が増して非常に困っている。

雨の科学 (講談社学術文庫)

雨の科学 (講談社学術文庫)

 

 

 

*1:原作はジャン・ジオノ

2019-1007 ギター練習メモ

普段どのようにギターを練習をしているかを少し書く。私のギター練習は、基本的に指板理解を中心としたもの。面倒な筋力トレーニング的反復を要する練習はしない。まともな練習メニューを考えるとどうしてもジャズに近くなる。しかし、曲を引き立てるのではなく、テクニック披露大会となっている類のジャズはとても退屈で、あの手の演奏は志向していない。ジャズに接近することなく、ジャズ的な練習を取り入れるという矛盾した状態が続いている。

 

ウォーミングアップ

0~12フレットに存在する全てのCを弾く。続けて、Circle of Fifthを右回りにCからBまでで同様のことを繰り返す。続けて、Circle of FifthをCから左回りでF#まで同様のことを繰り返す。

 

トライアド

0~12フレットの範囲で、基本形・第一展開形・第二展開形の3種を1~3、2~4、3~5、4~6の弦の4パターンの組み合わせで作る。全12種類のフォームが登場する。無意識に全ての音名が見えるようになるまで。順番は、Circle of Fifth をCから右回りにBまで。続いてCから左回りにA♭まで。気が向けばD♭まで。

 

慣れたルート音については、1オクターヴの範囲を超えたトライアド、つまりオープントライアドを加えて負荷あげる。あるポジションでクローズトライアドを弾いた後、そのポジションでオープントライアドを弾く練習。クローズトライアドでの意識付けが曖昧な状態で、オープントライアドを導入すると負荷がかかりすぎるので注意。 

 以上がスムーズにできるようになった段階で、add9、マイナー、sus4、aug、dimのパターンも練習メニューに加える。

  

指定のルートに対し、度数関係と音名が同時に見えるようになった段階で「習得」と判断する。必ずしも段階的にではなく、ある習得できたと判断した段階で、徐々に負荷を上げて良い。関連するAとBを組み合わせる複合的な練習もAとBの両方に良い影響があるので積極的に導入すること。

 

現在ピックアップしている各々のルート音の習得度をメモして確認する。

ex.ルートC:クローズトライアド、オープントライアドは習得。現在add9を進行中

Hazel Nuts Chocolate

全く名前も知らない日本のアーティストだが、良いものに出会った。Aメロの音程の跳躍が非常に心地よい。Hazel Nuts Chocolateという人(グループ?)。しかし、残念なことに、発表されているアルバムのほとんどが廃盤で価格が高騰している。

 


2000年代のこの手のサウンドは全くもって過小評価に思う。特に、Plus-Tech Squeeze Boxは、2000年代に金字塔を打ち立てたとしてアーティストとして評価されても良いのではないかと思う。

 

ムッシュかまやつ 「Gauloise」

「あなたがいるなら」でチョーキングを解禁して話題となった(?)コーネリアスチョーキングしながらブルースペンタを弾き散らかす非常に貴重な映像を発見した。キーはBm。

 そういえば、巷で「Charが日本にマイナー9thを持ち込んだ初めてのギタリスト」のような扱いをされているようだが、ムッシュかまやつの方が早い。ムッシュかまやつは、日本語ロックの先駆者というだけではなく、Charより早くテンションコードを導入した人物でもある。Charの『Char』の発表は、1976年9月のこと。一方、ムッシュかまやつの「ゴロワーズ を吸ったことがあるかい」は、1975年2月に発表されている。

 

ムッシュかまやつは、スリーコード中心の快活なロックンロール曲だけではなく、ビートルズの「In My Life」ように陰影のある曲も書いた。それがすこぶる良い。

hide 「ピンクスパイダー」分析メモと感想など

最近は昔聴いたものを整理したい気分なのかもしれない。過去の自分の聴き返し作業は、何かと気恥ずかしく、思い入れで正当な評価が見えづらいという欠点もある。しかし、再評価で得られる恩恵はそれ以上に大きい。もちろん、聴き返して「これは駄目だ」と落胆することも多いが、「何の音楽知識も持たない当時中学生の自分を驚かせるだけの理由がある」と納得させられる作品もある。今回扱うhideの「ピンクスパイダー」は、後者に分類される作品である。

コード進行まとめ

Verse1

Bm

 

Verse2

F# - A

 

Verse3(サビA)

Bm

 

Verse4(サビB)

B - D#m on A# - A - E

B - D#m on A# - A - E 

G - A - B

分析メモ

ピンクスパイダー」は、hideの結成していたバンド、Zilchの経験がよく活きている。「Electric Cucumber」は一貫して、コード進行に頼らず、ワンコードのリフと音の抜き差しのみで、モーダルに曲を展開させている。「ピンクスパイダー」においてもそのモーダルな方法論が一部取り入れられている。より具体的に言うと、Verse1とVerse3(サビ)がモーダル。Nine Inch Nailsからの影響か?(いずれ、Nine Inch Nailsも分析してみようとは思う)。

しかし、「ピンクスパイダー」は、「Electric Cucumber」からの進化を感じさせる点が2つがある。1つは、日本語の導入。もう1つは、Nine Inch Nailsからの影響を強く感じさせる当時のアメリカロック最前線のサウンドをJ-Popと融合させたこと。面白いことに、「ピンクスパイダー」には、実質的にサビが2つある。1つは、「ピンクスパイダー」と繰り返すサビA。これは「Electric Cucumber」的な方法論に基づいている。一方、サビBは、B長調にモーダルインターチェンジし、豊富なコードチェンジで曲の展開感を作るJ-Pop的な方法論に基づいている。「ピンクスパイダー」の革新性は、異なる方法論に基づくサビを1つの曲中に共存させたことにあると思う。

 

J-Pop的な方法論に基づいていると指摘したVerse4は整っている。オンコードを使用し、ベースが半音で下れるように工夫されている。さらに、G - A - Bという進行はロックの定番の借用和音を用いたコード進行で、hideがロックをよく研究していたことが伺える。自分の知る限り、Oasisで頻繁に使用されている印象がある。例えば、「Champagne Supernova」、「Married With Children」、「She's Electric」が思い浮かんだ。Chapterhouseの曲でも使用されていたような気がする。

 

 それにしても、hideの曲はまだ3曲しか耳コピしていないが、おかしなキーが多い。「Hurry Go Round」と「ピンクスパイダー」は両方キーがB。「Electric Cucumber」は、C#フリジアンモード。ロックギタリストとは思えない。いや、少なくとも、リフ主体のメタル界隈で、フリジアンモードは定番とされている可能性は考えられる。いずれにしても、キーBは稀。

 

カヴァーについて

ピンクスパイダー」は幾つかのカヴァーがあるようなので軽く触れておく。まず、Rizeのカヴァーについてだが、下手なメロディラインの崩し方、特にヴォーカルがメロディのリズムを不自然に短く変更したことと、原曲にない「イェー」にかなりの不快感を覚えた。また、音色、アレンジなどの全てが原曲に近く、ほとんどコピーと言えるものが、MVまで作成して公式に発表されていることに驚いた。トリビュートとしてライヴで演奏するのであれば理解できるが、公式発表は理解に苦しむ。

 倖田來未も「ピンクスパイダー」をカヴァーしている。Rize版と異なる点で極めて不快だが、原曲とは異なるアプローチを取っているため、カヴァーとして公式に発表するために必要な最低限の条件は満たしていると思う。

最近では、MIYAVIのカヴァーもある。しかし、ハイハットの入れ方、悪い意味で最近の打ち込みっぽいキックの音色、曲の盛り上げ方など、アレンジの全てが「海外」の流行りそのもので、全く好みではない。

 やはり、コピーではなくカヴァーとして公式に発表するのであれば、Robert Glasper Experimentの「Smells Like Teen Spirit」のように、自らのフィルターを透過させたものが好ましい。ただ、自らのフィルターを透過させるとは言っても、“ジブリ名曲ジャズ”のようなアレンジでは曲は引き立たない。自らのオリジナリティを注入すると言う方が正しいかもしれない。


 

その意味では、カヴァーではなくRemixではあるが、「ピンクスパイダー」の解釈という点では、Corneliusの一人勝ちという印象。

余談だが、意図的かどうかは不明だが、1:27のあたりで、Corneliusの「Count five or six」と非常に似たフレーズがある。

 

 

実はhideは、思い出波止場、暴力温泉芸者岡村靖幸小西康陽砂原良徳などと共に『96/69』というCorneliusのRemixアルバムに参加している。この面子を見ると「hideが生存していたならば、X Japanのリスナー層とは全く異なるコア層に好まれる音楽性により接近していたのではないか」と思わずにはいられない。

 hideが好んでいた音楽リストを見ると、いかにもギターキッズ好みのKissやLed ZeppelinなどのHR/HM系音楽の中に、Bauhaus、Stranglers、UltravoxBeckNine Inch Nailsなど、必ずしもギターがサウンドの要ではないパンク以降の音楽が混ざっていることがわかる*1

雑な総評

私には、hideが神格化されるほどの存在なのかどうかはわからないが、幾つかの点では、確かに面白い試みをしていたと思う。1つは、平沢進に並ぶほど早期のインターネット進出。メジャーアーティストのMP3配信は平沢進が日本で最も早かったと言われているが、hideも生存していたならば、それに並ぶほど早期に音源のネット配信をしていたのではないかと思う。ウェブサイト作成は勿論のこと、彼の企画したフェスのライヴ映像をネットで配信するなど、ネット参入に極めて意欲的だった。余談だが、自分で調べた限りでは、日本における最初のライヴ映像のネット配信は、1995年の坂本龍一であった(YMOメンバーは何かにつけて早すぎる)。

 

2つは、hideはX Japanのギタリストとしては、様式化された「ピロピロ(=HR/HM的ギターソロ)」を受け入れていたが、ソロ活動においてはそれに拘泥しなかったこと。説明には、少々ギターソロの歴史を振り返る必要がある。

70年代後半のパンク以降のバンドは、「ピロピロ」を徹底して嫌ったが、時を同じくしてVan Halenが登場し、ピロピロは廃れるどころか勢いを増した。しかし、90年代は「エレキギター=ピロピロ」という考えが完全に陳腐化した時代だと思う。例えば、RadioheadOasis、Nirbanaなど、「ピロピロ」どころか、もはやギターソロさえほとんど必要としないバンドが脚光を浴びた。Rage Against The Mashine、Red Hot Chilli Peppersなど、HR/HMの影響を色濃く残すバンドに「ピロピロ」は残ったが、80年代のようにひたすらにピロピロし続けるようなアプローチは少なく、全体的にファンキーなリフを演奏するための道具としての性格が強い。

 

さて、hideの話に戻る。hideの遺作『Ja, Zoo』を聴くと、hideの死後に手を加えて制作された「Hurry Go Round」に「ピロピロ」があるのみで、他の曲にはほとんどギターソロらしきパートさえ存在しない。HR/HM系バンド所属のギタリストのソロアルバムにピロピロがないことがどれほど異質であるかは、他のHR/HM系ギタリストのソロアルバムを聴けばよくわかる。

 90年代以降、Mr.Childrenスピッツ、BUMP OF CHIKEN、ASIAN KUNG-FU GENERATIONなどのピロピロしない(≒ギターヒーローのいない)ロックバンドが活躍し始めたこと思うと、HR/HM系バンドのリードギタリストでありながらも、90年代の非ピロピロの潮流に喰らい付こうとしたhideは、慧眼だったと言えるのではないだろうか。

Venus Peter 「Every Planets Son」コード進行 曲メモと感想

昔聴いていたものをふと思い出し、せっかくなのでコピーした。まさに渋谷系サウンド。ベースラインが結構動く。オリジナルアルバムは廃盤っぽいので入手したい人はこちらから。「Every Planets Son」は、オリジナルアルバムでもベスト盤でも1曲目なので、作曲者にとっても会心の出来だったと思われる。

Deluxe Edition (The Best of V.P)

Deluxe Edition (The Best of V.P)

 

 

Venus Peterを聴いてわかることは、フリッパーズギターが突然変異ではなく、やはり渋谷を中心とするコミュニティから誕生したことだろう。いかにバッハがバロック音楽に重要であろうとも、バッハを語ることがバロック音楽を語ることとイコールで結ばれないように、フリッパーズギターを語るだけで渋谷系は語れない。

特に記載していないが、A や Dの箇所でadd9やsus4にするとUKロック感が増すので、各自演奏の際は適当に混ぜると良い。

 

Verse1

A - F#m - D - A 

 

Verse 2

D - G - A  A onG# A on F#

D - A

 

※以降、半音上に転調して同様のコード進行。

 

 イントロのフレーズはVerse1のコード進行のアルペジオ。ギターでは幾つかのポジションの可能性がある。Aを5フレット付近、F#mを2フレット付近、Dを5フレット付近で弾く方法もあるが、9~12フレット周辺で弾ききることもできる。色々な可能性が考えられるが、一応、自分の考えたポジショニングは、5フレットのAポジション、2フレットのF#mポジション、10フレットのDポジション。移動は多いがフィンガリングが簡単。

 

Verse2のポイントは、Gが登場する箇所でのAミクソリディアンへのモーダルインターチェンジ。Gリディアンを豪快に下降するベースラインが聞ける。キーセンターをミクソリディアンに変化させる手法は、60年代のBeatlesから、70年代のDavid Bowie、80年代のStone Roses、90年代のOasisに到るまで、ロックの基本中の基本。

 

個人的に、Verse2の2段目のDをDmに変化させると哀愁が増してよいと思った。 ファ#がファになることで、続くミに半音で接続することができる。声部を滑らかに繋げることで甘美な響きがする。

 

バークリーメソッドに従ってコードに対応するアヴァイラヴルノートスケールで記述しているが、実際のロックミュージシャンの多くは、スケールを中心に考えている気がする。スケールを1個飛ばしでコードを作って、コードの隙間はスケール残りの音で埋める。あまり上手く言語化できていない部分だが、コード進行をナンバーシステム的に捉え、アヴァイラヴルノートスケールを当てはめるという方法論は便利なのだが、音の内容を無視しがちなのであまりよろしくない。しかし、それ以外に上手く示す方法を知らないので、どうしてもバークリーメソッドに頼った記述になってしまう。